磐戸別神社。
白河市関辺、関山の東麓に鎮座。
式内社 伊波止和気神社の旧地とされる神社。
境内・社殿
社頭の鳥居
額束に磐戸別と彫られています
社殿
扁額
「延喜式内」とあります。
付近にある放生池
この池は私達が物の生命を食べ活かされている。この事に対する感謝の心と犠牲になった生命の極楽浄土への転生を祈り、自分自身が知らず知らずのうちに犯した罪や汚れを反省し、怨念や祟りや障りを清めるために魚の生命を放すことにより、迷信の輪廻転生を断って大安楽の生活が出来るように祈願する池です。
奥の院
社殿後方に奥の院の祠があります。
あまりにも本社と近すぎる位置にあり謎。
どこか別の場所にあった奥の院を遷してきたのか、あるいは当地自体が奥の院扱いなのか(そうだとすると本社は伊波止和気神社の論社である古殿の伊波止和気神社もしくは白河神社になるのか…)。
奥の院祠
是處磐戸別神社奥院の碑
磐戸別神社ハ二枚橋村に鎮座シ石山(関山)ヲ神体ト祀リ伊波止和気神社ト称シ鳥居ノ額ニ音嶽大権現ト書イテアリ奥ノ院ニハ水源モナイノニ滝ガアル…ト明治七年ノ式内社調査ニ記サレ約千六百年前祭祀ト云ウ 茲ニ所在ヲ確カメテコノ碑ヲ建テル
由緒
白河郡二枚橋村磐戸嶽鎮座古蹟探幽奉上申候関山ハ千有余年ノ佛山ト相成神山ノ伝ヘハ幽名ニ候得共白河郡式内社伊波止和気神社鎮座ノ地ト愚考仕候ハ抑々関山観世音ヨリ峯続キ辰巳ノ方十町余ニシテ鳥居一基在リ額ニ音嶽大権現ト有之場所コソ伊波止和気神社旧蹟ト奉存候本社ト唱フル地ハ谷ヲ隔テ丑寅ニ向ヒ磐累々タル霊地ニシテ水源モ無キ小滝登ル事一町余ニシテ社跡ト思ホシキ平地アリ今ハ社祠等ハ廃レタルモ毎年四月八日郡民幣帛ヲ奉リ参拝ス是レ神ノ在ス判然タリ依テ近村古老ノ口碑ヲ尋ルニ関山ハ旧名石山ノ文字タリ鳥嶽、石山、音嶽三山ト言フ観世音堂ハ嘉永年間焼亡ス其ノ実ハ石山神シテ社殿モ无キ前ニ神饗ヲ供セシ天然ノ御供石ト言フ石有リ伊勢度会ノ延経考証ニ石山明神ニ並ヒテ伊波止和気神社在リト玉鉾巻中ニ見エタリ即伊波止和気神社ハ関山中ノ音嶽ト奉存候又社郷トハ旗宿村白河神社関山磐止和気神社三森高木両界ノ都々古和気神社右三鎮座ノ鼎郷ヲ以テ是名有ト如斯奉上申候ニ付明治八年社寺境内外区別ノ節境内地壱反廿歩ト御定被成下候
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「陸奥国白河郡 伊波止和気神社」の旧地とされています。
旧地というからには、後に遷座したということなのでしょうが、その遷座先も不明。
おそらくは古殿町の伊波止和気神社か、白河の白河神社かいずれかなのでしょうが…
上記由緒からすると、関山は古くは石山であり、鳥嶽、石山、音嶽の三山であった(おそらく峯が3つあってそれぞれを指すのだと思いますが不明)ようで、伊波止和気神社は音嶽の神であったということなのでしょうか(あるいは関山自体を御神体として、社が音嶽にあったということか)。
関山観世音(満願寺?)より辰巳(南東)の方10町(約1km)に音嶽大権現の鳥居があるということですが、これが現存するかは不明。
神社旧跡については「谷を隔て丑寅に向い磐累々たる霊地にして水源も無き小滝登る事一町余にして社跡と思ほしき平地あり」とあります。
どこを基準として「谷を隔て丑寅」なのかが全くわからないので何ともいえません。仮に音嶽大権現の鳥居からだとすると、満願寺の南東1km、そこから北東100mとなり、現社地の南南東600mほどになってしまうのですが…
近くに小滝もないので本来の鎮座地は別なのでは?という気もします(近くに水源のわからない放生池があるので、かつては現存しない小滝があったのかもしれませんが…)。
何にしても、資料がなさすぎて詳しいことは全くわかりません…
御朱印
御朱印の有無は不明。
多分ないと思います。
アクセス
新白河駅前から国道289号に出て東へ向かいます。
6kmほど先の交差点(位置)で右折。1.5kmほど先(位置)で右折。
450mほど先(位置)を右折して山の中へ入っていくと神社があるのですが、この道は狭いのでどこか別の場所に車を置いてくるのがいいと思います。
だいぶ距離がありますが、関山の北麓に駐車場があります(位置)。
神社概要
社名 | 磐戸別神社(いわとわけじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 福島県白河市関辺関山4 |
祭神 | 不詳 |
社格等 | 式内社 陸奥国白河郡 伊波止和気神社(旧地?) |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | 式内社伊波止和気神社(伊波止和気神社あるいは白河神社)の旧地? |
参考文献
- 「磐戸別神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995