神杉伊豆牟比咩神社(穴水町字中居)

神杉伊豆牟比咩神社。

穴水町中居に鎮座。

式内社 神杉伊豆牟比咩神社の論社。

境内

社頭

 

鳥居

 

社号標

 

手水鉢

 

手水舎

 

参道石段

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿覆屋

中の本殿は正面三間、側面二間、これに三間の向拝庇を付けた三間社流造で杮葺、鎌倉時代の様式を伝える県内最古のものだそうです。元応2年(1320)に本殿再建と由緒にあるので、この時のものでしょうか。

境内社等

栄浜神社

 

栄浜神社の由緒

明治の初め現在のソ連領なる樺太栄浜村に本土より移住の人々によって京の稲荷神社から勧請、栄浜神社が創立さる。大正十二年に至り、社家神杉第九十七代茂穂の二男、健男が北海道函館にあった姉の田村家を継ぎ栄浜の地に渡り、同神社の宮司となる。

神々のご加護のもと、漁業、林業をもって村は繁栄を続けきたるも、昭和二十年八月ソ連軍の侵入によって神社は破壊されるや宮司密かにご神体を奉じ村を脱出和舟にて北海道に渡り、昭和二十二年五月二日札幌にて奉安す。

昭和三十四年十月、元宮司の生地なる中居にご鎮座の神杉伊豆牟比咩神社に仮遷座、昭和五十三年四月二十八日ご社殿を建立遷宮奉る。

 

境内社2社

『平成祭データ』には境内社として荒志社、杉平神社が掲載されています。

ただ、式内社調査報告(が引く神社明細帳)によれば荒志神社=六所神社で本社相殿に祀られているとのことで、だとすれば1社は不明な社となります。

 

「能登三大相撲之地 六所山」の碑

 

遷座一千年由緒之碑

由緒

碑文

御祭神大名牟遅命、伊豆牟比咩命、三穂津比咩命を祀る当、神杉伊豆牟比咩神社は、往時武内宿祢大臣東南諸国を周旋の時、中井杉カ平の地に招ぎ祀れる社が創祀の初めてり、荒志社と称せしも後に、神杉伊豆牟比咩神社と改号す。

和銅二年に神田二町と菊の御紋入り御幕を賜う延喜式内社に列し、天暦二年相殿に六所大明神を祀り総して六所の宮と称し崇め祀れり。寛和元年に至り、神杉伊豆牟比咩神社を此の浄地に遷座し奉る。元応二年御本殿の再建と共に六所大明神を同殿に合祀し奉る。御創祀以来朝廷の祈願社として近衛院外玉体御安泰の祭事を仕え奉り、元応二年三月十一日には官幣使の下向を仰げり。

現御本殿は三間社流れ造り、鎌倉時代の様式を伝える県内最古のものと云われる。

明治五年郷社に列す。昭和の御代も天皇陛下御即位六十年と云う史上比類なき御慶事を寿ぎまつる年に、当社遷座一千年の式年大祭を迎え、縁由の奇しきことなり。ここに奉祝記念の碑が建立さる。

創建は武内宿禰によるものと伝えられます。

その時期は不明ですが、貞享2年(1685)の由来書には「年数当年迄凡千四百六十年余」とあるので、西暦200年頃なのでしょうか。

当初は荒志社と称していたようです。現在、相殿に荒志神社が祀られていますが、こちらが大元の社?

 

和銅2年(709)神杉六所宮と改称。

ただ、境内由緒碑には天暦2年(948)に六所大明神を相殿に祀り、六所の宮と称するようになったともあり、この改称時期のずれは詳細不明。

 

寛和元年(985)に神杉伊豆牟比咩神社を勧請。

延喜式神名帳にみえる「能登国鳳至郡 神杉伊豆牟比咩神社」を当社にあてる説もありますが、この由緒や、当地が古くは能登郡に属していたと考えられることから、輪島の大幡神杉伊豆牟比咩神社の方が有力説のようです。

 

 

元応2年(1320)に本殿再建、六所大明神を同殿に合祀。同年には官幣使の下向もあったといいます。

 

明治5年郷社列格。

御朱印

御朱印はあります。

普段宮司さんは常駐されていないとのこと。

先代宮司の娘さんが珠洲市の須受八幡宮(位置)に嫁がれており、こちらにいらっしゃられる日だということだったので時間をあらためて再訪し御朱印をいただけました。須受八幡宮はかなり遠く、いつでもOKではないと思うので、事前連絡が無難だと思います。

アクセス

穴水中心部から国道249号を少し東に行ったここで南に折れます。

1.5kmほど行くと十字路があるので、そこを左手に入って少し進むと神社。

境内に駐車可能。

神社概要

社名神杉伊豆牟比咩神社(かみすぎいずむひめじんじゃ)
通称
旧称

神杉六所宮

六所明神

住所石川県鳳珠郡穴水町字中居ワ153-1
祭神

伊豆牟比咩命

大名持命

三穂津比咩命

相殿(?)須佐之男命
社格等

式内社 能登国鳳至郡 神杉伊豆牟比咩神社

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

『式内社調査報告 第十六巻 北陸道』 皇学館大学出版部


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