比比多神社(伊勢原市上粕屋)

比比多神社。

伊勢原から大山へ続く県道611号の途中に鎮座。

式内社 比比多神社の論社で、子易明神とも呼ばれる神社。

境内

社頭

 

社号標

 

鳥居

 

狛犬

 

参道石段

 

手水舎

 

裏参道鳥居

社殿

拝殿

 

拝殿内の提灯と扁額

 

細くなった向拝の柱(由緒)

参詣者が子宝安産を願い少しずつ削り持ち帰ったため細ったもので向って左が男子右が女子出産祈願と言う。今の柱は三代目と言われている。現在は社殿保存のため削ることを禁止。肌守りに神供米をつけて配布している。

 

向拝の天井に描かれた龍(?)

 

本殿

境内社等

社殿裏の境内社。左から天満宮、淡島社・稲荷社・熊野社、日吉山王社・八雲社(参道の由緒書には八雲社がなく八坂社とある)。

 

境内社前の狛犬

 

境内社前の御神木

 

社務所脇の梛

 

案内板

梛(なぎ)の葉守

古来より梛の木は、熊野信仰のご神木として崇められてきました。

梛の葉には、竹のように不思議な平行脈が走っていますが、古来よりこれを鏡の裏や守り袋に秘めて、招福厄除や旅行安全の御守としたのも、葉の一片一片に神霊が宿るとされてきたからです。梛の木には、女梛と男梛があり、当神社の梛は球形の種子(実)を結ぶ女梛です。この御守は、特に素敵な異性にめぐりあい、夫婦円満、そして子宝をもたらすよう祈念しております。

 

けやき(樹齢千年以上)

 

案内板

神奈川県指定重要文化財

板絵著色歌川国経筆美人図絵馬

指定日 昭和35年11月4日

縦 117.5センチメートル

横 83.0センチメートル

この絵馬は厚木市上荻野出身の浮世絵師歌川国経によって描かれました。花魁を中心に左に新造(花魁付きの若い女性)、右に禿(花魁に仕える十歳前後の少女)が描かれています。

絵馬の額面右上には「東都 一陽斎歌川豊国門人国経画」と絵師名が、右下には「上荻野 願主神崎半兵衛」、左下には「綱島佐七、神崎長佐衛門、斎藤伝右衛門」と奉納者の名が記されています。奉納した人々もまた、国経と同じ厚木市上荻野のひとであったことが分かります。

歌川国経は、本名を斎藤源蔵といい、安永6(1777)年に生まれました。長じて、浮世絵界で名筆といわれ、美人画、役者絵を得意とした歌川豊国(1769-1825年)の門人となりましたが、絵師としての活動は少なく、作品はわずかしか残されていません。この絵馬は、国経が26歳の時に描いたものといわれています。国経は、文化5(1808)年に32歳の若さで生涯を終えています。

日向の浄発願寺の入口には、国経を偲ぶ六角形の供養塔が今も静かにたたずんでいます。

由緒

由緒書

比比多神社(子易明神)由緒

鎮座地 伊勢原市上粕屋1763-1番地

御祭神 神吾田鹿葦津姫命(木花咲耶姫命)

例大祭 7月15日

御神徳

「天平の頃、当国守護の任にありし染谷太郎時忠(藤原鎌足の玄孫で関東総追捕使)が当国安土・子宝を願い勧請す。後、その内室懐胎に及び信仰益々篤くひたすら安産の祈祷奉るに忽ち霊験現る。依って、社頭以下設備怠りなく造営す。」と伝う。後に、醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等宝殿に蔵せられしが、天正18年小田原落城のおり、惜しくも亡失す。爾来、神号を『易産大明神』又は『子易大明神』と称え、朝野の別なく尊神極めて篤く、安産守護神として崇敬される。

社殿

創立年月日不詳・ただ天平年中とのみ

以後、寛文2年修築 神官・鵜川権太夫直積代

   享保2年再建(現在の社殿 工匠は荻野の宮大工)

         神官従五位下行・鵜川大隅守藤原朝臣直賢代

御神木 二株 但し、一株は大正12年関東大震災のおり倒木

          一株は現存・欅(けやき)の老木

向拝 往年より参拝せる者安産の符として少量ずつ持ち帰りしたる為細りしもの。現在の柱は三代目なり

底抜柄杓 妊婦が安産を祈願し納めしもの

美人図絵馬 歌川国経筆 享和2年12月吉日 荻野住人神崎氏等4名納

      昭和35年11月4日付 県指定重要文化財

梛(なぎ) 市指定保存木・当社の肌守には梛の葉が一枚入れてある。

解除の次第及び祝詞

伏見稲荷神官荷田宿祢信満(国学の四大人の一人)が宝永4年門人鵜川直積に与えしもの。(現在宮司宅に所蔵)

伝承によれば創建は天平年中(729-749)。

当国守護の任にあった染谷太郎時忠(藤原鎌足の玄孫)の勧請に始まるとされます。

染谷時忠は比々多神社の記事にも記載の通り、大山寺を開創したと伝わる僧、良弁の父とも言われています。

安産祈祷に霊験があり信仰され、後に醍醐天皇の勅願所にもなったものの、天正18年(1590)小田原落城の際に宝物や旧記は失われたといいます。

その後神号を『易産大明神』又は『子易大明神』とし、安産守護神として崇敬を受けてきました。

天正19年(1591)、徳川家康から社領二石の寄進を受けます。

この時の朱印状は三宮比々多神社が十石を寄進された際のものと同年月日のもの。

当社は式内社 比比多神社の論社となっています。

『新編相模国風土記稿』は、「両社共考證ナク、是非辨シ難シ」としつつ、三宮比々多神社の神主の話として「比々多神社ト書セル古額アリシヲ、子易明神々主某ニ貸與ヘシカ、終ニ返サスシテ、後彼社ニ比々多神社ノ額ヲ掲ケ、式社ナル由稱セリト云」と、当社の神主が三宮の比々多神社と書かれた古額を借りて返さなかったという話を紹介しています。

ただしこの話も証拠はなし。

現在では、「三宮」の呼称や国府祭への参加、また立地の面などから、三宮比々多神社の方が式内社であると見られているようです。

当社が比比多神社を称するようになったのは、江戸時代に神主家から国学の士を複数輩出しており、復古の志が強く、吉田家に働きかけもしていたからのようです。

実際の当社の起源は、この地方に多くみられる子安神社と同一の信仰に発するものではなかったか、と『式内社調査報告』では考察されています。

 

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

国道246号の板戸交差点を北に曲がり、県道611号を北上すると神社前へ。

駐車場は神社と道路挟んで向かいのここ。

バスだと伊勢原駅北口から大山ケーブル行の伊10系統に乗り、明神前で下車すぐです。

一時間に3本ほど。

神社概要

社名比比多神社(ひひたじんじゃ)
旧称/通称

子易明神

易産大明神

住所神奈川県伊勢原市上粕屋1763-1
祭神神吾田鹿葦津姫命(木花咲耶姫命)
社格等

式内社 相模国大住郡 比比多神社

旧村社

御朱印あり
駐車場あり

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