天石門別安国玉主天神社(いの町神谷)

天石門別安国玉主天神社。

いの町神谷、仁淀川左岸に鎮座。

式内社 天石門別安国玉主天神社の論社。

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境内

鳥居

 

扁額

 

社号標

 

阿形だけの狛犬

 

狛犬

 

手水舎

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

社殿左手に石段があり、その先に境内社が2社

白兎神社と神母神社?

 

境内社後ろに巨岩、というか岩山

特に磐座というわけではないようです。

 

社殿横に祀られている岩

由緒

伊野町保護文化財 第四二号 昭和六三年四月十三日指定

(歴史資料)天石門別安国玉主天神社の棟札

所有者 天石門別安国玉主天神社

神谷領(城)主勝賀瀬越後が施主、勝賀瀬村神主衛門大夫が願主で天文九年(一五四〇)霜月八日、天石門別安国玉主天神社を造立したときの棟札である。この神社は延喜式内社であるゆえ、遠く平安の昔からあったはずである。したがってこれは何度目かの再建造立ということになるだろう。棟札の上端は山形で全高四〇cm、下部の幅八・五cm、厚さ一・二cm、桧材で作り両面には「ヤリガンナ」の凸凹が残っている。棟札銘は墨書である。

江戸中期土佐の大学者谷秦山は、藩主の意をうけて国中を巡り神谷に来て当天神社を検証し、式内社二十一社の一つであると確認された。その内容は、最も権威あるものとして今に珍重されている秦山著「土佐国式社考」にある。

創建時期は不詳。

 

延喜式神名帳にみえる「土佐国吾川郡 天石門別安国玉主天神社」を当社に比定する説があります。

また、三代実録 貞観12年(870)3月5日丁巳条および、元慶3年(879)9月27日庚寅条にみえる「大谷神」についても当社とする説があります。

 

『土佐州郡志』や『土佐国式社考』などによれば、当社は元々神母林の巨巌の下にあり、祭神も不明であったそうです。

神母林の旧社地は『日本歴史地名大系』によると「仁淀川近くの低湿地水田の端」だそうですが、正確な位置は不明(国道の南側?)。

 

元禄5年(1692)、高加茂壹岐という神主が霊夢を見、同じ夢を見た日下・鹿敷の神主とともに巌穴から棟札を発見したとされます。この棟札が、当社を式内社とする説の根拠となりました。

 

宝永5年(1708)成立の『土佐物語』に以下の記述があります(巻第八 所々一見の事)。(※1)

「三代実録云、貞観十二年三月五日丁巳詔授土左国大谷神従五位下。又云、元慶三年九月七日甲寅授土左国従五位下大谷神従五位上。大谷の神社の事、三代実録、両条式説云、在吾川郡神谷天石門即安国玉主天神社也と云々。是も廿一社の其一、吾川郡一座といふ是なり。神谷は元大谷といひしを、天神社ましますを以て、中頃より国人、神の谷と称すとなり。未だ其正説を知らず。」

さらに、嘉永3年(1850)に高知の住人棟梁某が市中で買った書の内容として以下のことを語ったと『式内社調査報告』にあります(出典不詳)。(※2)

  1. 神谷は元大谷と申天神の座す前に大きなる谷の流れがあるので神谷と称した。
  2. 隣村の鹿敷村は、古天神社へ御膳を奉ったから炊(かしき)村と申しけるを後に鹿敷と改めたこと。
  3. あるひとの説に川向の日下(くさか)が天岩門の伝説と関係あり、「あほひとくさ日の下を鎮めまします故日の字をくさと訓む

 

棟札を根拠として、『土佐国式社考』等が当社を式内社 天石門別安国玉主天神社に比定しました。

しかし、『南路志』が黒瀬の神社が式内社であり、棟札はそちらから洪水で当社に漂着したものと唱えます。

その後、明治3年の神社改正に際し、黒瀬の神社を式内社とし、当社は新宮とされることが決定。

明治4年に詳細を記載した社寺改正決議書が出されます。

 

当初村社に列格し、その後郷社貴船神社と合祀され、大正8年に郷社に昇格。

 

祭神は天石門別安国玉主天神と高龗神。

『土佐国式社考』は天石門別神を祭神とするのですが、現祭神・天石門別安国玉主天神は天石門別神と同じ神なのか、それとも別の神なのかは不明。

高龗神は合祀の貴船神社の祭神。

 

(※1、2)

『式内社調査報告』はこれらについて、「鹿敷と日下は三人の宮司の中にあり、また土佐物語に出てくる大谷神は香美郡に在るのだから、これらを以て当社とするのは牽強付会であった」と注記していますが、疑問の残る書き方です。

嘉永3年の書の内容については、元禄5年に棟札を見つけた神主らが書を著し、100年以上後に棟梁某がそれを読んだというのであれば辻褄が合わなくもありません(棟札偽造説もあるので、それが事実なら偽書を著して偽の由緒を広めていてもおかしくはない。この書自体その後どうなったのか、そもそも実在したのかすら不明ですが)。

大谷神については、確かに三代実録の大谷神に比定されるのは香南市野市町(旧香美郡)にある大谷神社ですが、三代実録には当然ながら「香美郡鎮座」等とは一言も書かれておらずあくまで有力説なだけなので(これは式内外社の殆どに言えることですが)、牽強付会などと断じる割に些か適当に過ぎる記述に思えます。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

高知市から国道194号を西に行き、起点の県庁前交差点(位置)から15kmほどのところ(位置)で右の側道へ。

次の角(位置)を右に入ると神社。

社前の道路沿い(鳥居の右手辺り)に駐車スペースあり。

神社概要

社名

天石門別安国玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)

通称天神さま
旧称
住所高知県吾川郡いの町神谷755
祭神

天石門別安国玉主天神

高龗神

社格等

式内社 土佐国吾川郡 天石門別安国玉主天神社

日本三代実録 貞観十二年三月五日丁巳 大谷神 従五位下

日本三代実録 元慶三年九月廿七日甲寅 大谷神 従五位上

旧郷社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「天石門別安国玉主天神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「天石門別安国玉主天神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 456コマ