御刀神社。
常磐線鹿島駅の東1.8kmほどの場所に鎮座。
式内社 御刀神社に比定される神社。
境内
社地全景
当社は東日本大震災による津波の被害を受けたのですが、鎮守の森は残りました。
鳥居
新しかったので、おそらく震災後に再建されたものかと。
参道
倒れた社号標
狛犬
津波で破損したのでしょうか…
狛犬の台座?
石碑も倒れていました
以下は神社の周囲の写真です。
境内から東側(海側)
海までは2km近くあり、直接は見えません。それでもここまで届いたのだから、津波の勢いは推して知るべしです。多くの氏子さんが被害に遭われたということです…現在、氏子さんは20数軒にまで減ってしまったそうです。
周辺には瓦礫が積まれている場所もありました
南東方向
右奥に見えるのは原町火力発電所の煙突です。
当社を兼務されている、伊勢大御神下大神宮の宮司さんの兼務社の一つ、山田神社は当社と同様に津波で社殿を流失しました。それに対し、熊本にある球磨工高伝統建築専攻科の生徒さんが仮社殿と鳥居を寄贈。その後日本財団からの支援もあり、本格的な社殿の再建が進められ、2016年9月11日に竣工奉祝祭が執り行われました。
そこからの熊本とのご縁なのか、宮司さんのFacebookによると当社の社殿再建の提案が熊本県神社庁長からあったそうなのです。ですが、熊本で地震が発生してしまい…現在の状況はわかりません。
熊本の復興とともに、当社もまた復興することを願うばかりです。
仮社殿
仮社殿
前述の通り、津波により社殿は流失してしまいました。2011年6月に、北海道神社庁と東京都の下谷神社の後援でこちらの仮社殿が建てられたとのことです。
扁額
旧社殿の一部でしょうか
お正月(2015年元日)に訪れた際には、しめ飾りがされていました。
本殿跡地
ちなみに、津波で流失した福島の神社の中で、最初に仮社殿が建てられたのが当社なのだそうです。
境内社
古峯神社の碑
右に大神宮の碑
左は八坂神社のようです。
由緒
景行天皇の御世、日本武尊東征の際に勧請したことに始まるとされます。
延喜5年(905)には、御正体を納め国家鎮護の神とされました。
延喜式神名帳にみえる「陸奥国行方郡 御刀神社」に比定されています。
寛喜元年(1129)行方連により神殿造替、神田の寄進あり。
この頃は大社であったそうで、社から200間(約360m)南方に鳥居を建て鳥居門と称したといいます。
しかし、後世には小祀となり、神田も失うことに。
近世には、正徳2年(1712)藩主相馬尊胤が社領五石三升を寄付。
これにより里人の崇敬が高まったといいます。
明治11年(1878)村社列格。
当初は北右田、南右田、北海老、南海老の村社とされましたが、明治34年(1901)に南北海老は北海老地区の鶏足神社を村社としてそちらの氏子となり、以降当社は南北右田を氏子地区とする村社となりました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う津波により、社殿をはじめ、境内社や鳥居が流失。
同年6月にいち早く仮社殿が建てられたものの、まだ本格的な社殿の再建はなされていないのが現状です。
御朱印
御朱印はあります。
当社北西にある伊勢大御神下大神宮(位置)にて拝受可。
事前連絡があった方がいいかもしれません。
アクセス
鹿島駅南にある北千倉交差点(位置)で国道6号から北東に曲がり、そのまま道なりに。しばらく走ると右手、農地の中に鎮守の森が見えてきます。
駐車場は社地西側にあり。
鹿島駅から徒歩だと30分程度です。
神社概要
社名 | 御刀神社(みとじんじゃ) |
---|---|
別称 | 剣ノ宮 剣大明神 |
旧称 | – |
住所 | 福島県南相馬市鹿島区北右田字釼宮112 |
祭神 | 経津主神 |
社格等 | 式内社 陸奥国行方郡 御刀神社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「北右田村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「御刀神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987