久津八幡宮(下呂市萩原町上呂)

久津八幡宮。

下呂市萩原町上呂に鎮座。

飛騨国二宮の論社とされる神社。

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境内

社頭

国道41号沿いにあるのですが、国道と境内の間を高山本線が走っています。

 

鳥居

 

鳥居境内側から

ちょうど電車が通りました。

 

社号標

 

左:県社の社号標、右:郷社の社号標

 

狛犬

 

手水舎

 

脇参道の鳥居

拝殿

拝殿

 

拝殿の扁額

 

鯉の彫刻

 

案内札

天正九年(1581年)益田の国領主三木大和守自綱は普請奉行に小林正左衛門、舩坂弥治右衛門、内気喜助を任命し、桜洞の名匠桂川孫兵衛を棟梁として拝殿を建立しました。

下の写真の鯉は、嘉永七年(1854年)大修理の際の取り付けられた水を呼ぶ鯉で、今なお当時の姿のまま保存

庇下に造作された二匹の鯉 これが水を呼ぶ鯉の伝説を持つ

 

矢の彫刻

 

水を呼ぶ鯉(萩原のむかし話より)

ずっと昔、毎年雨の降るたび、益田川の水が荒れ狂う水に削られて川がどんどん久津八幡様の方へ押し寄せて来たそうな、村人達は心配のあまり川を眺めて「なんとかせにゃどもならん、こりゃどえらいことになる」、長老の弥作じいがおみたちの心配する気持ちはようわかるどしてみとがこっちへくるかって事よ、ありゃ拝殿のひさしに彫り込んだ鯉よ、あいつが水をよぶんやぞ、とにかくあの鯉を作らはった和田様に聞いてみるが一番ええ

次の朝、じいは高山の和田様を訪ねた

事の次第をうなずきながら聞いておられた和田様は、しばらくお待ちくだされ、白装束を身につけて仕事部屋に行き、なにやらトントン木を刻む音が聞こえてきた

すると和田様は掘り刻んだ矢を手に現れ、この矢を鯉に向けて取り付けてくだされ、それからというものはまったく大水の心配は無くなり、村は安らかになったという

 

拝殿後方から

 

宝物の紹介

本殿

幣殿前の狛犬

 

幣殿

特に文化財ではないようで案内もないのですが、改修工事を行った業者のサイトに「久津八幡宮幣殿他屋根改修工事」というタイトルでこの建物の写真が紹介されているので、幣殿なのだと思います。

 

国指定重要文化財 本殿について

応永十二年(一四一二年)

飛騨の国の領主白井太郎俊国が祈請し家臣山下作右衛門友貞を普請奉行とし飛騨の匠の流れをくむ美濃の国の名匠武澤茂右衛門利久を召し棟梁として本殿の再建に着手完成に至る。

南側の蟇股の二羽の鳥の彫刻は「鳴いた鶯」の伝説を持ち有名である。

 

本殿

 

「鳴いた鶯」の彫刻

 

鳴いた鶯(萩原の昔話より)

ずっと昔の事やった、旅の男が夏の太陽が照りつける中を、歩いておったと久津の八幡様の森のなかに涼しく流れる清水を見つけ、口をうるおし、大杉の木陰で汗をぬぐいひとやすみしとった。境内はとても静かな所で木々を吹き抜ける風に、小鳥のさえずりが気持ちよう聞こえてくる、その中にひときわ美しいウグイスの鳴き声も聞こえたそうな、男は疲れのせいか眠気がさしてきたんやと、そんでもいざ寝るとなると鳥のさえずりがやかましい。男は小石を拾って森の方へ投げつけたと、小鳥の声はぴたりと静まったが、ホーホケキョホーホケキョと鳴くウグイスの声だけはいっこうに鳴きやまん

男は、その声のする方へ近づいていったと、けどな不思議な事もあるもんよ、いっくらさがしてもウグイスは見あたらん、ただ目に付いたのは、軒下に木彫りのウグイスがあってな、いまにも鳴き出すように活き活きと彫ってあったとよ、まさかこの彫り物が。気のおさまらんままに足下の小石を拾って彫り物の鳥めがけて力いっぱい投げつけたとよ

するとなウグイスの鳴き声は、ぱったりとやんでしまったと、ただ木の葉を渡る風音だけが聞こえておったと、男はあわてふためいて境内を飛び出し村人達にこのできごとを話したと。

このときからや、軒下の二羽の鳥の彫り物を鳴いたウグイスと呼ばれ出したのは

境内社等

美魂神社鳥居

 

美魂神社社号標

 

美魂神社社殿

戦没者を祭る神社です。

 

自動車御祓所

 

夫婦スギ

美魂神社の左右に聳える巨木。

 

写真一枚目が雌杉(向かって左)、二枚目が雄杉(向かって右)

いずれも非常に立派で存在感があります。

由緒

久津八幡宮由緒記

祭神

應神天皇、天照皇大神、春日大神を主神とし仁徳天皇をはじめ八柱の大神を配祀する。

由緒

仁徳天皇六五年(三七七)勅命により難波子武振熊命が飛騨国の両面宿儺を征討の途次應神天皇の霊を奉祀したのを創祀とし平治の乱(一一五九)役募兵のため飛騨に入国した源義平が鶴岡八幡宮の神霊を勧請奉斎したのを當宮の鎮座とする。

その役応永一九年(一四一二)飛騨国領主白井太郎俊國が現在の本殿を再建し天正九年(一五八一)飛騨国領主三木自綱が現在の拝殿を建立した。以後飛騨国藩主金森氏や幕府の代官、郡代により次々に修理造営が行われてきている。

古くから飛騨二の宮南飛騨総鎮守と称され飛騨国中はもとより越中、美濃からも厚く崇敬されている。

例大祭

四月第三土曜日試楽祭 四月第三日曜日本祭・神幸祭

重要文化財

本殿(国指定)

三間社流造、屋根こけら葺 室町時代初期の建造物 南妻蟇股の彫刻「鳴いた鶯」は飛騨の匠の作として有名

拝殿(国指定)

入母屋造、屋根こけら葺 桃山時代の建造物 南面軒口の「水呼ぶ鯉」の作り物は飛騨の匠の作として有名

天然記念物

夫婦杉(国指定)

雄杉(上)雌杉(下)ともに周囲十二.五米 樹齢一五〇〇年

宝物

木造高麗犬壱対(鎌倉時代作)木造神像壱体(平安時代作)書写大般若若波羅密陀経百余巻(鎌倉時代)その他獅子頭、鬼神面

太刀、槍、鰐口、神輿、扁額など三十数点、久津八幡宮祭礼記録類十八点(岐阜県重要民俗文化財指定)外 古文書古記録壱千余点

伝承によると創建は仁徳天皇65年(377)。

飛騨国の宿儺(両面宿儺)を討伐した武振熊命(和珥氏の祖とされる)が応神天皇の御霊を祀ったことに始まるとされます。

 

その後平治の乱(1160年)の際、募兵入国した源義平が鶴岡八幡宮の神霊を勧請。

 

応永19年(1412)、飛騨国領主白井太郎俊国が本殿を再建(これが現本殿)。

天正9年(1581)、飛騨国領主三木自綱が拝殿建立(現拝殿)。

 

明治3年郷社列格、その後時期不明ですが県社に昇格。

 

飛騨の古い俗謡に「飛騨で一番一之宮、二には荒城安国寺、三に上呂の久津の宮」と謡われ、越中や美濃からも崇敬が寄せられという古記録もあるそうで、飛騨国二宮とする説があります。

 

祭神は応神天皇、天照皇大神、春日大神。

神社公式によると主神が応神天皇で、他二柱は相殿神のよう。

御朱印

御朱印はあります。

私の参拝時は宮司さんが境内にいらしたのでいただけましたが、ご不在だったという情報もあるので、確実にいただきたい場合事前連絡が無難かもしれません。

アクセス

国道41号を名古屋方面からは北上、富山・高山方面からは南下。

飛騨萩原駅の1.5km程北です。

国道沿い、境内北側から踏切を渡り(位置、社殿正面の踏切は車両通行不可)、右手に駐車場があります。

神社概要

社名久津八幡宮(くづはちまんぐう)
通称
旧称
住所岐阜県下呂市萩原町上呂2345-1
祭神

応神天皇

天照皇大神

春日大神

配祀

大雀命

倉稲魂神

火産霊神

大山祇神

須佐之男命

事代主神

磐長姫神

菅原道真

久久能智神

社格等

飛騨国二宮

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.seiryu.ne.jp/~kuzu/
備考

参考文献

  • 「久津八幡宮」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「久津八幡宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第九巻 美濃・飛騨・信濃』白水社, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 262-263コマ