厳魂神社〔金刀比羅宮奥社〕(琴平町)

厳魂神社。

金刀比羅宮の本宮から石段を583段(麓からは1368段)を登り切った先に鎮座。

金刀比羅宮の奥社に当たる神社。

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参道・境内社

金刀比羅宮本宮右手奥の鳥居

 

参道は舗装されています

 

常磐神社

 

白峰神社手水舎

 

花崗石神明造の石鳥居

 

由緒板

白峰神社

正殿 崇徳天皇

相殿 待賢門院・大山祇神

第75代の皇位を御継承遊ばされた崇徳天皇は、御年17才で近衛天皇に御譲位上皇になられました。保元の乱に讃岐に遷されて9年間此地で御苦労の末崩御遊ばされたので白峰の山稜に葬り奉りました。

まことに恐れ多い極みであります。上皇御在世中京の御所でお仕えしていた阿闍梨章実と云う者が崩御の後上皇を御慕いして讃岐にまいり、此地での上皇の仮御座所であった木の丸殿の建物をひいて山陵の側に建て上皇の神霊を祀り頓證寺と称しました。其後慶応4年勅使の参向があって上皇の神霊は京都に帰られて今の白峰神宮に奉齋されましたのでここに頓證寺は廃止となりましたが殿堂はそのままとなっていたので明治11年愛媛県令から内務部に願い出て金刀比羅宮境外摂社として崇徳天皇を奉齋した創剏が許可になり正殿には崇徳天皇を旧本地堂には待賢門院を旧相模坊堂には大山祗神を奉祀して敷地建物宝物等一切当宮の所有に帰しました。当宮からは詰員を常置し祭日には祭員・伶人・舞人を巡遣して祭儀を執行して来ましたが明治31年本宮境内に御遷座し一時三穂津姫社に奉齋社殿新築成って大正2年現在の社殿に正遷座を奉仕した次第であります。

中門左右の随神には源為義、源為朝の像で元頓證寺の勅額門に安置されていたものであります。

 

白峰神社拝殿

 

白峰神社本殿

 

紅葉谷鳥居

 

石碑

 

菅原神社

 

階段が続いた後、しばし平坦な道になります

 

卯花谷休憩所

 

卯花谷休憩所前で道は急カーブして折り返し

折り返してすぐに鳥居。

 

しばし上ると手水舎

ここでまた折り返し。奥社まで最後の階段約100段を上ります。

 

奥社手前にモノラック(モノレール)

白峰神社からの荷揚げ用です。

厳魂神社

厳魂神社鳥居

 

厳魂神社拝殿

 

厳魂神社本殿

撮りづらい位置で、屋根しか見えません。

 

社殿西側の岸壁、威徳巖(いとくのいわ)

祭神厳魂彦命が参籠した旧跡。崇徳上皇も参籠したと伝えられます。

 

威徳巖の上方には天狗とカラス天狗の彫り物が

 

展望は抜群

琴平町と丸亀市が見渡せます。正面左に見えるのが讃岐富士とも言われる飯野山。

由緒

慶長年間に別当をつとめた金剛坊宥盛を「厳魂彦命」として祀る神社。

宥盛は戦国時代に荒廃した松尾寺金光院を再興し、信仰を広めました。

彼は死の直前に神体を守るため天狗に身を変えたとも言われます。

 

初めは威徳殿といい、明治8年に厳魂神社へ改称。

明治38年12月に、絵馬殿付近から現在地に遷座されました。

 

香川県神社誌

世に奥社と奉称す。慶長十九年の鎮座なり。祭神厳魂彦命は慶長年間金毘羅大権現の別当たりし人にして金剛坊宥盛と称す。当時戦国の世にありてよく四方を綏撫し遠近其の徳に服す。安政四年勅して大僧正を贈らる。初め威徳殿と称へられしが明治八年厳魂神社と改称す。明治三十八年十二月絵馬殿付近より現今の内瀧の地に遷となす。蓋し命の遺志に基くものなり。

御朱印

御朱印はあります。

厳魂神社手前にある社務所で拝受可。常駐のようです。

白峰神社も御朱印はあります。白峰神社脇の御守所で拝受可。ただし、こちらは不在の場合もあります。その場合は御本宮の社務所で拝受可。ただし書置きになります。

 

アクセス

金刀比羅宮御本宮社殿の右手奥に進むと鳥居があり、道が続いています。そこから登っていきます。

徒歩でしか行けません。

神社概要

社名厳魂神社(いづたまじんじゃ)
通称奥社
旧称
住所香川県仲多度郡琴平町892-1
祭神厳魂彦命
社格等金刀比羅宮奥社
札所等
御朱印あり(参道途中にある金刀比羅宮境内社 白峰神社も御朱印あり)
御朱印帳
駐車場なし(麓の町営・民営駐車場を利用)
公式Webサイトhttp://www.konpira.or.jp/
備考本宮:金刀比羅宮

参考文献