白山神社(輪島市名舟町ト)

白山神社。

輪島市名舟町に鎮座。

式内社 辺津比咩神社の論社。

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境内

社前海上の鳥居

 

御陣乗太鼓之地碑

 

御陣乗太鼓の由来

天正四年、越後の上杉謙信は七尾城を攻略しその余勢をかって奥能登平定へと駒を進めた。当時名舟村は舳倉島、七ツ島を有し山海の宝庫であったが、迫り来る百戦錬磨の上杉勢を前にし農民漁民の集まりでは勝敗は明らか。しかし郷土愛の一念から古老の指示に従い、木の皮で面を作り海草を髪とし夜陰に乗じ太鼓を打ち鳴らし夜襲をかけた。

これを見た上杉勢は奇怪な様に物の怪か神の化身かと驚き戸惑い余儀なく退散したと伝える。これは氏神(奥津比咩)の加護によるものとし、以来、名舟大祭には神輿の先供として現在に至る。

この碑石は当時の山城、名舟城(赤城)の門石である。

 

陶壁画「御陣乗太鼓」

序・破・急の三段で打ち鳴らす名舟御陣乗太鼓は、戦国の世に村を守った先人たちの勇姿を今に伝える。

氏神への感謝の魂を捧げる習わしとして、代々地域の男たちに受け継がれ、石川県及び輪島市指定の無形文化財として世界農業遺産「能登の里山里海」を構成する代表的な財産の一つである。

この陶壁画は、地域の魅力発信と活性化を願い、石川県立輪島漆芸技術研修所長前史雄氏(沈金 人間国宝)の指導を仰ぎ、ここ御陣乗太鼓発祥地の野外ステージを飾ることとなった。

原画は、金沢美術工芸大学名誉教授百々俊雅氏によるものであり、金沢美術工芸大学教授西出茂弘氏と石川県立九谷焼技術研修所主任研究員藤原元氏の指導のもと、両研修所の研修生有志の手によって製作がなされ、平成26年4月5日に除幕式が行われた。

輪島塗と九谷焼という石川県を代表する伝統工芸の粋を集め、御陣乗太鼓の躍動感を余すところなく表現する陶壁画である。

 

陶壁画

 

日本遺産「名舟大祭」

名舟の沖合約50km離れた舳倉島(へぐらじま)に鎮座する奥津比咩神社(おきつひめじんじゃ)の御神霊を迎えて行う例祭です(7月31日開催)。能登の夏祭りを象徴するキリコと御神輿や、御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)の奉納打ちが最大のみどころです。

 

社頭

 

手水舎

 

社号標

 

奥津姫神社の社号標

 

石段

 

狛犬

 

狛犬

 

神輿庫?

社殿

拝殿

 

本殿への石段

 

本殿

白米千枚田

当社から2kmほど西に、白米千枚田という有名な棚田があります。

 

1.2haほどの斜面に小さな田んぼが並んでいます

 

ちょうど日没の時間だったので、きれいな夕日が見れました

由緒

名舟御陣乗太鼓

石川県指定無形文化財 昭和38年7月3日指定

古くからの言い伝えによると、能登各地を攻め、落城させた越後の勇将上杉謙信の軍勢を名舟の農漁民は、仮面をつけ、陣太鼓を打ち鳴らして退散させたとされ、この戦勝は舳倉島に鎮座まします産土神の御神徳によるものと崇敬の念篤く、以後名舟町の例大祭(七月三十一日~八月一日)に、仮面をつけて太鼓を打ち鳴らして神輿渡御の先駆をつとめ、氏神へ感謝する習わしが、今も連綿と続いている。

例大祭では、舳倉島の奥津比咩神を海上に建つ鳥居まで送迎し、御陣乗太鼓を勇壮に打ち鳴らす。

この太鼓の特徴は、始めはゆっくり、次いでやや早く、最後は最も早く打ち切る。即ち、序・破・急の三段で打ち、打ち手は自由な形で「見えを切り」、面に応じたしぐさで個性的な芸を入れるのである。これは非常に早いテンポで動きが激しく、各地の太鼓に比べ、リズム、所作等が醸し出す異様な雰囲気には、一種独特なものがあり、心に食い込んでくる迫力に圧倒されるのである。

往時、トドを追って数十キロ沖の日本海に活躍した名舟の海人魂は現在も生き続けており、神を崇め、地域全体が心一つに古来伝承されて来た御陣乗太鼓を守り続けている。

 

鳥居再建記念碑

舳倉七ツ島の諸島は往古より名舟村の領有であった ここを漁場として活やくしたわれらの祖先は舳倉島にまします奥津比咩大神を守護神とし渡島して祭事を執行して来た

しかし祭日が荒天ともなれば当時の渡海は危険であった ために寛文二年現白山神社境内に遙拝所を設け海岸に鳥居を建立して例祭を営むに至った 即ち水無月大祭の神事はこれを継ぐ所以である

在来の鳥居は昭和初期の改築によるが近年国道改修により著しくその景観を損じたので御陣乗太鼓保存会の演技者たちが再建を発起し区民また一体となってこの鳥居が完成したのである

創建時期は不詳。

舳倉島の奥津比咩神社の末社で、当社自体が奥津比咩神社と通称されていたとのこと。

元々舳倉島は当地名舟村の領有で、奥津比咩神社を奥宮、当社を磯宮遥拝所として祭祀を行っていたようです。

この関係性から、当社を延喜式神名帳にみえる「能登国鳳至郡 辺津比咩神社」に充てる説もあります。

『輪島市史』に以下の記述があります。

「いま名舟海岸の白山比咩神社が「辺津宮」とする別号をもつのにとくに注目したい。南志見川河口の西方に位置するこの辺津宮は舳倉島の奥津比咩神との対応関係を十分に考えうる」

しかし、『式内社調査報告』はこの説について「従来の所論を見出せない」とした上で、名舟村に存在したのは「白山社ないし白山神社」「奥津比咩神社の末社か摂社」であり、『輪島市史』のいう「白山比咩神社」「辺津宮」はなく、「対応関係が考えられるとして舳倉神の遙拝所を辺津宮と思い違い独断から生れた錯誤論」と退けています。

 

明治13年の神社明細帳によれば、元は当村の字イノ二十五番地(字イがどの辺りなのか不明)に鎮座しており、明治34年に現在地に遷座したとのこと。

昭和6年村社列格。

 

当地に伝わる御陣乗太鼓は、攻め込んできた上杉軍を退散させたという伝えがあり、現在も例大祭では神輿渡御の先駆をつとめているそうです。

保存会が存在し、公演やイベント参加も行われている様子。

 

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

輪島中心部から国道249号を東へ向かいます。

12,3kmくらい行くと、右手に寄り道パーキング名舟という駐車場があります(位置)。

ちょうど神社の真下にあるので、ここに停めて参拝するのがよいと思います。

神社概要

社名白山神社(はくさんじんじゃ)
通称奥津比咩神社
旧称
住所石川県輪島市名舟町ト64乙
祭神菊理媛命
社格等

式内社 能登国鳳至郡 辺津比咩神社

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考旧地は字イノ二十五番地

参考文献

  • 「名舟村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「白山神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十六巻 北陸道2』皇學館大学出版部, 1985