古烏神社。
阿南市宝田町川原に鎮座。
式内社 建比賣神社に比定される神社。
境内
鳥居
『式内社調査報告』に白木の鳥居を10年毎に建て替えるとありましたが、現在はコンクリの鳥居でした。
手水舎
狛犬
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
三拾番神社
御祭神 罔象女命
昔は川原百一番に鎮座せしを、昭和になり、当神社に遷座した。
罔象女命は水の神様で、人間をはじめ、あらゆる動植物の命の根源であります。
石祠
由緒
此の社はもと建比売神社と称していたが多くの歳月を経るに従い社地に古木うっ葱と茂り静かで奥深く普段樹木に鴉が多く棲息していたので古老等は古烏大神宮と呼んでいたが明治三年神社制度改革にあたり古烏神社と改名された。創建は幾多の災害に罹った為に其の資料を失い不詳であるが大宝二年(七〇二)と伝えられている。本社は延喜式神名帳に格式古社として登録され御祭神を建比売命と称し竹原郷荒井下村川瀬ヶ崎に鎮座されたとある。この神は諸説あるが大国主命の娘建比売命下照姫或いは豊葦建姫命と称され社務所に巫女等がいて神事を司っていたと言う。
尚鳥居は式宮の証しとして今も顕示され亦讃岐の白鳥阿波の黒鳥との伝承は往年の神威の一端を示すものである。
創建は大宝2年(702)。
ただし由緒碑に「創建は幾多の災害に罹った為に其の資料を失い不詳」ともあるので、大宝2年創建が何に基づくものなのか不明。
鎮座地は那賀川や桑野川の氾濫原であるため、洪水で社殿や宝物が失われたという伝承もあります(鎮座地移動の有無については不明)。
延喜式神名帳にみえる「阿波国那賀郡 建比賣神社」は当社に比定されています。
社地に古木が鬱蒼と茂り、カラスが多く棲息したことから、いつの頃からか古烏神社(古烏大神宮、小烏明神)と呼ばれるようになったといいます。
「讃岐の白鳥・阿波の黒鳥」という伝承もあるそうです。
中世期には衰微したようで、当地を含む竹原庄の総鎮守となった八桙神社(式内社)の勢力下に組み込まれてしまったとみられます。
その後いつの頃にか正八幡神社(宝田町郡鎮座、位置)の末社に。
明治3年に改称があったようですが、境内由緒碑は古烏神社に、『式内社調査報告』(が引用する『宝田村誌』)は建比売神社に改称したとします。
後者だった場合、その後古烏神社に改称があったはずですがそれに関する言及はなし。
明治30年に火災に遭い、藩政期の棟札を含む一切を焼失。
明治31~32年に再建。
現祭神は建比売命。
『阿波志』は建比売を下照姫(高姫)、あるいは埴安比売(建島女祖神)ではないかとします。
また当社宮司さんは、女性神・安産神として信仰を集める豊葦建姫命(武蔵の多気比売神社祭神)と同一神ではないかとする説を挙げています(『式内社調査報告』)。
御朱印
御朱印の有無は不明。
本務社は宝田町郡の正八幡神社。
アクセス
阿南駅の南から県道130号を徳島・小松島方面に向かい、桑野川を渡った先で右手に入ると割とすぐ神社。
ただ駐車場がありません。
桑野川の対岸にある浜の浦緑地に広い駐車場があるので(位置)、そちらを借りるのがよいと思います(少し歩きますが)。
神社概要
社名 | 古烏神社(こがらすじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | – | |
旧称 | 小烏明神 | |
住所 | 徳島県阿南市宝田町川原64 | |
祭神 | 建比売命 | 現祭神 |
下照姫命(高姫命) | 『阿波志』 『阿府志』 | |
埴安比売神(建島女祖神) | 『阿波志』 | |
豊葦建姫命 | 当社神職説 | |
社格等 | 式内社 阿波国那賀郡 建比賣神社 正八幡神社境外末社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | なし | |
公式Webサイト | – | |
備考 | – |
参考文献
- 「下荒井村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「古烏神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019