神明神社(大野市木本)

神明神社。

大野市木本に鎮座。

式内社 高於磐座神社の旧鎮座地の可能性がある地に建つ神社。

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境内

社号標

 

参道

 

鳥居

 

境内入口の橋前には電気柵があるので注意

 

手水舎

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿…にあたる場所には三社並んでいました

左から春日神社、神明神社、住吉神社のようです。

 

木本地頭方の三社神社

住吉神社[中筒之男命](正面右側)

底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三神

伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊をし水底、水中、水上にて漱いだときに成り出た神

綿津見三神で墨江の三前の大神なり

即ち水、海の神とされ木本地頭方には中筒之男命が祀られています

明治四十一年まで木本村十八番地字上遊女(現山田半右エ門前)に鎮座され山田家が長くお守りをしていましたが諸般の事情により当時の連合戸長に相談し同年十二月二十三日神明神社境内社に移転され現在に至る

 

神明神社[祭神]天照大神[合祀神]豊受大神(正面真中)

伊邪那岐命が黄泉国から逃げ帰り筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原において禊をした時に生れた神である

左目を洗ったとき成り出た神の名は天照大神(太陽の神)

右目を洗ったとき成り出た神の名は月読命(月の神)

鼻を洗ったとき成り出た神の名は建速須佐之男命(海の神)

この時、伊邪那岐命はたいそう喜んで「私はこれまで子を次々と生んだが最後に三柱の貴い子を得た」と仰せになったという

 

春日神社[祭神]天津児屋根命[合祀神]天照大日孁尊(正面左側)

天津児屋根命は神話の天岩屋戸と天孫降臨の段に登場する神である

天照大神が天石屋戸へ籠ったとき八百万の神たちが集まり榊に勾玉、鏡と布帛(布切れ)をつけて御幣として天津屋根命が祝詞を奏上したという

さらに天津児屋根命は「中臣連等之祖」とある

中臣鎌足は大化の改新や律令国家の基礎を築いた功を認められ中臣の姓から天智天皇より藤原の姓を賜った藤原鎌足を指す

木本においては平安時代小山荘木本郷であった当時越前国大野郡は鳥羽上皇の寵妃藤原得子の分国でその従兄弟の参議藤原成通の領地であった

藤原氏の氏神は春日大社(奈良市)であり氏寺は興福寺(奈良市)である

こうしたことから地方に春日連合ができ全国藤原氏領には春日神社が祀られている

磐座?

境内には大きな岩があるということだったのですが、それらしき岩は見当たらず。

夏だったので草に埋もれていたのか、あるいは境内の端とかにあって見落としたのか。

 

巨岩ではありませんが、境内には意味ありげに置かれた岩が複数ありました

由緒

創建時期、由緒不詳。

明治41年に住吉神社を、大正2年に秋葉神社を合祀。

 

式内社調査報告の高於磐座神社の項に掲載されている地図では、なぜか現在の高於磐座神社ではなく、当社の位置がマークされています。

高於磐座神社は当初、鷹の巣という地に鎮座し、また明治43年までは字三滴に鎮座していたというので、誤って旧地をマークした可能性もあります(鷹の巣と三滴が別の場所なのかは不明)。

また同書によれば、木本から清瀧川を遡って宝慶寺に行く途中に数メートルの岩があり、そこが高於磐座神社の旧地(=鷹の巣?)らしいのですが、玄松子の記憶さんによると当社境内左手斜面に大きな岩が転がっていたとのこと(上述の通り、現在は見当たらず)。

その巨岩=旧鎮座地の岩で、当地=鷹の巣なのかもしれません。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

越前大野駅前から南に延びる道をしばらく走ると木本地区に出ます。

 

ここが参道入口。

駐車場はありません。

神社概要

社名神明神社(しんめいじんじゃ)
住所福井県大野市木本148字正柴谷21
祭神

天照大神

豊受大神

社格等

式内社 越前国大野郡 高於磐座神社(旧地?)

旧無格社

御朱印不明
駐車場なし

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