高屋神社里宮。
観音寺市、稲積山の麓に鎮座。
式内社 高屋神社に比定される神社(の里宮)。
境内
一の鳥居
狛犬
参道石段
二の鳥居
狛犬
手水舎
社殿
社殿
扁額
境内社等
祠群
御本殿遥拝所
後方に聳える稲積山
後述の通り、稲積山中腹に中宮、山頂に本宮が鎮座。手前に見える道が参道です。
本宮からの眺望は素晴らしく、社前に建つ鳥居は天空の鳥居といわれているのだとか。
別方向から山頂付近まで車道(多少狭いけれど、ちゃんとした舗装路)があるので、天空の鳥居は見たいけど登山したくないという方におすすめ。
ルートはアクセス項参照。
境内右手に淡嶋神社
扁額
稲積本館
社務所
2019年8月に社務所脇に設置された、「結城友奈は勇者である」のラッピング自販機
私の参拝前日に置かれたようで(全く知らずに来ましたが)、見に来ている人たちがいました。
由緒
祭神は邇々杵命・保食命・咲夜比女命で延喜式の神名帳(平安時代)に「讃岐国刈田郡高屋神社」とあり、延喜式内社讃岐二十四社の一社である。この社は当初稲積山頂にあったのを一六〇〇年頃に、山の中腹に移し、さらに一七六〇年頃に山麓に移したが、里人はその祟をおそれ、一八三一年に山頂の旧地に再び本殿を造営した。山の名をとり稲積社とも呼んでいる。
大祭は四月第二土・日曜日に行われている。
創建時期は不詳。
三代実録 貞観6年10月15日戊辰条に「讃岐国正六位上高屋粟井神…従五位下」とあります。
ただしこの箇所は本によって「高屋粟井神」と「屋栗神」と相違があります。
前者の場合、当社と粟井神社を指すと思われます。
後者の場合、高松市牟礼町の八栗寺(四国八十八箇所第85番札所)を指すようです。
『増補六国史巻九 三代実録巻上』の上掲条の注記に、「高屋粟井神、秘本閣本前本何れも屋栗神とあり苅田郡に高屋神社粟井神社あるより後人私意を以て高及井字を補ひ栗を粟と改めしなるべし按に木田郡に八栗山八栗寺あれば屋栗神は此地に由ある神なるべし」とあるため。
なお、現在八栗寺境内に(境内案内を見る限りは)神社はありません。一応後方の五剣山にいくつか祠があるようですが、一般入山禁止。『新撰讃岐国風土記』では五剣山南岳山頂の天照大神の祠としているようですが、現存するか不明。
同書 貞観9年5月17日には「授讃岐国正六位上高家神従五位下」とありますが、この高家神はどうやら当社ではなく、坂出市高屋町にある高家神社のことを指すのではないかとされているようです。
延喜式神名帳にみえる「讃岐国苅田郡 高屋神社」にも比定されています。
古くは稲積山の山頂に鎮座しており、慶長年間に中腹に、宝永年間に山麓に遷座。
そして天保年間に再び山頂へ遷座したといいます。
別の伝承には、御神体の86貫の練石を遷宮の際に下宮に移そうとしたが、中宮近くの七曲りの上で進めなくなり、上宮に戻した。そのため実際に遷座はしなかったとされています。
現在は本宮・中宮・里宮と3ヶ所に社があります(中宮は石祠のみ)。したがって、ここ里宮は本宮の遥拝所的な社です。
江戸時代には丸亀藩主京極家の崇敬が篤く、藩主寄進とされる扁額が残されています。
また、京極家の船が沖を通る際、帆を降ろし船を停めて遥拝の後通ったとも。
明治5年郷社に、昭和11年県社に列格。
近世には稲積明神、高稲積大明神と呼ばれたようで、現在も稲積さんと親しまれているそうです。
香川県神社誌
延喜神名式に『讃岐国刈田郡小高屋神社』、三代実録に『貞観六年冬十月十五日戊辰授讃岐国高屋神従五位下』とありて、延喜式内当国二十四社の一なり。往古より高屋郷の産土神にして稲積大明神と奉称せらる。古くは稲積山の山上に御鎮座ありしが、慶長年中山腹に御遷座、宝永年中更に山麓に御遷座、天保二年又旧地なる山上に遷座あらせられたり。全讃史に『高屋神社在高屋郷高谷瓊々杵尊木花咲耶姫命為主矣蓋亦高屋郷之社稷也…今為村社土人云従古以粟為麹以造酒』、又同書に『高稲積社在高谷北山上里社也保食神為主矣…此神能去蜚嘗予州松山有蜚祈此神無災又文政十二年有蜚又祈』とあり。生駒記に『高屋神社小高屋村ニ有大伊那祗神社ト云 両高屋 室本 流岡 吉岡 此五ケ村崇氏神 祭所神瓊々杵尊木華開屋姫命按神代紀瓊々杵尊幸大山祇神子木華開屋姫一夜而有娠云々時以竹屋此地本在日向国和銅以後属大隅国肝属郡竹屋今作高屋或鷹屋…高屋之名義蓋取于此此社今称稲積大明神按神代紀神五田鹿葦津姫開耶姫別名以卜定田号曰狭名以其田稲醸天甜酒嘗之又用渟浪田稲為飯嘗之稲積之名亦本于此』と見ゆ。西讃府志に『高屋神社 稲積大明神ト称ス、式内二十四社之一、祭神木華咲屋姫命…昔山上ニアリシヲ慶長年中山ノ半腹ニ移シ祭リ宝永年中今ノ地ニ移ス。其旧趾ヲ高稲積中稲積トイヒテ小祠アリシニ、天保二年高稲積ノ社本殿拝殿ヲ造営シ、年毎ニ三月十三日諸方ヨリ参リ集ル人市ヲナセリト云』と載す。
丸亀藩主奉納の扁額(京極高照筆)あり。棟札によれば、慶長八年、寛保三年、天明二年、享和三年、天保十五年に於て各本殿を再築し、延宝三年拝殿再築等あり。五穀守護及び安産の神として崇敬者多く例祭日等殷賑を極む。神社は稲積山の山頂にあり、内海の伊吹、蔦島等指呼の間にありて眺望に富む。
明治五年郷社に列せられ、大正五年四月神饌幣帛料供進神社に指定せられ、昭和十一年三月二十三日県社に昇格す。
明治四十三年字稲岳山高屋神社・高屋神社・高屋神社を、大正三年字稲岳山瀧宮神社・龗神社、字奥谷妙見神社、字西山春日神社、字奥谷山神神社、字前ノ原菅原神社、字正箱荒魂神社、字樽井大神社、字片山降零神社、字岡ノ畑賀茂神社、字母ヶ屋敷荒魂神社、字雑古屋稲荷神社、字前ノ原河隅神社、字城爪地神社を合祀す。
御朱印
御朱印はあります。
加麻良神社にて拝受可。
今回は本宮まで参拝できていないのでいただいていません。加麻良神社の御朱印が書置きのみだったので、高屋神社も書置きのみかも。
アクセス
琴弾八幡宮の前から県道21号を東→北と進みます。少し走ると、「稲積大社 高屋神社 入口」の看板があります(位置)。案内に従って坂を上っていくと神社に到着。
階段の前から、左の道を進めば境内に車を入れられます。
ただ、手水舎に「神域につき駐車禁止」の札が立っていたので(参道や社殿周囲はダメということなのかもしれませんが)、一の鳥居近くの東屋前あたりに停めるのがいいかと想います。
里宮から本宮を挟んで反対側、山中の道路の途中に本宮への車道があります。
まず、県道49号の観音寺・三豊市境のところ(位置)で北に入ります。
200mほど先(位置)で分岐があるので、左手の上り道へ(不動の滝カントリーパークの案内が出ている方)。
650mほど先(位置)でまた分岐がありますので、左手へ(稲積山展望台の案内がある方)。
4kmほど登ると(位置)最後の分岐がありますので、左手へ(高屋神社本宮へ千メートルの案内がある方)。山頂の少し手前に駐車場あり。
ただ山道ゆえに荒れやすいようで、台風の通過後に訪れたら通行止めになっていました。
神社概要
社名 | 高屋神社〔里宮〕(たかやじんじゃ) |
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通称 | 稲積さん |
旧称 | 稲積明神 高稲積大明神 |
住所 | 香川県観音寺市高屋町2730 |
祭神 | 邇々杵命 保食神 咲夜比女命 |
社格等 | 式内社 讃岐国苅田郡 高屋神社 日本三代実録 貞観六年十月十五日戊辰 高屋神 従五位下(写本相違有) 旧県社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり(加麻良神社で拝受可) |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり(境内駐車可) |
公式Webサイト | – |
備考 | 稲積山中腹に中宮、山頂に本宮 |
参考文献
- 「高屋神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「高屋神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 香川県神職会編『香川県神社誌 下巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 213-214コマ)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 313-314コマ)