淡嶋神社。
和歌山市加太に鎮座。
式内社 加太神社の論社で、全国の淡嶋神社の総本社。
境内
一の鳥居
社号標
二の鳥居
手水舎
社殿前石段
社殿
社殿
社殿後方部
『式内社調査報告』によれば、「現在の本殿は、昭和五十四年三月三日に竣工したもので、流造の旧本殿を覆うように建てられており、王子造という。拝殿は、今度の造営に際し、撤去されている」とあるので、この社殿は本殿であり、拝殿はない形式のようです。
境内社等
紀文稲荷社
紀文稲荷社の狛犬
遷使殿
少彦名命の使いである蛙を祀る社なので、中には蛙像がたくさん
大国主社
塩壷
通称お歯黒石といい、身体の痛い部分に水をつけると治るとされます。
雛倉
針塚
宝物殿?
かえる
由緒
創建時期は不詳。
往古は加太の西の沖に浮かぶ友ヶ島と総称される島々のうちの一つ、神島に鎮座していたといわれます。
友ヶ島を日本書紀にみえる淡州にあてる説もあり、淡嶋の名はここから生じたのではないかと見られます。
社伝によれば、三韓出兵の帰途嵐に遭った神功皇后が、「船の苫を海に投げ、その流れのままに船を進めよ」という神のお告げによって友ヶ島にたどり着き、そこに祀られていた少彦名命と大己貴命に奉幣。
その後、友ヶ島に狩りに訪れた仁徳天皇がこの話を聞き、島では何かと不自由であろうとして対岸の加太に社殿を建てて遷し、祖母である神功皇后を合わせ祀ったのが当社の起こりとされます。
延喜式神名帳に見える「紀伊国名草郡 加太神社」を当社にあてる説があります。
ただし当地は延喜式成立時には海部郡に属しており、矛盾が生じます。これについては、延喜式以前の籍に拠ったもの、あるいは単なる誤記だとする説があるようです。
国史には現れないものの、扶桑略記 延喜6年(906)2月7日条に「授紀伊国粟島神従五位上」、『紀伊国神名帳』に「従四位上粟島大神」とあるのが当社とされます。
戦国~江戸時代頃に、少彦名命の医薬の神としての面が強調され、特に婦人病・安産・子授けに霊験があるとして信仰されました。
淡島願人と呼ばれる人々が、神棚を背負い祭文を唱えながら縁起や功徳を説いて淡島信仰を広めた結果、全国に多数の淡島(粟島)神社が生まれました。
現在の祭神は少彦名命、大己貴命、息長足姫命。
淡島神については、少彦名命とする説の他にもいくつかの説・伝承があります。
天照大神の6番目の娘「婆利塞女」であり、16歳で住吉明神に嫁いだが婦人病に罹り淡島に流され、この地で同病救済の悲願を立て、死後に神として祀られたという伝承がその一つ。ただしこれは当地が住吉神社の社領であったことによる附会との見方もあります。
明治6年郷社列格。
『明治神社誌料』には加太神社として掲載されており、当時は加太神社を称していたのかもしれません。
現在は神社本庁との被包括関係を有さない単立神社で、法人名は「神道淡島教淡島神社」。
3月3日に行われる雛流しの神事はつとに有名。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。日付含め全てはんこです。
オリジナル御朱印帳もあり。
お雛様デザインでピンク色(未拝受のため写真なし)。
アクセス
和歌山市中心部から北へ行き、紀の川を渡った先から県道7号を西へ。
南海加太線の終点加太駅の前を過ぎて1kmほど先、大谷橋南詰という丁字路で左折(位置、青看に淡嶋神社の案内あり)。
そのまま道なりに行けば神社前へ。
駐車場は鳥居右手の道を少し進んだところにあります。タイムズのコインパーキングです。
550円/60分で、授与所で申し出れば30分割引(以前は画像の通り400円/60分でした)
その他周辺に有料駐車場もあり。
神社概要
社名 | 淡嶋神社(あわしまじんじゃ) ※法人名「神道淡島教淡島神社」(単立神社) |
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通称 | – |
旧称 | 粟嶋大明神 粟島大神 加太淡島大明神 |
住所 | 和歌山県和歌山市加太116 |
祭神 | 少彦名命 大己貴命 息長足姫命 |
社格等 | 式内社 紀伊国名草郡 加太神社 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://www.kada.jp/awashima/ |
備考 | 往古は神島に鎮座との説あり |
参考文献
- 「淡嶋神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第六巻 伊勢・志摩・伊賀・紀伊』白水社, 1986
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 217-219コマ)