白山神社(三木町下高岡)

白山神社。

三木町下高岡、鰐河神社の北に鎮座。

式内社 和爾賀波神社の論社。

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境内

一の鳥居

 

二の鳥居

 

三の鳥居

奥に見えるのが東讃岐富士とも言われる白山。

 

一の鳥居脇の狛犬

 

神門

 

社殿前の狛犬

社殿

拝殿。境内はとてもきれいです。

 

本殿

境内社

神門下の階段の右にも鳥居と階段

 

階段の柱の上にはミニ狛犬

 

この境内社への参道のようです。『式内社調査報告』によれば、境内社は白石社、天神社、地神社の3社のようなので、それぞれがいずれかのようです。

白山

境内左側には背後の白山頂上に鎮座する石鎚神社、龍王社の鳥居と登山口

ちょっと逡巡し、結局登らず和爾賀波神社へ。和爾賀波神社参拝後、まだ日が落ちていなかったため思い直して登ることに。鳥居をくぐると正面に階段、右手に上り坂。早く登れそうな上り坂を選択。

 

街並みを見ながら登っていきます

 

金毘羅さん(7か8合目あたりだったはず)。15~20分くらいで山頂到着。

 

鳥居

扁額には「地魂坊社」

 

後ろの石祠2社を本殿として、こちらが拝殿?

 

石鎚神社と龍王社

 

天狗が彫られた岩。こちらが地魂坊社でしょう。

 

他にも注連縄の巻かれた岩が。

 

白山駅に向かう琴電。

 

上がさぬき市、下は高松市の方。眺めのいい山です。私の後からも何人か登ってきていました。

 

祠の後ろには大きな岩塊

志度や嶽山に通じているといわれる深い穴が空いているそうです。この時は知らなかったので、見ていません。あるいは、はっきりと目視できるような穴ではないかもしれません。

 

山頂標識と麓からの白山全景

由緒

当社の創建については二つの伝承があります。

  1. 「延長四年九月、應神寺の明海法印の夢に入て告給はく、吾ハ是白山権現也、此山の景色勝たるに因て、長此山に鎮座し、国家安全、五穀成就、万民快楽を守らんと、因て此山に勧請し奉る也。」(『一郡始鰐加波社石清水八幡記』の『白山妙理権現記』。『紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記』にも延長四年勧請の記述有)
  2. 「古老云ふ。昔晴明と云ふ者あり、白山下に居り、妙に占筮の術に通ず。世人白山相人と称す(中略)蓋し此の相人は則越人なり。是以て越の白山の妙理権現を迎へて之を祠るか。此の山を白山と名づくるも亦此の縁なり。」(『全讃史』)

 

延喜式神名帳の「讃岐国三木郡 和爾賀波神社」に当社をあてる説があります。

 

『香川県神社誌』によれば、「古へ高岡一村の社にして初め白山の中腹にありしが、某年山麓現今の地に奉遷せり」とのこと。

 

『香川県神社誌』によれば伊邪那美命、『平成祭データ』によれば伊弉諾尊。

現祭神がいずれかの神なのか、あるいは併祀されているのかは不明。

 

香川県神社誌

下高岡村郷社鰐河神社境外末社。極楽寺記に『延長四年九月明海勧請白山権現于高岡』とあり、全讃史には『古老云昔有晴明者居白山下妙通占筮術世人称白山相人蓋善占筮故称晴明…蓋此相人則越人是以迎越白山妙理権現祠之乎』と見ゆ。

古へ高岡一村の社にして初め白山の中腹にありしが、某年山麓現今の地に奉遷せり。当社祭日には大角力の奉納あるを例とす。林村六条の力士鎌倉一角此処に土俵を築き奉納せしに始まるといふ。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

まずことでん白山駅を目指します。

駅前(位置)に白山神社参道の石柱があるのでそこを入ります。その先踏切を渡るとすぐに駐車場がありますが、ここは参拝者用ではないようなので直進して鳥居をくぐります。

二の鳥居横の坂を上り、さらに右の坂を上ったところが神社(と白山登山者用)の駐車場(おおよその位置)。奥にあるのに案内がないのでわかりづらい感。

神社概要

社名白山神社(しらやまじんじゃ)
通称
旧称

白山権現

白山妙理権現

住所香川県木田郡三木町下高岡973
祭神伊邪那美命『香川県神社誌』
伊弉諾尊『平成祭データ』
社格等

式内社 讃岐国三木郡 和爾賀波神社

鰐河神社末社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考もとは白山中腹に鎮座

参考文献

  • 「下高岡村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「白山神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 香川県神職会編『香川県神社誌 上巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 146コマ
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987