飛騨天満宮(高山市天満町)

飛騨天満宮。

高山市天満町に鎮座。

菅原道真の三男、菅原兼茂によって創建されたという神社。

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境内

社頭の看板

 

鳥居

 

社号標

 

狛犬

 

手水鉢

 

社号標

 

脇参道(社殿正面)の鳥居

案内碑には「昭和三十二年現在地へ移築」とありますが、それ以前はどこに?

 

石碑

元禄二年九月、金森頼時の武運長久、国中五穀成就を祈り家臣が奔走して建立された。荒のみ切りのままの素朴な小鳥居だが、均衡のとれた姿が美しい。寄進者和仁喜兵衛、信州伊那谷の石工三名の製作。昭和三十二年現在地へ移築。

 

神門

 

狛犬

 

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

※神門のところに柵が立ててあったので立ち入りには確認を取っています。境内社は透塀の内側。

 

津島神社

 

春彦神社

 

神楽殿?

 

御神木?

由緒

由緒板

御社名 飛騨天満宮

御祭神 菅原道真公

相殿 天照大御神 松尾神

由緒

第六十代醍醐天皇の延喜元年正月右大臣菅原道真公は藤原時平の政略により太宰権帥に左遷に伴い公の三男兼茂公は飛騨権椽に遷され給い国府近くの此の花里の地に謫居中延喜三年父君菅公の薨去を聞き此の地に生える梅の木に自ら像を刻まれ霊祠を建立され礼拝されていたが延長元年勅許を得て帰京の際里人に永久の祭祀を依頼された

これ当社の創建にて爾後天満宮と称せり

其の後国司領主の崇敬厚く天正の頃には松倉城主三木大和守自綱の再建あり次に正保の頃領主金森出雲守重頼再造営し更に元禄二年には金森出雲守頼時尚造営あり

其の他代々の代官郡代の崇敬厚く次々に大祭も執行し飛騨一円をはじめ国外までも文学の祖神として崇敬者が多い

末社

津島神社 建速須佐之男神

春彦神社 度会春彦命

社伝によれば延喜3年(903)の創建。

父の左遷に伴い当地に謫居させられた菅原兼茂(菅原道真の三男)が、父の死を聞いて悲嘆のあまりこの地にあった梅の木に自ら父の像を刻み祠を建て祀ったことに始まるとされます。

 

延長元年(923)、一族の無実が認められ兼茂帰京の際、里人にいつまでも祭祀を継続するよう懇願され、本官に復帰(帰京後も祭祀を続けたという認識でよいのでしょうか。wikipediaには木像を村民に託した、とあります)。

 

天正年間(1573~92)三木自綱により再建。

正保年間(1645~48)金森重頼により再造営。

元禄2年(1689)金森頼時により再造営。

 

明治4年村社列格、昭和14年郷社昇格。

 

祭神は言うまでもなく菅原道真公。

配祀の二柱は合祀された神社の祭神なのでしょうか。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

高山駅から徒歩10分強。

車の場合、国道158号で高山駅南東の日赤北交差点(位置)まで行き、そこから400mほど南下すると社頭。

脇参道の鳥居横から入って境内に駐車可能。

神社概要

社名飛騨天満宮(ひだてんまんぐう)
通称
旧称花里天満神社
住所岐阜県高山市天満町2-30
祭神菅原道真公
配祀

天照皇大神

松尾大神

社格等旧郷社
札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「花里村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「飛騨天満宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995