温泉神社(いわき市常磐湯本町三函)

温泉神社。

いわき湯本の温泉街に鎮座。

式内社 温泉神社に比定される神社。

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境内

社頭

写真を撮っている位置、参道の道路向かいの側溝は近くの温泉からの排水が流れていて湯気がもくもくしています。夜は信号や街灯の光が湯気でぼやけてちょっと幻想的になります。(排水の湯気で幻想的っていうのもあれですが)

 

社号標

 

由緒書…ですが左下の辺りが判読不能

 

表参道

手前左右の円柱は、東日本大震災で倒壊した一の鳥居の根本部分。

 

歌碑

あかずしてわかれしひとのすむさとはさはこのみゆるやまのあなたか

 

頂点から温泉が湧きだしている石碑

由緒書によると、温泉清め所というらしいです。

 

鳥居

 

狛犬

 

鳥居左手から迂回して境内に入る車道

右手奥に見えるのはいわき市役所常磐支所。手前は温泉のタンク?

社殿

拝殿

 

拝殿脇の狛犬

 

本殿

 

本殿前の狛犬

境内社

竈處社、福富久社、歳徳社

 

常磐城稲荷神社

 

扁額

 

常磐城稲荷神社社号標

 

小社3社

左から足尾神社・智々父神社、出雲神社・三輪神社、津島神社・八坂神社

 

むすび磐境

近年(昭和後半)に湯ノ岳から運んできた巨石で造った磐境。

平成祭データによれば、上記の他に境内社として、粟島神社、足尾神社、若宮神社、瘡守稲荷神社、別雷社、八坂三峰両所神社、子種神社、古峯神社、大山祇神社、天神社、水神社の記載があります。

 

八坂三峯両所神社は当社の南東、御幸山公園内に鎮座(位置)。

子種神社(子種大山祇神社)は当社東、常磐線の線路を跨いだ向こう側に鎮座(位置)。

古峯神社(古峯大山祇神社)は当社西に鎮座(位置)。

 

古峯神社のみ参拝したので写真掲載。

 

登り口

 

社号標

 

狛犬

 

社殿

 

社殿後方(本殿?)

 

すると残りは粟島神社、足尾神社、若宮神社、瘡守稲荷神社、別雷社、天神社、水神社。

 

境内にある小祠のいずれかに該当するのでしょうか、あるいは境外にあるのでしょうか

他に、南300mほどにある御幸山には御旅所があるとのこと。

 

神楽殿

旧地・観音山

後述の由緒の項に記載するように、かつては現社地北向かいの観音山に鎮座していたとされます。

 

神社向かいのローソンの裏に階段があります

かなり急傾斜。もう少し北側、惣善寺の手前にも階段があります。お寺の前の階段の方が緩やかです。

 

中腹に子育観音像と野口雨情の七つの子の碑が立っています

 

山頂まで登ると十一面観世音菩薩像

 

山頂は平地になっています

特に何もない公園ですが、春は桜がきれいで、お花見会場になるのだとか。

観音山は一山そのものが観音さまとして信仰されていた山で、山頂にはかつて平藩主・内藤公が寄進した観音堂がありましたが、戊辰戦争で焼失しました。観音堂の御本尊、観世音菩薩像は焼失の際には難を逃れたものの、そのまま行方不明になってしまったそうで、今も惣善寺では情報提供を呼び掛けています。(湯本のどこかの家にあるらしいのですが)

 

端の方に謎のブロック積と階段

観音堂跡かと思いましたが、それにしては新しい気がするので違いそう。温泉神社の跡地を思わせるようなものはありませんでした。

由緒

創建時期は不詳。

延喜式神名帳に「陸奥国磐城郡 温泉神社」とみえる他は、古書にその名は見えません。

境内由緒書には「貞観五年(863)に従五位下の神階を授かる」とあります(三代実録には見当たらず)。

 

神社明細帳の由緒によれば、白鳳2年(天武2年、673)「小子部連鉏鉤ト申人ニ御勅命被爲在候テ御建立」とありますが、鉏鉤は尾張国司で壬申の乱の功臣の一人であり、日本書紀 天武天皇元年八月甲申(25日)条に「先是。尾張国司守少子部連鉏鉤匿山自死之。云々」とあるため矛盾します。

ただし当社由緒書には、天武天皇白鳳2年に小子部連鉏鈞の三男で初代神主の小子部宿禰佐波古直足が勅命により湯ノ岳山頂から湯本三函の地に遷座したとあります。

 

元禄2年(1689)の『書上』(当社架蔵『紙虫の喰痕』所引)には、

一、當社者五拾年以前に炎燒致し棟札縁起燒失仕候得共草創以來何人建立申事知れ不申候

一、從 内藤左京大夫様延寶五戌午年當社御建立則至翌年遷宮事

とあります。

 

『紙虫の喰痕』には慶長2年(1597)と慶安4年(1651)の棟札写が掲げられていますが、前者は棟札縁起焼失とする『書上』の記述と合わず、後者は元禄2年から僅か38年前の重要な史実が『書上』に記述がないといった疑問点が残ります。

同書には延宝6年(1678)の棟札写も掲げられているため、これ以降は確実と見られます。

 

神社明細帳の由緒には、暦応3年(1340)観音山の中程(現社地の北向い)に社地を新築し遷座したとあります。

現社地への遷座については、慶安4年(1651)説、延宝6年(1678)説、明和5年(1768)説の三説があるようですが、「由緒」には宝暦8年(1758)新社地替、同9年(1759)地鎮祭執行、明和5年(1768)観音山より遷座したとあり、地鎮祭から10年も要していることから単なる建替えとは考えられず、この時現社地に遷座したものであろう、と『式内社調査報告』では推測しています。

当社由緒書も明和5年遷座としています。

 

北西にある湯ノ岳(佐波古峰、三函峰)を神体山とします。

上述の通り、往古は湯ノ岳に鎮座し、白鳳2年に三函の地へ里宮として遷祀されたとされます。

しかし、『式内社調査報告』では、当社は「温泉石神社」や「温泉山神社」ではなく、本来は温泉そのものを祀ったものであり、湯ノ岳を神体山として意識するようになったのは後世のことだとしています。

実際に、宮城県大崎市鳴子温泉には温泉石神社という式内社があります。

神社側としては、湯ノ岳信仰に基づくという見解のよう。

 

 

明治12年郷社、昭和5年県社に列格。

 

現祭神は、大己貴命と少彦名命で、相殿に事代主命を祀ります。

 

慶長2年(1597)に仮託された『神幸由来誌』には以下のようにあります。

日本武尊東征の砌、大己貴大神が御子神等を率いて軍艦の舳艫に出現し、皇軍を嚮導して菊多国多邪湊(現小名浜)に着いた。大神は瀧尻川(現藤原川)を指して、この河上に温泉邑があって、吾が弟少彦名命が鎮座しているとして、皇子を導いて少彦名命と再会したいといい、温泉邑に至って鎮座した」

要するに、元々は少彦名命一柱が祀られており、日本武尊東征の際に大己貴命が合祀されたということのようです。

 

しかし、温泉神社という社名から、本来の祭神は湧き出る温泉そのもので、これが霊格化されたものであるとする見方もあります。

御朱印

御朱印はあります。

社務所(境内右手道路側にある建物がおそらく社務所)で拝受可。

宮司さんの苗字は「佐波古」。由緒の項で触れた佐波古直足から代々続く神主家とされています。

アクセス

いわき湯本駅の北西400mほど。駐車場は駅の西にある湯本駅前広場駐車場(位置)を使いましょう。30分まで無料、以降30分ごと100円です。駅前ロータリーのところに入り口があります。

神社へは駅前から県道56号を北へ、天王崎交差点を直進。少し行くと左手に温泉神社の社号標が見えてきます。

一応、表参道から境内まで車で乗り入れることもできるにはできるのですが、一般向けの駐車スペースではないかも。聞いていないのでわかりませんが。

神社概要

社名温泉神社(おんせんじんじゃ/ゆのじんじゃ)
通称

ゆぜん様

湯神(ゆじん)様

湯殿(ゆでん)様

佐波古神社

温泉大明神

佐波古温泉神社

三箱温泉神社

旧称
住所福島県いわき市常磐湯本町三函322
祭神

少彦名命

大己貴命

配祀事代主命
社格等

式内社 陸奥国磐城郡 温泉神社

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場なし(境内駐車可否未確認/湯本駅前に有料駐車場あり)
公式Webサイトhttp://onsen-jinja.or.jp/
備考

北西の湯ノ岳が神体山、旧地もその山頂との説あり

暦応3年~明和5年(?)まで北向の観音山の中程に鎮座

参考文献

  • 「温泉神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「温泉神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 449-450コマ