伊加奈志神社。
今治市五十嵐甲に鎮座。
式内社 伊加奈志神社に比定され、伊予国総社ともいわれる神社。
境内
鳥居
社頭から少し西に行ったところに建っています。
鳥居の後ろにある石組
ここは御旅所でしょうか。
鳥居後ろの木
社頭
社号標
狛犬
鳥居
石段
石段上
手水鉢
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
境内社
左から山之神社、厳島神社、荒神社
切り株とその周りの石祠
由緒
創建時期は不詳。
社名の伊加奈志や地名の五十嵐(ここでは「いがらし」ではなく「いかなし」と読む)は、アイヌ語の「インカラウシュ」が転訛したものという説があります。その語義は「見晴しのきく場所」だそうで、確かに当社は小高い山の上にあり眺望が望める場所。
祭神である伊迦賀色許男命(いかがしこおのみこと)の名が転じたとする説も。
延喜式神名帳にみえる「伊予国越智郡 伊加奈志神社」は当社に比定されています。
伊予国総社ともいわれており、『伊予国神名帳』にみえる「正一位伊賀奈志大明神」も当社に比定されます。
鎌倉時代以降は、当社と同じ八幡山に鎮座する石清水八幡神社が栄え、当社はその影に隠れてしまったとみられます。
安政5年(1858)には火災により、古記録宝物類一切を焼失。
これらの理由から詳しい由緒は不詳。
安政6年に現社殿造営。
明治4年村社列格。
現祭神は五柱命、五十日足彦命、伊迦賀色許男命。
五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)は垂仁天皇の皇子ですが、祭神に定められた理由は不明。五十嵐(いかなし)の地名に拠るとも。
伊迦賀色許男命は物部氏の祖神。『神名帳考証』等では祭神をこの神一座のみとしています。
物部氏族は国造として東予地方を統治した事績があるので、その祖神として伊迦賀色許男命を祀った、という見方に基づくようです。
五柱命は天地創造神=別天津神。
『伊予国式内二十四社新考』では、伊加奈志神社本来の祭神は伊迦賀色許男命で、五柱神に五十日足彦命を含めた六柱神=総社祭神の六所神であり、現祭神はその両神の併記だとする説が提示されています。
御朱印
御朱印の有無は不明。
ただネット上にはなしとの情報も。
古今御朱印研究室さんによると、当社と隣接する石清水八幡神社の御朱印を平成21年にいただけたとのこと(当初はなく、新たに作成)。
現在、石清水八幡神社と当社は同じ宮司さんが務められているので、当時と同じ方であれば当社についても対応をご検討いただけるかもしれませんが…
アクセス
当社に駐車場はないので(一応鳥居の所に停められなくはないですが)、石清水八幡神社の駐車場をお借りするのがよいかと思います。下記は石清水八幡神社駐車場へのルート。
今治城跡の西、旭町4丁目交差点(位置)から西へ。
850mほど先、蒼社川にかかる榎橋北詰の交差点(位置)に出たら、右手に。
2.5kmほど先の十字路(位置)で左折し山手橋を渡り、その先(位置)で右折。
500mほど行くと道沿い左手に鳥居が立っています。
鳥居前(位置)で左斜め後ろ方向に折れ、右手の山沿いの道を進んでいきます。
800mほど先の四叉路(位置)を右折し250mほど行くと、右手に石清水八幡神社南参道入口の石碑が立っています(位置)。ここを上っていけば石清水八幡神社の駐車場に出ます。
二社は同じ山にありますが、山上に道はありません。神社としては立ち入ってほしくない場所だそうなので、入るのはやめておきましょう。
ちなみにこの八幡山の丘陵一帯には数基の古墳が確認されているそうです。
石清水八幡神社東の石段を降り、左手に行くと当社石段下に出ます。
神社概要
社名 | 伊加奈志神社(いかなしじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 伊賀良志神社 伊賀那志社 伊賀奈志大明神 総社明神 |
住所 | 愛媛県今治市五十嵐甲635 |
祭神 | 五柱命 五十日足彦命 伊迦賀色許男命 |
社格等 | 式内社 伊予国越智郡 伊加奈志神社 伊予国総社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「伊加奈志神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「伊加奈志神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984