楢葉八幡神社。
広野町と楢葉町の境にあるJヴィレッジの少し南に鎮座。
源頼義が源頼義が前九年の役の際に建立したといわれる五里八幡の一社。
境内
社頭から振り返ると広野火力発電所の煙突が見えます
一の鳥居
社号標
右に建っているのは、天保飢饉の際に幕命を待たず郷倉を開き村人を救ったといわれる幕府代官、島田帯刀の顕彰碑です。
参道
こちらは南側の参道
表参道は二の鳥居で直角に曲がりますが、こっちは社殿までまっすぐ。
二の鳥居
割とリアル体形な狛犬
手水舎
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社
境内社
石祠
境内社(稲荷社?)
石祠
祠
境内社
境内社脇の石祠
木(御神木?)と根本の祠
境内社群
平成祭データによると境内社は、北迫天満宮、磐前稲荷神社、大山津見神社、若宮八幡宮。
稲荷神社らしき社は磐前稲荷神社として、他はどれがどれなのでしょう。
由緒
創建は康平年間(1058~64)。
源頼義が前九年の役に際し、石清水八幡宮の神霊を五社山に勧請したのに始まるといいます。
五社山は現社地の西にある山で、かつては楢葉岳とも呼ばれていました(位置)。
鶴岡八幡宮を起点として街道筋に五里毎に八幡宮を勧請建立したといわれ、それらは五里八幡と呼ばれますが、当社もその一社。
その後火災により村内本宮に移り、再び火災にあい現在地に再建されたといいます。
また、治承4年(1180)源頼朝が現在地に遷したとも。
明暦3年(1657)磐城平藩主内藤忠興が社殿を造営、社領を寄進し、楢葉郡の惣社としたといいます。
明治6年(1873)郷社列格(ネットで閲覧可能な広野町勢要覧やその他のサイトの記述に基づく。『明治神社誌料』は明治9年の列格とする)。
御朱印
御朱印はあります。
社殿左手の宮司さん宅で拝受可。
原発南側で宮司さんが常駐されている神社では、だいぶ原発に近い位置(20kmほど)。
もう少し北の楢葉町にある木戸八幡神社も社務は行われているそうですが、常駐ではないようなので、常駐されている神社ではこちらが一番近いのかもしれません。
アクセス
Jヴィレッジのちょっと南、国道6号から西に入ったところにあります。
国道沿いに建つ鳥居(ファミリーマートJヴィレッジ前店から100mちょっと南、位置)のところから車を入れることが可能。
少し南の交差点から住宅地を抜けても二の鳥居前まで行けます。
国道6号の海浜公園入口交差点(位置)を西へ。
道なりに進んでいった先(位置)から境内に入れます。
二の鳥居の右手に停められます。
神社概要
社名 | 楢葉八幡神社(ならははちまんじんじゃ) |
---|---|
通称 | 五社八幡 |
旧称 | 八幡宮 楢葉八幡 |
住所 | 福島県双葉郡広野町大字上北迫字石名坂57 |
祭神 | 品陀和気命 速玉男之命 大帯比咩命 伊邪那美命 豊受命 |
社格等 | 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | かつては五社山に鎮座 その後本宮→現社地へと遷座 |
参考文献
- 「楢葉八幡神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「楢葉八幡神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 450コマ)