金刀比羅宮(琴平町)

金刀比羅宮。

琴平町にある象頭山の中腹に鎮座。

通称は「こんぴらさん」。全国の金刀比羅神社(琴平神社、金比羅神社)の総本宮。

旧国幣中社で、式内社 雲氣神社の論社。

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参道(新町の鳥居~大門)

新町の鳥居

 

こんぴらレトロ街道(商店街)

 

石段の始まり

 

一之坂鳥居

 

備前焼狛犬

 

重要有形民俗文化財 備前焼狛犬

この付近から大門までの急な坂を「一の坂」と呼ぶ

備前岡山の「長榮講」により天保15年(1844)に奉納されたこの備前焼の狛犬は、高さ約5尺の大きなもので、備前焼でつくられた狛犬のなかでも一、二を争う大きさの良作である

この狛犬は備前伊部村の木村長十郎他六名の細工人によってつくられた

いずれも木村一族の人々で、長十郎は当宮の他、岡山市の高松稲荷の狛犬にも細工人として名前が残る

 

灯明堂

 

重要有形民俗文化財 灯明堂と釣灯籠

こんぴら信仰は、庶民の、そして漁民や船乗りの間にこと篤く、この灯明堂は安政五年(一八五八年)に建てられたもので、備前国因之島浦々講中の寄進になり、芸予諸島の人びとの名とともに、堂内の扁額に棟梁、大工、鍛冶、木臼、石工、左官、瓦師などの名が記されている。切妻造、瓦葺、四間一面のこの堂には船の竜骨状の下梁を用い、いかにも島の大工がたてたらしい珍しい構造である。

 

大門までの石段

 

鼓楼

 

清塚

 

鼓楼及清塚

平安朝に令名を馳せた作家清少納言は老後四國に渡り当宮にも参り終に此の地におわると云い伝し二百六十年程前宝永七年この鼓楼建築にあたり、その塚石をみいだしました。のち天保十五年今から百三十年前この碑を建つ

鼓楼は朝夕時刻をしらせる時太鼓を備えた高閣である

 

重要有形民俗文化財 青銅大燈籠

当宮へ奉納の青銅燈籠中最も豪華で山形酒田を始め刻名の多くの奉献になる

発願主 山形南村山郡堀田村 斯波兼松

鋳造 山形 小野田才助

同型のものが山形県山寺に一基

宮城県金華山の黄金山神社に一対奉献

 

大門

 

大門の額

 

大門脇の狛犬

参道(大門~旭社)

大門を潜るとまっすぐな参道

 

狛犬

 

注連柱

 

鳥居

 

もひとつ鳥居

 

こんぴら狗

江戸時代、自分で参拝に行けない人が代参させた犬のことを「こんぴら狗」といいました。

 

プロペラ

 

御厩

 

神馬

 

桜馬場西詰銅鳥居

 

銅鳥居前の狛犬

 

社務所門

書院の勝手口ですが、社務所が書院に付属していた頃の名残で社務所門と呼ばれるそう。

 

書院

 

奥に見えるのは四脚門

黒門と四脚門は普段は閉まっていますが、書院で蹴鞠が行われる5/5、7/7には開き、通ることができるそうです。

 

祓戸社

 

火雷社

 

旭社

かつての松尾寺の金堂。ここは先にお参りせず、帰りに参ることになっています。

 

扁額

 

右御本社と書かれた碑

 

旭社前の手水舎

旭社~御本宮

旭社手前の道を青銅鳥居の方へ進むのが順路。旭社すぐ右にも道がありますが、こちらは下向道。帰りは三穂津姫社の前からここへ降りてきます。

 

鳥居

 

狛犬

 

狛犬

 

賢木門

 

参道と注連柱

 

右手に遥拝所

 

遙拝所の狛犬

 

進むと鳥居と手水舎

この写真を撮った辺りの場所(遥拝所~手水舎までの道)を闇峠といいます。

 

手水舎

 

真須賀神社

 

真須賀神社狛犬

 

御前四段坂

 

御年神社

 

事知神社

 

御前四段坂の鳥居

御本宮前最後の鳥居。

 

狛犬

御本宮

御本宮拝殿

 

御本宮本殿

 

御本宮斜め後方から

 

金刀比羅本宮

祭神 大物主神

のちに崇徳天皇を合せ祀る

社殿 大社関棟造

明治十一年の改築 全檜造りである

農業・殖産・医薬 海上守護の神等古来衆威にあまねく徳を垂れ神徳を仰がる

現在地 海抜二五一米

全山 瀬戸内海国立公園 名勝天然記念物

 

御本宮右に神饌殿

後本宮右手から、奥社・厳魂神社への参道が続いています。

 

 

社殿脇の巨木

境内社

三穂津姫社拝殿

 

三穂津姫社扁額

 

三穂津姫社本殿

 

三穂津姫社

本宮御祭神大物主神の后の神三穂津姫神をまつる

高皇産霊神の御女。社殿は明治九年の建築である

本殿 王子造

拝殿 大社関棟造

 

三穂津姫社狛犬

 

御本宮と三穂津姫神社を繋ぐ廻廊(南渡殿)

 

睦魂神社鳥居

 

睦魂神社

 

睦魂神社

祭神 大国魂神 大国主神 少彦名神

大国魂神は大年神の御子

大国主神は大物主神の荒御魂で共に国土経営に盡された神さまである

少彦名神は神皇産神の御子精悍にして経営の才に富まれ国土に降臨の後大国主神を助けて国土経営に盡され又医薬の大神さまとして尊崇されている

 

睦魂神社狛犬

 

厳島神社

 

下向道の鳥居

 

大山祇神社(下向道途中)

 

大山祇神社狛犬

 

神楽殿

 

御炊舎

 

絵馬殿

 

絵馬殿に納められたボート?

 

銅馬

由緒

由緒板

大国主神の和魂にあらせられる大物主神は農業を始め水陸交通医薬技芸等あらゆる産業や文化に顕著な神徳を発現せられたので国土は大いに始まり民生は安定したのである

この浄城はその行宮のあとに大御神霊が鎮座あそばされた所で古往御相殿の神崇徳天皇を御始め無数の人々があまねく霊澤に浴した源頭であり今来亦當に神と人との和合せらるべきたましいのふるさとである

御鎮座 凡三千年前

御相殿 崇徳天皇 永万元年 八百年程前

社殿建築 長保三年以後数次

社領寄進 元亀四年以後数次

改称 明治元年金毘羅大権現を金刀比羅宮と御改称

創建年代不詳。

象頭山を神体山とする信仰があり、一説には延喜式神名帳にみえる「讃岐国多度郡 雲氣神社」が金刀比羅宮の原始社頭ではないかと言われています。

 

延宝5年(1677)の『玉藻集』や延享2年(1745)の『讃州府志』には「この山の鎮座已に三千年に向づく」とあります。

象頭山の下まで海が入り込んでいた頃、琴平の地は瀬戸内海航路の要所であり、大物主神はこの地に本拠を定め中国四国九州の経営に当たったといい、その旧跡に祀られたのが当社であるともいわれます。

 

初めは大物主神を祀り、琴平神社と称していました。

その後、本地垂迹説により金毘羅大権現と改称したとされます。

別の説では、大宝年間に役小角が象頭山に登った際に護法善神金毘羅の神験に遭った開山の縁起との伝承があり、ここから金毘羅大権現になったとされます。

 

長保3年(1001)一条天皇が藤原実秋に勅し社殿を修造。

長寛元年(1163年)に崇徳上皇が参籠したことから、永万元年(1165)に崇徳天皇を合祀。

 

その後戦国時代には荒廃しますが、象頭山金光院松尾寺の別当となった宥盛が境内を整備。

彼は死の直前に神体を守るため天狗に身を変えたとの伝説があります。

松尾寺の金毘羅堂に関する最古の明確な資料は、元亀4年(1573)の金毘羅赤如神宝殿造営の棟札が最古のもので、表に「上棟象頭山松尾寺金毘羅王赤如神御宝殿、当時別当金光院権少僧都宥雅造営焉、于時元亀四癸酉十一月廿七日記之」、裏に「金毘羅堂建立、本尊鎮座法楽庭儀曼荼羅供師高野山金剛三昧院権大僧都法印良昌勤之」と書かれています。

実際のところ象頭山金毘羅大権現としてはここに始まると考えられており、金毘羅信仰としての歴史は案外新しいことになります。

 

江戸時代には信仰は広がりを見せ、中期には各地で金毘羅講が組織され、金毘羅参りが盛んに行われました。金毘羅参りは伊勢神宮へのお陰参りに並ぶ庶民の憧れだったといわれます。

江戸末期には「こんぴら船々 追風に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」の歌詞で有名な民謡、金比羅船々が歌われるようになりました。

 

明治元年(1868)神仏分離令により神仏混淆を廃したことにより、松尾寺は廃され琴平神社に改称。

同年7月、金刀比羅宮、明治4年(1871)事比羅宮、明治22年(1889)に再び金刀比羅宮と度々改称。

明治4年(1871)国幣小社に、明治18年(1885)国幣中社に列格。

 

元々、象頭山松尾寺には本坊金光院と、塔頭の神護院・尊勝院・萬福院・真光院・普門院がありました。これらの寺院は神社への転換と共に廃されてしまうのですが、普門院が法灯を継承し(普門院は廃されずに山を降りたのか、廃された後に再興したのかは不明)、象頭山普門院松尾寺として存続しています。

金毘羅大権現の本地仏として祀られていた本尊十一面観音像は重要文化財に指定され、現在宝物館に保管されています。

 

現在は宗教法人金刀比羅本教の総本宮となっています。

以前は神社本庁の被包括宗教法人であり、別表神社に指定されていましたが、2020年11月を以って被包括関係を解消し単立神社となりました。

離脱の理由として当社公式サイトでは、神社本庁による不動産の不正取引問題に不信感を抱いていたこと、また令和元年11月、天皇陛下即位に伴う大嘗祭当日祭に供される臨時の神社本庁幣帛料が送付されなかったことを挙げています。

 

 

御朱印

御朱印はあります。

オリジナル御朱印帳もあり。社務所で拝受可。

 

アクセス

金比羅宮参拝者用の駐車場はないので、町営もしくは民間の駐車場を利用することになります。時間あたりの料金の安さから言えば、JR琴平駅すぐそばの町営駐車場2ヶ所。

 

こちらが西駐車場(位置

 

こちらが東駐車場(位置

ただし、町営駐車場は1時間200円(普通車・軽自動車)。奥社まで参拝、食事や寄り道をすることを考えると3時間程度は見る必要があります。

当社周辺には一日500円の民間駐車場が多いので、時間がかかる予定ならそちらに停めたほうがよいかも(ただし年末年始、GW、お盆、10月の大祭といった特別日は料金大幅割増となるところも多い)。

例としては…

 

タイムズ琴平こんぴら前(位置

金刀比羅宮の公式サイトで紹介されている駐車場。収容台数121台と大きめ。

料金は以下の通り(タイムズの公式サイト情報/2022年1月現在)。

平日:60分300円/一日最大500円、土日祝:60分500円/一日最大800円

特別日の料金割増もなく、お店とのしがらみもなし。さらに広くて停めやすいので、何も考えずここを目指すのが最適解な気がします。休日の昼間とかは埋まってそうですが。

 

こんぴら一段目駐車場(位置、現地未確認のため保証なし)

石段の起点からすぐ右手にあります。参道に近い上に安いですが、人通りの多い道の奥なので出入りが大変かも。周辺の店との提携有無は不明。ただ私は現地確認しておらず、Googlemapにも登録ないので現在も存在するのか不明(一応ストリートビューではP500円の表示が見えますが…)。

 

他に、若干歩くことにはなりますが琴平ステーションパーキングは道も通りやすそうで500円/1日、ナイスパーキング琴平町第2-121は100円/60分で最大料金400円と安めなので、よさそうな気がします。

それ以外にもお土産屋さんのやっている駐車場が多くあります。大方は料金○○円、お土産を××円以上購入で無料としていますが、稀に料金無料を謳っておいて後からお土産の購入を強制するところもあるらしいのでご注意ください。

神社概要

社名金刀比羅宮(ことひらぐう)
通称こんぴらさん
旧称金毘羅大権現
住所香川県仲多度郡琴平町892-1
祭神大物主神
配祀崇徳天皇
社格等

式内社 讃岐国多度郡 雲氣神社

旧国幣中社

元別表神社(2020年11月神社本庁との非包括関係解消)

札所等さぬき十五社十三番
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場なし(町営・民営の駐車場多数あり)
公式Webサイトhttp://www.konpira.or.jp/
備考奥社・厳魂神社が御本宮から更に登った場所に鎮座

参考文献

  • 「金刀比羅宮」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「金刀比羅宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 香川県神職会編『香川県神社誌 下巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 110-112コマ
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984