磐座神社。
大野市西大月に鎮座。
式内社 大槻磐座神社に比定される神社。
境内
一の鳥居
左手に見えるのは曹洞宗永平寺派の禅師峰寺。道元禅師の旧跡とのこと。
社号標
二の鳥居
石橋
境内
狛犬
社殿
拝殿
扁額
拝殿裏石段
石段上に本殿
磐座
拝殿右手に3つ並んだ大小の岩
かつては注連縄が巻かれていたこともあるようです。ただ、磐座であるかどうかは不明だそう。
村人が地面に掘って立てたという伝承も。
境内には他にもいくつかの岩が
また、昭和19年に地下から灯明台のような人の手が加えられた四角い石が2つ出土し、神社に納められたとのことです。
由緒
御祭神
天津彦彦火瓊瓊杵尊を祀る
瓊瓊杵尊
天照大神の御孫 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の御子 天照大神より三種の神器を親授され高天原から日向国高千穂峰に降られ国土を治められた神である
式内社
今依り約一〇五二年前(西暦九二七年)延喜年間朝廷に於いて全国の神社を調査した際当時既に格式がある神社として献上を受けていた神社を延喜式内社と定めた 延喜式内社を式内社と謂う
磐座神社
神社歴は千二百年とも千三百年とも伝えられ旧大野郡式内九社の一社で古代より大槻村の神社である
大槻村の由来
古代大野盆地が湖であった頃大槻村の祖先は此の神社の周辺に住んでいた
或る深夜突然神社が炎上村人は御神体を案じて馳せ参じたところ既に御神体は神社の境内にあった大槻の樹上高くに避難され燦然と光り輝きながら遷座されて居たと伝えられる
村人は大槻を讃歎し以後部落を大槻村と呼び最も敬神の念厚い氏子として大いに栄えたと伝えられる
何時の日か定かではないが此の大槻も朽ちその位置から臨む大野盆地は湖と月とが素晴らしく調和していた
人々はその眺望を称え大月村と呼ぶようになり東西の大月に分かれ現在に至っている
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「越前国大野郡 大槻磐座神社」に比定されています。
伝承によれば、往古神社が炎上した際、御神体は境内の大槻の樹上に自ら避難し、燦然と輝いていたということがあり、それから村を大槻村と呼ぶようになったといいます。
後に大槻は朽ちたものの、その位置から臨む湖(古代大野盆地は湖だったという)と月が素晴らしく調和していたために村名は大月村となったとも。
かつての社地は現在より30メートル程右手であったという伝えもあります。
明治9年村社列格。
明治43年太田白山神社、東大月八幡神社を合祀。その後時期不明ですが白山神社は旧に復したようです。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
中部縦貫自動車道の大野ICを福井・大野市街方面(左手)に降ります。500mほど先の交差点(位置)を右折。
400mほど先(位置、白山神社の鳥居があるところ)を左手に入り、1kmほど先の突き当りを左に。
250mほどで社頭。
駐車場はありません。
神社概要
社名 | 磐座神社(いわくらじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 福井県大野市西大月字磐倉1 |
祭神 | 彦火々瓊々杵尊 |
社格等 | 式内社 越前国大野郡 大槻磐座神社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | 旧地は現在より30メートル程右手という |
参考文献
- 「大月村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「磐座神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十五巻 北陸道1』皇學館大学出版部, 1986
- 福井県神社庁編『御大典記念福井県神社誌』福井県神社庁, 1994