神目神社(能登町字藤波)

神目神社。

能登町字藤波に鎮座。

式内社 神目伊豆伎比古神社の論社。

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境内

社頭

 

鳥居

 

社号標

 

石段

 

手水鉢

 

狛犬

 

狛犬2

社殿

拝殿

 

本殿覆屋

 

本殿

 

本殿前の骨

どうやら鯨の骨のようです。

由緒

創建時期は不詳。

寛正年間(1460~66)には存在したと伝えられます。

 

かつては現在地より北西、藤波と藤ノ瀬の境界に近い神目の奥地にあったといわれます。

旧地について『能登誌』は「藤波の村家より十七町余山入に、神目宮といふ社あり、則延喜式の神目伊豆伎彦神社の正跡なりといえり。境内に浅黄桜の古木あり。則神木にて八重桜ともいう。此処を神目の谷内とも、小又の谷内ともいえり」、『鳳至郡誌』は「往古藤波・藤瀬の境界なる嶺上に鎮座在ましき。当時其境内に藤樹の鬱茂せるものあり。依りて其北を藤ノ瀬といひ、南を藤波と名づく、今の社地に移りしよりも年所経ること極みて古く、老杉の太さ八九囲に及ぶものあり、此附近に輿ヶ平といふ地あり。古へ藤波、藤ノ瀬、宇加塚、曽又、鶴ノ町の五部落集りて当社の祭礼を営み、ここに神輿の御遷を為したる所たると伝ふ」と記しています。

 

明治の神社明細帳には鎮座地は藤波三字四十六番地とあります(この時点では移転前)。

旧地とされる場所は宇加塚峠から少し北に入ったあたりらしく、Googlemapにも登録されています(位置)。小字名は神ノ目。上記マップ上の旧地近くにある民家の住所が藤波3で合致します。

しかしGooglemapのクチコミによると、登録されている場所は昔から墓地で、神社跡は「奥の道を下り突き当たりを右斜めに下り300m位行った所」とのこと。

『式内社調査報告』は「国鉄宇出駅(宇出津駅の誤植?)前より斉和農協前間を走る国鉄バスで宇加塚峠バス停より北方七〇〇メートルの処に二軒の民家があり、それより右へ折れること二〇〇メートル程の場所」を旧地とし、石川県指定の埋蔵文化財の標柱があるのみとしています。この説明は上述のクチコミの位置に近いように思われます。埋蔵文化財が何なのかは不明ですが…

ちなみに宇加塚峠バス停は(路線が現存するのか不明ですが)このあたり

 

延喜式神名帳にみえる「能登国鳳至郡 神目伊豆伎比古神社」に当社をあてる説があります。

根拠は不明。『日本歴史地名大系』によれば社蔵の古鏡に「神目伊豆伎比古神社」と裏銘があるそうですが、いつのものかも現存するのかも不明。

 

元禄2年(1689)に火災で社殿と旧記を焼失。

 

明治に入ってからは無格社だったようです。

明治41年に村社大宮神社、村社八王子神社、無格社稲荷神社、無格社恵比須神社、無格社木俣神社を合祀して村社に列し、大正10年に大宮神社の跡地である現在地に移転(明治の神社明細帳による)。

しかし石川県神社庁のページによれば、「明治39年12月29日」に「無格社日吉神社、同白山神社、同稲荷神社、同恵比須神社を合併」したとあり、合祀した時期も神社も明細帳と異なります。移転についても触れられていません。

 

現祭神は迦爾米雷命、大国主命、天忍穂耳尊。

迦爾米雷命(かにめいかずちのみこ)は、開化天皇の孫である山代之大筒木真若王の御子。

『神祇全書』『神社覈録』が迦爾米雷王(迦邇米雷王)説を採ります。

『能登志徴』は「此王は能登国に由緒なければ祀るべきよしなし。全く旧神官の、いささか似たるにより云ひ出したるものにて取るに足らず」とします。

 

『特選神名牒』は神目伊豆伎比古神と、社名通りの祭神とします。

 

明治13年の神社明細帳では、大国主命、吾勝命、活津彦根命、田心比売命、天穂日命、湍津比売命、市杵島比売命、熊野櫲日命、天津彦根命、御井神、倉稲魂神、須佐之男命、奇稲田比売命、事代主命、迦爾米雷王。

昭和21年の神社明細帳では、迦邇米雷王、大国主命、正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊、活津彦根命、田心姫命、天穂日命、湍津姫命、市杵嶋姫命、熊野樟日命、御井神、倉稲魂命、須佐之男命、奇稲田姫命、事代主命。

明細帳において非常に祭神が多い理由は不明。明治13年の時点で既に多数の祭神が記載されていることから、明治39年あるいは41年の合祀によって増えたわけでもなさそうですが…

 

能登町指定絵画 奉納額鯨捕り絵図(二面)

指定日 昭和四八年一月二八日

所在地 能登町字藤波一六字五〇番一地

所有者 神目神社

天地 八三.五cm(額縁共 九九.〇cm)

幅 一六一.〇cm(額縁共 一七六.〇cm)

二頭の鯨を捕え渚に引き寄せているところを描いている。漁民の逞しい動きと、二人の洋装紳士と遊女らしい数人の女性が見物する様の対比は見事である。

天地 八〇.八cm(額縁共 八九.〇cm)

幅 一七一.〇cm(額縁共 一七八.〇cm)

親子鯨のうち親鯨を捕え引き揚げようとする様子を描き、とどめ刺し用の長い鯨包丁を手にした漁夫や当時の漁船であるドブネが配されている。浜には扇子を振り、太鼓を打ち歓声を上げる漁民たちが描かれている。

二面とも紀年名は無いが、図柄から幕末から明治時代にかけてのものと考えられ当時の漁業(捕鯨)資料として貴重である。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

国道249号で宇出津のあたりまで行き、藤波交差点(位置)で北東方向に入ります。

100mほど先で右手に折れると、正面に鳥居が見えてきます。

鳥居左手の道を入っていくと奥に駐車スペースがあるのですが、隣接する集会所のものかもしれないので、参拝者が駐車してよいのかは不明。

神社概要

社名神目神社(かんのめじんじゃ)
通称
旧称
住所石川県鳳珠郡能登町字藤波16-150-1,2
祭神

迦爾米雷命

大国主命

天忍穂耳尊

現祭神

迦爾米雷王(迦邇米雷王)

『神祇全書』

『神社覈録』

神目伊豆伎比古神

『特選神名牒』

大国主命

吾勝命

活津彦根命

田心比売命

天穂日命

湍津比売命

市杵島比売命

熊野櫲日命

天津彦根命

御井神

倉稲魂神

須佐之男命

奇稲田比売命

事代主命

迦爾米雷王

明治13年神社明細帳

迦邇米雷王

大国主命

正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊

活津彦根命

田心姫命

天穂日命

湍津姫命

市杵嶋姫命

熊野樟日命

御井神

倉稲魂命

須佐之男命

奇稲田姫命

事代主命

昭和21年神社明細帳
社格等

式内社 能登国鳳至郡 神目伊豆伎比古神社

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考旧地は藤波と藤瀬の境界の嶺上(藤波三字四十六番地?

参考文献

  • 「藤波村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「神目神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十六巻 北陸道2』皇學館大学出版部, 1985
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第八巻 北陸』白水社, 1985