布勢神社(さぬき市寒川町石田西乙)

布勢神社。

寒川町石田西、布勢池というため池の西側に鎮座。

式内社 布勢神社の論社。

境内

社号標1

 

社号標2

 

鳥居

 

狛犬

 

注連柱

 

手水鉢

 

地神宮と、手前の大きな石灯籠

社殿

拝殿

 

本殿

由緒

改修事業竣功記念碑

布勢神社は天平元年(七百弐拾九年)以前に創建された神社であり、祭神は大彦命(第八代孝元天皇の皇子、四道将軍のお一人)であります。また延喜式内讃岐弐拾四社の一社でもあり、古来石田西村の鎮守として崇拝され、格式高い由緒ある神社であります。千数百年の歴史の内、享保参年(千六百八拾六年)作の銘のある「面」が当社に現に保存されており、現有の御神輿は明和四年(千七百六拾七年)拾月作のものであります。社殿の修理については、宝永五年(千七百八年)五月拝殿建更の棟札、文化五年(千八百八年)九月社殿修復の棟札があったと寒川町史には記述されています。その後も幾度かの修復工事を行い現在に至りましたが、この度、老朽化に伴う、神・拝殿の改修、御神輿庫の新築、御神輿の修理などを余儀無く実施する事になりました。布勢自治会一戸当たり拾五萬圓のご負担を御願い致し、不足財源については、自治会内外の多くの方々に御協賛をお願い申し上げ、多額の御賛同を頂きました。事業は平成拾四・拾五両年度にわたり実施し、その総てが竣功致しました。

創建時期は不詳。

『全讃史』に「極楽寺記云 天平時行基菩薩立薬師堂於石田謂極楽寺以布勢神為鎮守(極樂寺記に云ふ。天平の時、行基菩薩、藥師堂を石田に立てゝ極樂寺と謂ひ、布勢の神を以て鎭守とせり)」とあり、これに従えば天平以前の創祀ということになります。

ただ、香川叢書所収の『極楽寺記(紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記)』に上記の記述はなく、「夫讃岐国寒川郡紫雲山極楽寺者、孝謙天皇御宇、行基菩薩開地建立」とあるのみ。『全讃史』が引用したものが異本である可能性もありますが、不明。

 

延喜式神名帳にみえる「讃岐国寒川郡 布勢神社」に当社をあてる説があります(『生駒記』『讃岐国官社考証』)。

『生駒記』によると昔は荒神の社とされていたようです。

 

『三代物語』に、天正兵乱の際、細川矩弘が長宗我部の兵から当社を守ったことが記されていますが、寛文9年(1669)の『御領分中宮由来』に「鎮守布勢之宮、是は神名帳に御座候由、古は官立も御座候所に、土佐乱に焼所仕候由申伝候、其後再興も無御座候」とあり、逆に焼失したことになっています。

 

また『全讃史』に、文化年間(1804~18)に祠が壊れ修理しようとしたところ、蜂が群がって近寄れなかったが、祠を修理するので蜂を去らせてくださいと一人の人が跪いて言ったところ、翌日には蜂が去っていたとの伝えが載っています(「文化年間此祠壊里人欲修之而蜂蠆数千群為巣而不可近矣爰一人跪祠前曰今也将修祠有蜂不可修也請使蜂去明日至則蜂悉去無復余党矣」)。

 

祭神については孝元天皇皇子にして四道将軍の一人、大彦命とされています。

異説として、『讃岐二十四社考』は大彦命と併記して伏雷をあげています。

が、『讃岐國官社考證』においては「伏ノ字によりて推量に云へるか」と注記がされています。

 

香川県神社誌

石田村郷社石田神社境外末社。延喜式神名式に『讃岐国寒川郡小布勢神社』とあり。延喜式内当国二十四社の一なり。創建年代詳ならずと雖も、極楽寺記に、天平年間行基菩薩薬師堂を石田に建てゝ極楽寺と云ひ、当社を以てその鎮守神と為せし旨記されたれば天平以前の創祀なるべし。

祭神大彦命は孝元天皇の皇子にして四道将軍の一人に座す。新撰姓氏録に『阿都朝臣布勢朝臣同祖孝元天皇皇子大彦命之後也』とありて、延喜式内神社に越中国射水郡布勢神社、備前国赤坂郡布勢神社ありて共に大彦命を祀れり。全讃史に『極楽寺以布勢神為鎮守蓋布勢亦地名是亦其地所社祭就以為鎮也』と載す。天正十年長曽我部氏の兵乱に石田左兵衛矩弘当社を守護して兵難を免れしこと載せて三代物語にあり。

御朱印

御朱印の有無は不明。

現在は石田神社境外末社となっている模様。

 

アクセス

池の畔の曲がり角に延喜式内布勢神社と彫られた石碑(上掲の「社号標1」)。

この道を進めば布勢神社の社叢が見えてきます。

 

この辺りから車で境内に入れます。

神社概要

社名布勢神社(ふせじんじゃ)
住所香川県さぬき市寒川町石田西乙3642
祭神

大彦命

現祭神

伏雷

『讃岐二十四社考』
社格等

式内社 讃岐国寒川郡 布勢神社

石田神社境外末社

御朱印不明
駐車場あり(境内に駐車可)

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