出雲大社西郷分院(隠岐の島町中町)

出雲大社西郷分院。

西郷港のすぐ西に鎮座。

明治に勧請された、出雲大社の分院。

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境内

鳥居

 

社号標

分院昇格ということは以前は教会か講社だったのでしょうか(あまり出雲大社教布教機関の格に詳しくないのでなんとも言えませんが)。

 

手水鉢

 

巨大な石灯籠

明治20年(1887)に寄進されたそうです。

社殿

拝殿

 

扁額

本殿は航空写真で見るとあるのがわかりますが、拝殿横に入ることができず、また周囲も住宅が密集しているため全容を見ることはできません。一応隣(国道沿い)の駐車場から屋根は見えます(未撮影)。Googleのストリートビューで見られます。

由緒

隠岐(西郷)の出雲大社

明治維新の変動の中で、宗教のあり方や神職のあり方にも変遷がありました。神ながらの道による宗教活動を望む島民の要請を受けて、明治十二年、その筋の許可を受けて、ここに、海上に突き出るかたちに埋め立て、特立された出雲大社教により、出雲大社の御分霊をおまつりしました。

以来、社地及び周辺の様子は変遷し、社殿も幾度か改築して今日にいたっております。変わらないで、当時を偲ぶことができるのは境内にある石燈篭です。

当時、隠岐との交易を業とした主として松江京店、天神町の商人たちにより寄進して作られました。夕方になると、ともされる燈篭の灯は、西郷を目指す船の道標、灯台の役目を果たしました。同じものが都万村那久岬にも据えられたそうですが、こちらは長い年月の間風波にさらされて損壊し、面影もありません。

境内の松の木に舟をつなぎ、夕方になると、灯油ランプに火をつけて滑車で火袋にあげる様子を語る人も少なくなりました。

ここでは、出雲大社御神札お守りの授与をもって縁むすびの諸祭事はもとより、家のお祭り、厄祓など各種祓いの神事、さらには、神式による葬儀、霊祭を執り行います。

創建は明治12年。

出雲大社教を隠岐に迎えたことにはじまります。

『西郷町誌』によれば、廃仏毀釈により寺が戸籍権と葬儀執行の実を失い、島民が氏神を母体とする「神宗門」に帰依。しかし神祇崇拝と葬儀執行を混合するのは不合理なため、神道宗教を神祇と別個に迎える必要が生じた結果、出雲大社教を迎えたとされます。

境内の大きな石灯籠はかつては灯台の役目も果たしていたのだといいます。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

西郷港を出て国道485号を西に進み、2つ目の交差点(位置、隠岐ドライブレンタカーのところ)を左折。そのまま直進で神社前へ。

駐車場はなかったと思うので、徒歩で行きましょう。一応神社の南西や西郷港に有料の立体駐車場があります。

神社概要

社名出雲大社西郷分院(いずもおおやしろ/たいしゃさいごうぶんいん)
通称
旧称
住所島根県隠岐郡隠岐の島町中町目貫の四44-1
祭神

大国主命

造化三神

天照大神

産土神

社格等出雲大社教 分院
札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

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