荒島神社。
大野市佐開に鎮座。
式内社 荒嶋神社に比定される神社。
境内
一の鳥居
社号標
手水鉢
二の鳥居
狛犬
社殿
拝殿
扁額
本殿
本殿扁額「春日宮」
本殿前左右に巨木
嵐嶌宮
拝殿左手に「嵐嶌宮」の扁額が掛かった社殿があります。雪囲い?の中、扉脇に荒嶋神社の札も掛かっています。
『式内社調査報告』には「木像の釈迦如来の仏頭及び風化虫害を受けて欠損した仏像が神庫(荒島堂)に安置されている」とあります。像は祭礼の日に開帳されているとのこと。
元は神庫で後に境内社・荒島神社(というより社号からするとこちらが本社扱いなのか)としたのか、初めから神庫=荒島神社だったのかは不明。
嵐嶌宮
扁額
境内社等
天満神社(天神さん)
白山神社(北堂さん)
村上神社(権現さん)
神明神社
八幡神社
由緒
創建時期は不詳。
元は東に聳える荒島岳の中腹四合目にあったと伝わります。
往古物部荒山がこの山を領し、没後に里人が大権現として奉ったとも。
延喜式神名帳にみえる「越前国大野郡 荒嶋神社」は荒島岳に鎮座した社に比定されています。
天平7年(735)、行基が飯降山で270余体の仏像を造り、正観世音菩薩の像を荒島岳に安置。
文明13年(1481)、雪崩により社殿が崩落。
尊像の首のみが岩の間に残っていたのが見つかったといいます。現在、当社の釈迦如来仏頭が市の文化財となっていますが、これがその尊像の首でしょうか。
その後、元の宮地から半丁程(5~60m)下に社を建立。
明治元年、現在地へ遷宮。『福井県神社誌』には「木像(=仏頭?)は従来岳頂の堂宇に遺存せしも、明治四三年八月現今の境内に遷し、神宝として神庫に保存す」とあるので、明治末までは旧地の社殿(堂)も存在していたようです。
現在地には元々春日神社があり、合祀となりました。春日神社の由緒は不詳。
明治9年村社列格。
前述の通り、現在は神庫(荒島堂)と思われる建物に荒島神社の社号札があるため、春日神社と荒島神社は分けられているようにみえます。
由緒や境内の配置からは春日神社が本社のように思えますが、現社号は荒島神社。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
大野市中心部から国道157号を南へ。
市街地南東にあるエキサイト広場の前から6kmほどのところ(位置)で左折(東へ)。川を渡ります。
その先、左手に公民館と倉庫?があるところ(位置)、で右手(東)に折れると、奥に神社があります。
駐車場は記憶が定かではないですが、多分ありません。公民館前の駐車スペースをお借りするのが無難です。
神社概要
社名 | 荒島神社(あらしまじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 春日宮 |
住所 | 福井県大野市佐開字下宅地55 |
祭神 | 物部大連 天津児屋根命 |
社格等 | 式内社 越前国大野郡 荒嶋神社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | 旧地は荒島岳の中腹四合目 |
参考文献
- 「荒島岳」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「荒島神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十五巻 北陸道1』皇學館大学出版部, 1986
- 福井県神社庁編『御大典記念福井県神社誌』福井県神社庁, 1994