波多岐神社(伊賀市土橋)

波多岐神社。

JR伊賀上野駅と佐那具駅の中間あたりに位置する土橋に鎮座。

式内社 波太伎神社に比定され、伊賀国三宮とされる神社。

また、境内社の宇都可神社は式内社 宇都可神社の論社。

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境内

大鳥居

 

二の鳥居

 

社号標

波多岐神社と宇都可神社。

 

三の鳥居

 

社号標2

 

手水舎

 

鐘楼

 

境内ど真ん中に土俵

 

境内西側の鳥居

 

狛犬

社殿

注連柱と拝殿

 

扁額

 

祭神が記された額

 

本殿

 

本殿の狛犬

境内社等

本殿右のこちらが宇都可神社

 

本殿左のこちらが府中神社

この2社については特に扁額や社号標、案内等は出ていませんが、由緒書の写真から判断すると上記の通りです。

 

宇都可神社の斜め前の境内社

 

神宮遥拝標

 

御神木

 

土橋尋常小学校跡碑

 

由緒

波多岐神社

創建時期は不詳。

 

延喜式神名帳にみえる「伊賀国阿拝郡 波太伎神社」に比定されています。

 

往古は坂ノ下、東條、西條、土橋、山神、印代、大石の7郷の郷社で、中古以降は山神、西條、東條、印代、土橋の5郷の惣社とされたといいます。

『延長風土記』に「阿拝郡国府山有神号波太岐社所祭仁徳天皇」、『准后伊賀記』に「国府湊三ノ宮ノ神領」、『永閑伊賀名所記』に「阿拝郡三ノ宮国府のあたりに侍るよし」とあり、国府近くに鎮座し国府湊は神領であったと伝わります。

 

貞享4年(1687)の『伊水温故』は鎮座地を府中村(東條村、西條村両村を指す)とし、土橋村の神社として菅野明神を挙げています。また寛延頃(1748-51)の『宗国史』では、東条村の神社に「三宮宇都可明神 末社八幡 府中郷総社 箛枕神社」とし、土橋村は「大物主明神 山王牛頭・若宮合祀」とあります。

宝暦13年(1763)の『三国地誌』には「按府中郷土橋村ニ坐ス三ノ宮ト称ス山神西条東条印代土橋ノ惣社トス今是ヲ宇都可明神ト称シ名額ヲ掲グ」とあり、この時点では土橋村にあることがわかります。

したがい、波多岐神社は元は府中村(東條村…現・伊賀市東条、現社地の少し東方)にあり、宝暦13年以前に現在地に遷座した、とする見方もあります。

 

明治6年村社に列格、明治36年には郷社に昇格。

明治40年、近隣の無格社および境内社を波多岐神社境内に移転合祀し、無格社府中神社としています。

同年、無格社宇都可神社及び村社4社を村社宇都可神社として境内に移転合祀しています(宇都可神社の移転時期については別説あり、下記宇都可神社項参照)。

 

ちなみに、『三重県神社誌』は古老の伝承として「波太伎ノ名称ハ古昔該境内ニ樫木森立ス其樹皆真直ニシテ屈曲セズ因テ之ヲ朝廷ニ献シ旗木トス」と記し、社名の由来を旗木(はたき)からとしています。

宇都可神社

創建時期は不詳。

三代実録の貞観15年(873)9月26日条に「授伊賀国…正六位上宇豆賀神…従五位下」と見え、当社をこの宇豆賀神にあてる説があります。

延喜式神名帳にみえる「伊賀国阿拝郡 宇都可神社」の論社でもあります。

 

『三国地誌』は宇都可神社について、「土橋村大堀山ニ坐ス其社地邑ヲ距ルコト十町余羊腸迂回シテ山ノ半腹ニ社頭アリ土俗ツタヘ云フ古昔此社地松柏繁茂シテ白日ヲ障フ、後世伐リ盡シテ只社砌ノ数株ヲノコスト今三宮ヲ以宇都可ノ社トシ其社地ヲ称シテアタキノ社ト云アタキハ即波多岐ノ転訛ナリ今三宮神体一座ニシテ祭祀ノ神膳ヨリ自餘供献ノ具ニイタルマデコトゴトク二前ノ設ヲナシ祭主モ二座ノ神位をツマビラカニセズトイヘドモ宇都可波多岐ノ神ヲ泛然ト敬拝シテ亨祀ノ禮ヲツトムル是流例ナリト云」とし、さらに「是ヲ以考フルニ大堀大物主社ハ古昔所謂宇都可ノ社ニシテ其神体モ風土記ニシルストコロト合フシカルニ其社地艱峻ニシテ村里ニトヲザカルヲ以里民旦暮ノ詣拝ニ便ナラザルニヨリ波多岐社ニヲイテ祭祀ノ供享ヲ行フ爾来三宮ニ宇都可ノ号ヲ冒シ後混ジテ一社二名ヲ称スルニイタル故ニ本社ハ大物主社ナルコトヲ知テ宇都可神社ナルコトヲシルモノナシシカリトイヘドモ祭式ハ今尚現存スト云」と続けます。

同書波多岐神社項に見える「宇都可明神ト称シ名額ヲ掲ク」について、延享2年(1745)に記された「宇都可大明神」の額があります(現存するかは不明)。

したがい、山中にあり参拝に不便な宇都可神社の祭祀を波多岐神社で行ううち、江戸期には両社が一体化、波多岐神社は宇都可神社と称されるようになり、本来の山中の宇都可神社は大物主社と称されるようになった、と思われます。

 

嘉永7年(1854)、地震により宇都可社社地のあった鳥羽谷一帯が崩壊。

『日本歴史地名大系』によると、明治10年(1877)に土橋村宮田に社殿を新築、明治40年(1907)波多岐神社の境内に再遷座。

しかし『式内社調査報告』宇都可神社項によると、明治10年の時点で波多岐神社境内に遷り山宮神社と合殿とし、明治40年には貴船神社、薦枕神社、諏訪神社、寄建神社(いずれも村社)を合祀して村社宇都可神社と称したとされます。また同書波多岐神社項では、明治40年に上述の4社と共に土橋に鎮座の無格社宇都可神社を移転合祀、式内社村社宇都可神社と称したとします。

 

なお、宇都可神社の旧社地は土橋字鳥羽谷1099番地内字大堀山と『式内社調査報告』にはありますが、特定できず。そもそも地震で社地崩壊とあるので、神社跡とわかる状態で残っているかどうかも不明。

御朱印

御朱印はあります。

ただし、通常無人のため、いただく場合には連絡を入れる必要があります。

あるいは、境内東側に社務所があり、そこに書置きの御朱印が用意されています。

アクセス

伊賀上野駅と佐那具駅を繋ぐ線路の北に沿って、道路があります(神社前では県道680号、伊賀上野・佐那具側とも途中から県道ではなくなる)。

この道を両駅の中間に向けて走れば、線路に面して大鳥居があります(位置)。大鳥居を潜って直進、二の鳥居前で左の道に進み直進すれば駐車場(位置)。

神社概要

社名波多岐神社(はたきじんじゃ)
通称
旧称宇都可大明神
住所三重県伊賀市土橋752
祭神大鷦鷯尊
祭神(宇都可神社)

大物主命

大己貴命

罔象女命

高皇産靈命

建御名方命

源満仲

源頼光

源頼信

源頼義

源義家

社格等

式内社 伊賀国阿拝郡 波太伎神社

式内社 伊賀国阿拝郡 宇都可神社(境内社の宇都可神社)

日本三代実録 貞観十五年九月廿七日己丑 宇豆賀神 従五位下(境内社の宇都可神社)

伊賀国三宮

旧郷社

旧村社(宇都可神社)

札所等
御朱印あり(直書き希望は要事前連絡)
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

波多岐神社旧地:府中村(東條村、現・伊賀市東条)か

宇都可神社旧地:土橋字鳥羽谷1099番地内字大堀山、現社地北の山中か

参考文献

  • 「波多岐神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「波多岐神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部, 1990
  • 三重県神職会編『三重県神社誌 第2』三重県神職会,1922(国会図書館デジタルコレクション 53-65コマ
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 752-753コマ