㟁河神社。
洲本市上内膳、洲本ICそばに鎮座。
式内社 岸河神社の論社。
境内
鳥居
扁額
「㟁」は「岸」の異体字。
ただ登記上はこの字(外字)
「㟁」より「𡶜」に近い?
社号標
手水鉢
社殿
拝殿
本殿
本殿前の狛犬
境内社等
境内左手に若宮神社の玉垣
若宮神社社号標
若宮神社
鳥居左手に木が植えられています
おそらく『式内社調査報告』にある「拝殿と鳥居の中間右側に神主が祈るための石の座があつて榊が一本植ゑられてゐる」というのがこちらを指すかと思われます。
石祠
『式内社調査報告』、前掲の榊の記述に続き「其の前に二本の大木の前にコンクリートの臺がある。これが『兵庫縣神社誌』下巻にある境内神社の地主祠とある名残りであらう」とあるのですが、こちらが地主祠なのでしょうか。台だけでなく祠もありますが…位置関係も記述と異なりますが、これは若宮神社遷座に伴って移動されたのかも。
なお『兵庫県神社誌』には地主祠の記述はありません。
石祠前に片割れだけの狛犬
古い扁額
境内に多数ある岩は若宮神社の旧社地から持ってきたもののようです
元の公会堂は、かんかんの桜で有名な旧若宮神社の境内にあったが、昭和五十年代に淡路縦貫道の路線に組み入れられた。そこで里町内会は移転を決議し、対策建設両委員会を設け、数年に亘る関係当局との接渉に明け暮れ、神官共々その対応には全住民あげて取り組んだ。幸い土地は㟁河神社隣接の小西康夫、杉野国夫、森隆洋各氏の所有田を譲りうけ現状通りの移転ができた。
若宮神社遷座、公会堂移築を機に㟁河神社拝、幣殿も改築した。また庭は若宮神社旧地から土と巨石を運び、神を迎える大祓の禊の神苑を造り、㟁河には神橋を、それをはさんだ鶴亀蓬莱七五三の石組で永代安楽、不老長寿、家業繁栄、若宮信仰と子供の成長祈願をこめ、また社務所前には、旧若宮の手水鉢を見立てた蹲踞を中心に、茶の湯の路地を表現した。
これらはいつに、住民の出資協力と善意の結晶である。この土地や施設が、永く将来に亘り祭りと諸行事、文化と福祉にふさわしい場となるよう祈るものである。
『日本歴史地名大系』の上内膳村項に末尾に「岸河神社の前方には石田三成の墓とも伝える石塔がある」とのことですが、それらしきものはなかったように思います(一応神社の50mほど南東の小さな田んぼの一角に祠があるのがGoogleストリートビューで確認できますが、石塔ではないし…)。
由緒
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「淡路国津名郡 岸河神社」を当社にあてる説があります。
福蔵大明神とも称されていたとのことですが、詳しい由緒は不詳。
かつては岸御森なる地に鎮座し、後に現在地に遷座。岸御森の場所や遷座時期は不詳(『淡路常磐草』に「旧地は人家の側岸御森」とありますがアバウトすぎる)。
なおこの辺りは中世期に郡域の移動があったと見られ、平安時代は津名郡、江戸時代には三原郡だったようです。
明治6年村社列格。
現祭神は宗像三女神の田心姫命、市杵島姫命、湍津姫命。
『特選神名牒』は祭神を豊受姫命称岸河明神とし、「社地を伊勢森と称し村を内膳村と云を思ふに古へに内膳司に由ありて此神を祭れるものなるへし」とします。旧社地の岸御森=伊勢森なのでしょうか。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
洲本ICを降りて洲本インター前交差点(位置)を左折(北東方向へ)。
300mほど先の上内膳交差点(位置)で左斜め後ろ方向へ折れ、すぐ先の分岐を右へ(青看に県道125号の表示がされている方)。その先の二本松交差点(位置)を直進し200mちょっと行くと神社隣りの公会堂が道の左手に現れます。
神社の駐車場はありませんが、公会堂前に数台の駐車スペースがあったので、そちらをお借りしました。
神社概要
社名 | 㟁河神社(きしかわじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | – | |
旧称 | 福蔵大明神 | |
住所 | 兵庫県洲本市上内膳64 | |
祭神 | 田心姫命 市杵島姫命 湍津姫命 | 現祭神 |
豊受姫命 | 『特選神名牒』 | |
社格等 | 式内社 淡路国津名郡 岸河神社 旧村社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | なし | |
公式Webサイト | – | |
備考 | – |
参考文献
- 「上内膳村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「岸河神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987