大津神社(飛騨市神岡町船津)

大津神社。

神岡町船津に鎮座。国道41号と471号が分岐する船津北交差点の少し南。

式内社 大津神社の論社。

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境内

社頭

 

社号標

 

一の鳥居

 

参道

 

手水舎

 

二の鳥居

 

神代舊跡大津神社碑

 

裏参道社号標

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

参道下の秋葉神社

 

攝宮

 

木魂神社

 

稲荷神社

 

お狐さん

 

包丁塚

 

祓所

 

猿田彦大神碑

 

社殿横の池

 

岐阜県名水五拾選推薦 船津大洞水道

 

県指定無形民俗文化財 船津盆踊

昭和四十四年八月五日指定

この盆踊は、毎年八月十四・十五・十六日、神岡町船津所在の大津神社境内で行われる。

唄も踊もゆったりとしていて、腰から上の手の振りなどの動作が大振りであること、手足を同時に出す振りがあることなど、踊りの古い形態を残している。

唄は、初めはくどき(叙事的な長文を単純な節で唄う)であったものが、江戸時代中頃より現在のような短文の歌詞になったようだ。この地ゆかりの人々や出来事などが唄い込まれた曲は、粋できっぷのいい江戸の木遣り唄を思わせる節々がある。

現在は、神岡民謡保存会によって踊りが継承されている。

由緒

由緒書

式内社大津神社御祭神並御由緒

本社 祭神

大彦命 第八代孝元天皇の皇子に坐す

武渟河別命 主神の嫡子

建南方富命 信州諏訪神社御分霊神

境内社

摂社(合祀神社および御祭神)

神明神社 天照大神

鉱山神社 金山彦大神 金山姫大神

水波神社 水波能売大神

秋葉神社 火彦霊大神

菅原神社 菅原道真

大山祇神社 大山祇大神

事代主神社 恵美須大神

墨縄神社 彦峡知大神 手置帆負大神 飛騨匠御霊

猿田彦神社 猿田彦大神

津島神社 建速須佐之男大神

末社

稲荷神社 宇賀御霊代神

木魂神社 久々能智大神

御由緒

当大津神社の創始年月については不詳であるが平安時代の初期頃すでに祭祀されていたことは確かである。当時の正史ともいうべき文徳天皇実録・清和天皇三代実録に神階昇叙の御沙汰があったこと、また醍醐天皇の御代に編集された延喜式神明帳にも、飛驒国内八社の一つとして祭祀されていたことが記載されている。

中世建武年間に至って高原郷の領主江馬氏は武神信州諏訪大明神を篤く信仰、この時その分霊を勧請し社号も大津神社から諏訪大明神と改めた。従って江馬氏は累代にわたってこの神の祭祀を怠らず、崇敬の誠を尽くした。

天正十年高山の松倉城主三木氏との戰いに敗死し、江馬一族も天正十三年に滅亡した。その時から諏訪大明神は強力な外護者を失った。その後飛驒の国主となった金森氏も諏訪大明神を尊崇元禄五年幕府は金森氏を出羽に遷して飛驒一国を直轄地とした。

しかるに文化の初年国学者田中大秀の門に学んだ当地の稲田元浩・大森旭亭・吉村友閑斎らの考証により、師の田中大秀の賛意を得て社号を諏訪大明神から大津神社に改称、往古の社号に復帰した。

明治維新直後の明治四年十月筑摩県(岐阜県)郷社に列格した。昭和五年十二月内務省から県社昇格の旨示達があり、なを終戦後の昭和二十二年二月官制廃止とともに神社本庁に属し金幣社に又平成二年九月に特別金幣社に列した。

 

案内札

延喜式内社 特別金幣社

大津神社

大津神社の創始年月は不詳ですが、平安時代の初期頃の正史ともいうべき文徳実録・三代実録には神階昇叙のご沙汰があったこと、また、延喜式の神明帳にも飛騨国式内八社の一つとして祭祀されていたことが記載されています。

明治維新直後の明治4年(1871)10月筑摩県第30大区の郷社に列格、昭和5年(1930)12月内務省から県社に昇格、終戦後の昭和22年(1947)官制廃止とともに神社本庁に属し金幣社に、平成2年9月に特別金幣社に列しました。

また、明治28年(1895)の船津大火により、大島の地(現在の船津座付近)から、現在の場所に移築され、今にいたります。

この大津神社と東町白山神社、朝浦八幡宮が催行する春の例祭「神岡祭」は、雅な大行列を特徴とし「高山祭」「古川起し太鼓」と併せ「飛騨三大祭」のひとつとされています。

創建時期は不詳。

 

延喜式神名帳の「飛騨国荒城郡 大津神社」および、三代実録 貞観9年(867)10月5日庚午条にみえる「飛騨国従五位下…大津神…従五位上」の大津神を当社にあてる説があります。

 

往古は今より北に鎮座していたといいます。

『飛騨国総社考』に「もと船津は今の地より北方にて、古大津と云しを、度々水災有しによりて、今の地にうつして、船は水にしたがふ物なればとて、船津とあらたむ。(中略)今川の中島に弁財天を祭れる所在しを、船津に家をうつせし時、今の地に移し奉れりと云伝へたり」とあり、旧地は水害が多かったため集落ごと移動したようです。「川の中島に弁財天を祭れる所」は不詳。現在周辺に川中島は見当たりませんが、かつては存在し自然にあるいは河川工事等で消滅したのでしょうか。

また、同書にある「今の地」とは現社地ではなく、上掲の案内札に見える「大島の地(現在の船津座付近)」を指すようです。したがい、大津(今より北の場所)→大島(船津座付近)→現在地と少なくとも2回の遷座をしたことがわかります。

現在地に遷ったのは明治30年のことで、明治28年の船津大火で社殿焼失したため。なお船津はこれ以前の文化11年(1814)にも大火に見舞われており、この二度の火災で当社は社殿だけでなく資料も焼失、詳しい由緒を辿ることが難しくなってしまっています。

 

かつて(建武~文化)は諏訪神社を勧請したため諏訪大明神と称していましたが、文化元年(1804)に田中大秀の門下生、稲田元浩・大森旭亭・吉村友閑斎らの考証によって式内大津神社に比定され、社号も大津神社に改称(復称)。

明治4年郷社に、昭和5年県社に列格。

 

祭神は大彦命。

『大津神社誌』に祭神の由来について、四道将軍の派遣に祭祀、大彦命と武渟川別命の幣羅坂神社、沙沙貴神社を経て当社に着き、ここから二手に分かれて北陸道と東山道を進んだ、としています。

ただし『特選神名牒』『神社覈録』は祭神について空欄、詳ならずとします。

御朱印

御朱印はあるらしいです。

神職は非常駐で、境内に書置の御朱印も見当たらなかったため、神社近くにあった神社顧問(氏子総代的なポジション?)のお宅で聞いてみたところ、御朱印はないのではないかとのご回答。

ただ、ネット上には平成27年の日付の御朱印の画像があがっており、授与をやめられていなければいただけるのではないかと推測します。

アクセス

国道41号と471号の分岐点、神岡町の船津北交差点(位置)から南へ600mほど下ります。

船津トンネルの手前(位置)から境内に入る道が分岐します。

その道を入ってすぐ、拝殿向かって右手あたりに駐車可能。

神社概要

社名大津神社(おおつじんじゃ)
通称
旧称諏訪大明神
住所岐阜県飛騨市神岡町船津1823-2
祭神大彦命
配祀武渟河別命
合祀建南方富命
社格等

式内社 飛騨国荒城郡 大津神社

日本三代実録 貞観九年十月五日庚午 大津神 従五位上

旧県社

札所等
御朱印あり(?)
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考前鎮座地は船津座付近、それ以前の鎮座地は今より北方(詳細不詳)

参考文献

  • 「大津神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「大津神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十三巻 東山道2』皇學館大学出版部, 1986
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第九巻 美濃・飛騨・信濃』白水社, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 266-267コマ