鰐河神社。
木田郡三木町に鎮座。
式内社 和爾賀波神社の論社で、さぬき十五社の一社。
境内
表参道の鳥居と橋。
鳥居扁額の文字は「鰐河社」。
社号標
橋のたもとの碑には「さぬき十五社第四番 鰐河八幡宮」
大きな社号標は木に隠れ気味
手水舎
駐車場側の鳥居
扁額の文字は「鰐河八幡宮」。
駐車場側参道手水舎
顔がちょっと特徴的な狛犬
社殿
拝殿
賽銭箱には延喜式内社の幕(布)
扁額(絵)
本殿
拝殿と本殿の間はくぐれます。小さな狛犬がおります。
本殿後方の碑(?)
境内社
本宮社
若宮社
左:素婆具羅社、右:社名不詳石祠
三宝荒神社
祖霊社
社日塔
表参道鳥居前の橋の下に水神社。社の前まで降りることができます。
神社を背にちょっと進むと右手に鰐河天満宮。末社?
社地と道路の間は細長い公園になってます。
天満宮のあたりから見た参道
由緒
紀元前浦島太郎が竜宮を去った後 乙姫は太郎を慕って浦生の里に辿りついた 浦生は今の屋島西町である 姫は太郎の子を身籠っており男の子を生んだ
この子は鵜茅草葺不合尊と呼ばれ神武天皇の父となった
乙姫は豊玉姫と呼ばれ浦島太郎は彦火火出見尊と呼ばれた
乙姫は鵜茅草葺不合尊を生むと鰐にのり新川をさかのぼり三木町の高岡郷に着きここで永住した
鰐川神社は豊玉姫を祀る神社である
創建時期は不詳。
『香川県神社誌』によれば創建については2説。
- 海童の女(豊玉姫命)が亀に乗って山田郡潟元の浦に来て鸕鷀草葺不合尊を産んだ。さらに鰐魚に乗って遡り当地に至った。その後祠が建てられ豊玉姫が祀られた。
- 聖武天皇の御宇、行基が当地に来た時、夢で神童が鰐魚に乗って四條川を遡って来、「当地は諸神諸仏遊戯の地なり、師一宇を建て一神一仏を安置せよ」と告げた。よって行基は当地に応神寺と鰐河神社を建立した。
上の説でいう祠を建てたのが行基だとすれば、話は繋がっているのかもしれません。
延喜式神名帳にみえる「讃岐国三木郡 和爾賀波神社」の論社とされています。
かつては放生会があったものの応仁以降絶え、一度は復活するも再び断絶。
戦国時代には衰退、宝蔵院へ預けた記録等も同寺と共に焼失、僅かに残った物も天和3年(1683)に祠官退職の折喪失。
明治5年に社号を八幡宮から鰐河神社へ改称し、郷社へ列格。
祭神は応神天皇、豊玉姫命。
『全讃史』は元は豊玉姫命が主神で延喜の頃に八幡神が配祀されたではないかとしており、伝承からするとそれが自然な流れのように思えます。
なお、豊玉姫命が上陸し鵜草葺不合尊を産んだとされる浦生の地には現在、鵜羽神社(高松市屋島西町298)が鎮座しています。
香川県神社誌
郷社 鰐河神社 下高岡村字四條
祭神 応神天皇 豊玉姫命
由緒 四條八幡宮、或は高岡八幡宮と奉称せられ、延喜式内和爾賀波神社は当社なりとも云へり。三代物語に『四條八幡宮…和爾賀波神社…高岡一郷社祀レ之』とあり、全讃史式内祠の条に『和爾賀波神社在二高岡村四條川上一』、神社考には『和爾賀波神社、高岡一郷の産社』と見ゆ。
里人の伝ふる所、海童の女亀に乗りて山田郡潟元の浦に来り鸕鷀草葺不合尊を生む。因て其の地を浦生といふ。遂に鰐魚に乗り流れを遡りて四條に至る。依て其の川を鰐河と云ひ、亦祠を立てて之を奉ぜし所を鰐河神社と称すといふと。又社僧応神寺記には、聖武天皇御宇僧行基此の里に来りしに一夜夢に神童鰐魚に乗り四條川を遡り来り告げて曰く、当地は諸神諸仏遊戯の地なり、師一宇を建て一神一仏を安置せよと。行基前日浦生の明神を拝し最も畏く思ひゐしに今夢告あり、大いに畏みて応神寺及び鰐河神社を建立すとあり。又極楽寺記には『延喜七年夏四月明印高岡八幡宮勧請、一郡一八幡始』とあり。(全讃史之を引きて『今考レ之原豊玉姫為レ主延喜時以二八幡神一配レ之也』と云へり)。此の時醍醐天皇より本地仏金像阿弥陀仏三体神剣二柄奉納ありて社領数町を賜ふといふ。右本地仏は明治維新神仏分離の節当村願勝寺に預けたりと。永承四年勅して仏舎利を賜ひ、弘安四年元軍の来襲に当り、勅ありて異賊退治の祈祷を修す。秋九月社領御増賜あり、亦剣一柄を下賜せられて今猶殿内に納むといふ。又当社は男山八幡宮に倣ひ社前の川に於て放生会を執行し来りしも応仁以降其のこと絶え、後又復旧せしも近世廃れたりといふ。さて当社は戦国兵乱の後衰退を極め、社領も喪失し、社殿も腐朽し、記録等は宝蔵院へ預け置きしが同寺焼失と共に烏有に帰し、僅かに残存の物も天和三年祠官退職の節失ふに至れり。享禄年間領主三木紀伊守高長社殿を改築せしが、元禄十五年十二月三日火災に罹り全焼す。明治五年社号を鰐河神社と改称、郷社に列せられ、同四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
古今讃岐名勝図会
●鰐河神社(郷社) 祭神誉田別命外一神延喜式讃岐二十四社の一で延喜七年四月の勧請である
○八幡宮 高岡村にあり社僧応神寺、祭礼八月十五日
往古当社内陣へ和爾賀波の神体を納おきしことあると古老いへり
○応神寺 同所にあり吉祥山瑠璃光院、真言宗京都大覚寺末寺
本尊薬師如来(行基菩薩作) 鎮守社(弁才天)
当寺は延喜七年五月妙印法印草創なり
(注:○は『讃岐国名勝図会』原文ママ、●は補訂ありの意)
御朱印
御朱印はあります。
ちょうど翌日がお祭りというかカラオケ大会で拝殿横の神楽殿?で機器の準備がされていました。
準備している方々に宮司さんがいらっしゃるか聞いたところ、翌日ご祈祷に来られるそうなのでまた伺うことに(さぬき十五社の一社だし、御朱印ありそうだったので)。
翌日伺ったところお話はできたのですが、御朱印は本務社に置いてあり、近日中は予定が埋まっていて対応が難しいため、また今度に…ということでご連絡先を頂きました。ちなみに本務社の社名もおっしゃっていたのですが聞き落してしまい…八幡、とは聞こえたのですが。
アクセス
ことでん白山駅の南1km程の場所。県道13号線沿いです。
境内西の道路沿いに駐車スペースあり(位置)。
神社概要
社名 | 鰐河神社(わにかわじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 高岡八幡宮 四條八幡宮 |
住所 | 香川県木田郡三木町下高岡1843 |
祭神 | 応神天皇 豊玉姫命 |
社格等 | 式内社 讃岐国三木郡 和爾賀波神社 旧郷社 |
札所等 | さぬき十五社四番 |
御朱印 | あり(神職非常駐、要事前連絡) |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | 祭神上陸の地は浦生の鵜羽神社 |
参考文献
- 「下高岡村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「鰐河神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 梶原藍水『古今讃岐名勝図絵』高松製版印刷所, 1930(国会図書館デジタルコレクション 80コマ)
- 香川県神職会編『香川県神社誌 上巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 145-146コマ)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 282コマ)