鹿高神社(名張市安部田)

鹿高神社。

奈良との県境に位置する安部田に鎮座。

日本三代実録 貞観15年9月27日条に見える鹿高神(国史見在社)の論社。

境内

宇陀川沿いに建つ一の鳥居

 

本居宣長の菅笠日記の歌碑「きのふ今日ふりみふらずみ雲はるゝことはかたかの春の雨かな」

 

参道

 

国道手前に橋

 

国道を挟んで二の鳥居

 

社号標

 

手水舎

 

階段脇の狛犬

 

階段脇の鹿

 

階段の中腹に広い空間があり、儀式殿があります。駐車できるのもここ。

 

社殿への階段下の狛犬

 

社殿へ続く階段と三の鳥居

 

社殿前の狛犬

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

境内社

 

狐でしょうか…?

 

山神祠

 

神宮遥拝所

鹿高神社境内古墳

社殿後方に古墳があります。

 

はっきりした道がないですが社殿後方の木の中を進みます

 

開口部だと思うのですが、説明はなく確信はなし…

 

案内板

名張市指定史跡

鹿高神社境内古墳

鹿高神社の境内には前方後円墳1基と円墳2基の3基の古墳が所在する。

社殿後方の丘陵頂上部に位置する鹿高神社境内古墳は全長42メートルの前方後円墳で、前方部と後円部の2ヶ所に横穴式石室が開口する数少ない形式の古墳であり、昭和45年9月7日に名張市の文化財に指定されている。

後円部の石室は、全長9.8メートルで、一辺2メートル前後の大きな石材で築かれている。前方部の石室は、全長7.65メートルで、一辺50センチ前後の小さい石材で築かれている。

出土遺物は、後円部石室から出土した須恵器の台付長頸壷、広口壷と墳丘で確認された埴輪円筒の破片などがある。

この古墳は、出土遺物から6世紀中頃の築造と推定され、名張盆地を治めた首長層を葬ったものと考えられる。

由緒

由緒板

鹿高神社

御祭神

鹿高神 奥津日古神

天児屋根命 奥津日売神

蛭子命 市杵島比売命

五男三女神 大日孁貴命

應神天皇 八意思兼神

建速須佐之男命 火之迦具土神

大物主命 大山祇神

菊理比売命 大綿津見神

宇迦能御魂神

御由緒

當社の主神「鹿高ノ神」は三代実録に貞観15年9月正六位上から従五位下に進められ給へる由を記された国史現在の神で安部田村由来記には慶雲3年3月鹿高ノ神を斎奉る」とある。往古より村の守り神知謀学徳の神として御神威を発揮され多くの信仰を集めている。明治40、41年に地元各地に点在の無格社を合祀し御祭神「鹿高ノ神」の名を戴いて鹿高神社と称し現在に至る。

例祭10月20日21日

創建時期は不詳。

社伝によると、壬申の乱のおり、大海人皇子が吉野より美濃へ進軍の途中この地を通ると、宇陀川が洪水となり進行が妨げられた。その時神霊が2頭の鹿となって現れ、皇子の軍を対岸に渡した。

ところが2頭の鹿は1頭に変わったので、この地は「片鹿」という地名になり、後に「鹿高」に転じた。

その後、勝利した大海人皇子が鹿高の大神として祀ったのが当社とされます。

天正13年(1585)成立とされる『安部田村由来記』には慶雲3年(706)に白鹿霊春日明神を相殿の神として斎き祀ったという内容の記述あり。

日本三代実録貞観15年(873)9月27日条には神鹿高神が正六位上から従五位下に進められたことが記され、この鹿高神を当社に比定する説があります。

(ただし、宇陀川の対岸、名張市矢川に鎮座する春日神社を比定する説もあり)

天正伊賀の乱により社殿等全てを焼失。

江戸時代には春日明神、春日神社と称されていました。

明治40年、41年に多数の無格社を合祀し、鹿高神社に改称。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

名張中心部から国道165号で奈良方面へ。

しばらく走ると、左手に鹿高神社の鳥居が見えてきます。

そこで、鳥居のすぐ先で国道から分岐する登り坂の脇道に入ります。

少し登ってカーブが終わった上図の辺りに「鹿高神社裏参道進入路駐車場入口」の案内があるので、そこから入って行くと境内駐車可。

神社概要

社名鹿高神社(かたかじんじゃ)
旧称春日神社
住所三重県名張市安部田1942
祭神鹿高神
配祀

大山祇神

天児屋根命

蛭子神

五男三女神

応神天皇

建速須佐之男命

大物主命

菊理比売命

宇迦能御魂神

奥津比古神

奥津比売命

市杵嶋比売命

大日霊貴神

八意思兼神

火之迦具土神

大綿津見神

社格等

日本三代実録 貞観十五年九月廿七日己丑 神鹿高神 従五位下

旧村社

御朱印不明
駐車場あり

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