加茂神社(黒潮町入野)

加茂神社。

黒潮町入野、入野海岸の近くに鎮座。

式内社 賀茂神社に比定される神社。

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境内

鳥居

 

参道

松林の中を通ります。右手に入野海岸があります。

 

参道左手の大方あかつき館

図書館などの施設が入った複合施設だそうです。

 

鳥居から左手に100m弱行った所にいる狛犬

 

参道の小さめな狛犬

 

手水舎

 

二の鳥居

 

扁額

 

社号標?

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

境内社鳥居

 

境内社

社名の掲示はなかったのですが、玄松子の記憶さん神社探訪・狛犬見聞録さんによると、竈戸社、山津社、尼津社の三社であるようです。

 

境内社鳥居

 

境内社

こちらも社名の掲示なく、上述の2サイトによると天神宮とのこと。

 

安政津浪の碑

 

安政津浪の碑

嘉永7年(=安政元年、1854)11月4日の昼、かすかな地震がありました。潮がなぎさに満ちてきて、俗に鈴波と呼んでいます。これは津波の前兆(前ぶれ)です。

翌日11月5日は何事もなく日常生活に復しましたが、申の刻(午後4時)頃大地震が起こり、瓦葺きの家も茅葺きの家も倒壊し、見渡す限り建っている家は一軒もありませんでした。土煙が立ちこめるなか、人は争って山の頂上を目指して登りました。牡蛎瀬川、吹上川に潮が漲りました。

津波の来襲です。津波は第1波はゆっくりと進み、第2波、第3波がそれを追いかけました。第4波で最大となり、夜になるまでに7回波が襲ってきました。庭も水田も海になりました。かつて宝永4年(1707)10月4日にも同じ事があったと聞いていますが、それ以来148年目に当たりました。村人たちは牡蛎瀬川の石を取りこの石碑をつくって後人に警告を残すことにしました。鈴波は津波の前兆です。今後100年あまりの後の世に生きる人は、この警告を知っておくべきです。

 

安政津浪の碑

安政元年(一八五四)十一月五日午後四時すぎ、突如激震が起こりついで大津波が押しよせ、大被害を受けた。

当時の惨状を物語るものがこの碑である。

嘉永七甲寅の歳十一月四日昼微々の震動有潮海漘に流れ溢る土俗是を名て鈴波と云う是則海嘯の兆也其翌五日朝土俗海漘に至に満眼の海色洋々として浪静也欣然として家に帰り平素の業を事とす時に申剋に至て忽大震動瓦屋茅屋共崩家と成満眼に全家なし気分埃濛々として暗西東人倶に後先を争ふて山頂に登山上より両川を窺見るに西牡蠣瀬川東吹上川を漲り潮正溢る是即海嘯也最初潮頭緩々として進第二第三相追至第四潮勢最猛大にして実に肝を冷す家の漂流する事故を覚ず通計に海潮七度進退す初夜に至て潮全く退く園は砂漠と成り田畛更に海と成る当時震動する事劇しく曽聞宝永四丁亥歳十月四日も同然今に至りて一百四十八年今此石此邑浦の衆人労を施して是を牡蠣瀬川の辺より採て此記を乞来是を後人に告んが為ならん鈴浪果して海嘯の兆なり向来百有余年の後此言を知るべき也

野並晴識

安政四年丁巳六月朔

 

御神木?

由緒

創建時期は不詳。

 

延喜式神名帳の「土佐国幡多郡 賀茂神社」は当社に比定されています。

 

かつては加茂屋敷(現在の黒潮町役場あたり)に鎮座していたとされます。

その後現在地に遷り、早咲(現社地の北)から遷ってきた八幡宮と合祀されています。

天正5年(1577)の棟札に、八幡宮再建が記されており、これを八幡宮移転の時期とみる考えもあるそうですが、賀茂神社の遷座時期は不明。

 

応仁(1467~1469)頃に藤原家基により再興。

 

当地は台風や津波の被害が多い地域で、津波については宝永地震の際の記録や、安政地震の際の「安政津浪の碑」が残っています。

 

明治5年、郷社列格。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

国道56号を土佐入野駅近くの上図の場所で南に折れ、500mほど行くと参道入口に出ます。

神社専用の駐車場は見当たりませんでしたので、参道脇の大方あかつき館の駐車場をお借りしました。

神社概要

社名加茂神社(かもじんじゃ)
別称加茂八幡宮
住所高知県幡多郡黒潮町入野6930
祭神別雷命現祭神

味耜高日子根神

『神祇志料』

大鴨積命

『土佐国式社考』

大賀茂都美命

『辺海松布』
合殿別雷命
社格等

式内社 土佐国幡多郡 賀茂神社

旧郷社

御朱印不明
駐車場なし

参考文献

『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』 皇学館大学出版部

 

『日本歴史地名大系 40 高知県の地名』 平凡社


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