祇園神社(五ヶ瀬町大字鞍岡)

祇園神社。

熊本との県境に近い五ヶ瀬町鞍岡に鎮座。

日本文徳天皇実録 天安元年(857)6月甲申(19日)条にみえる曾男神に比定される神社。

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境内

社頭

 

鳥居

 

社号標

 

二の鳥居

 

 

神輿修理神楽殿改築記念碑

氏子ノ協力ニヨリテ御神輿三台ハ昭和三十四年十一月十二日上野村黒口林清治氏修理ニカヽリ翌三十五年七月四日、神楽殿ノ改築ハ当地大工馬原勝氏ニヨリテ昭和三十五年五月三十日ニ修了セリ、尚新設弓道場ハ当地区愛好者ニヨリ寄贈セラレタルモノナリ。

 

造林記念碑

 

手水舎

 

仁王像

 

三の鳥居

 

扁額

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

 

文化財標

境内社等

大山神

 

大山神の鳥居と神徳の木

 

神徳の木

神々の祭祀に、大切なる榊の木を、樅の木が抱き育てています。当社が母なる山祇園の山ふところに深く抱かれるが如く。神々の恵みは故郷の人びとを暖かく包んでいる姿そのままです

 

生目八幡大名神

 

生目八幡大名神

弘化四年(一八四八)十月宮崎景清八幡(生目神社)出開帳が行われ、以後旧正月十四日の夜は、郷中氏子の家々では庭に提灯を掲げ献灯遙拝していたが、戦時中物資統制令により提灯、ローソクの入手ができなくなり今なお、風習は絶えている。

 

権現神社、古我武禮神社、妙見神社

 

御神水

 

大欅

 

祇園神社の大欅

■樹齢(推定)800年

■御神木にて(町指定天然記念物)

那須大八郎が平家追討のため椎葉山に赴く途中馬の鞍を置き戦勝祈願のため参拝し此の欅を植えたものと云う

『日本歴史地名大系』は那須宗久(大八郎)が栃の木を植えたなどの伝承もある、としていますが、別系統の伝承があるのか、欅と栃を両方植えた(栃が別にある)のかは不明。

 

夫婦杉

 

夫婦杉

左から三回、右から三回廻ってください。

夫婦和合、縁結び、子宝に恵まれます。

 

本殿横の小祠

 

森巻神事の由来

矢惣園組の森巻の神事悪魔退散祈願として古事の大蛇退治の八岐の大蛇をまかや(ちがや)で作り神殿より右の立木に巻く大蛇は八尋 左の木に巻く大蛇は七尋と定められ木に巻きつけ頭は、新しく芽生えた真竹の若竹を割って作った橋の上にのせ一夜造りの甘酒を供える(素盞嗚尊大蛇退治) 橋も桁に並べる板の数も陰暦平年は十二枚 うるう年は月数の十三枚をまかやて結いつけるを慣しとする

由緒

祇園神社由緒

御祭神

素盞嗚大神 大己貴大神 伊弉冊大神

奇稲田姫神 五ツ瀬ノ神 蘇民将来巨旦将来

天満天神 足名椎神 手名椎神 稲荷大明神

 

第二十九代欽明天皇の十六年頃知保郷に厄病流行し疫病及び厄難消除の祈願守護神として創始 祇園社と称し第五十五代文徳天皇の天安元年曽男神(素盞嗚大神)並びに冠八面大明神(闇龗神)に正五位下の神階奉授の古い神社であります。(文徳実録巻九より)

第五十六代清和天皇の貞観十一年山城国(京都)八坂神社より素盞嗚大神を勧請、その他の諸神を合祀し八坂神社と改称昭和十年祇園神社と改称現在に至っております

 

御神徳

厄難災難消除、五穀豊穣、交通安全

 

社殿

天正六年大友宗麟の兵により当社並びに冠八面大明神他焼失せるも御神体は東光寺北の殿に奉祀して祭祀していましたが、享保五年神殿を建立尚天保六年北の殿にあった大欅一本をもって社殿を再建し神殿の屋根は草葺で約十八年毎に葺替が行われていましたが、昭和五十二年天皇在位五十年記念並びに宮崎国体山岳競技開始式場記念事業として氏子崇敬者の寄進により神殿は銅板葺に改修、拝殿は増改修して銅板葺に葺替られ昭和四十九年社殿は五ヶ瀬町文化財に指定されています

 

祭礼

例大祭 七月十五十六日 御神幸祭祇園神楽心影太車流棒術奉納

秋季例祭 十月九十日 祇園神楽臼太鼓踊り三十三番夜神楽祭り

大山祇神社例祭 五月十六日(山ノ神祭り)

正月元旦 元旦祭 二月十一日 建国記念祭神楽祭 二月十七日 祈年祭

旧元旦 悪星消除祈願祭 六月一日 厄除祈願祭 六月三十日 大祓祭

十一月十五日 七五三祭 十月二十三日 献穀祭神楽祭 十二月三十一日 大祓祭

毎月一日、十五日 月次祭 一月五月九月十六日 山ノ神祭

 

特殊神事

延宝三年疫病流行により荒谷組より祈願麦餅焼き(七月十四日) 矢惣園組により森巻神事

八岐太蛇を作り上七巻、下八巻鎮魂ノ儀 三番相撲奉納(七月十五日)

 

郷土芸能

祇園神楽 心影無雙太車流棒術及び薙刀 臼太鼓踊(平家の流れと言う)

 

境内社

大山祇神社 山ノ神 妙見社 水波能売神(水神) 冠八面大明神 闇龗神 八岐大蛇

権現神社 家都御子神、熊野速玉神、熊野夫須美神

畠中天満天神

 

祇園神社由緒碑文

第二十九代欽明天皇の十六年頃知保郷に厄病が流行し疫病及び厄難消除の祈願守護神として創始

祇園社と称し

第五十五代文徳天皇の天安元年曽男神(素盞嗚大神)並びに冠八面大明神(闇龗神)正五位下の神階奉授の古い神社である(文徳実録巻九より)

第五十六代清和天皇の貞観十一年山城の国(京都)八坂神社より素盞嗚大神を勧請

その他諸神を合祀し八坂神社と改称 昭和十年祇園神社と改称され一千年以上を経て現在に至って居る

社伝によれば創建は欽明天皇16年(555)。

知保郷に厄病が流行したため、疫病及び厄難消除の祈願守護神として創祀されたといいます。

 

 

文徳実録 天安元年(857)6月甲申(19日)条に「在肥後國従五位上曽男神授正五位下」とみえる曽男神は当社を指すとみられています。

由緒書には冠八面大明神(闇龗神)も同時に正五位下を授かったように書かれていますが、文徳実録には曽男神のみの記載。

現在の鎮座地は宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町ですが、当地は古くは肥後国阿蘇郡知保郷に属していたようです。

 

貞観11年(869)、山城国八坂神社より素盞嗚大神を勧請。

曽男神=素盞嗚大神とすれば、この勧請以前から素盞嗚大神を祀っていたはずなのですが、その辺りの経緯は不明。

この合祀の時点で八坂神社に改称したように由緒書は記しています。

 

天正6年(1578)、大友宗麟の兵により当社他3社が焼失したため、御神体は東光寺北の殿に遷され、享保5年(1720)までの約120年間はそちらで祭祀が行われました。

享保5年に社殿再建(おそらくこのタイミングで御神体も戻された?)、また天保6年(1835)には北の殿の大欅一本をもって社殿を再建(再々建?)。

神殿の屋根は草葺で、18年毎に葺き替えていたのを、昭和52年に銅板葺に改修、拝殿も銅板葺に増改修(神殿=本殿で草葺から銅板葺に変えたということでしょうが、拝殿が元は何葺だったのか、またなぜ「改修」と「増改修」と敢えて異なる記述にしているのか不明…)。

昭和49年には社殿が五ヶ瀬町文化財に指定(本殿・拝殿ともに?)。

 

『日向地誌』によれば、元は祇園大明神と称し、明治4年に日陰(ひぞえ)神社と改称。

明治43年に、折立神社(明治4年まで熊野三社権現と称した、祭神:伊弉冉命、伊弉冉命、事解男命)・清水神社(冠八面大明神と称した、祭神:八岐大蛇)・長司神社(浜妙見と称した、祭神:水波女命)を合祀。

昭和12年、祇園神社に改称。

 

現主祭神は素盞嗚大神。

おそらく当初からの祭神である曽男神を指すと思いますが、貞観11年に八坂神社から勧請の記述もあるので詳細不明。

 

他にも複数祭神が祀られているのですが、資料によって異なります。主神と配祀・合祀・境内社神が混ざったり記載されなかったりなのでしょうが…

境内由緒書では、素盞嗚大神、大己貴大神、伊弉冊大神、奇稲田姫神、五ツ瀬ノ神、蘇民将来巨旦将来、天満天神、足名椎神、手名椎神、稲荷大明神。

宮巡 ~神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト~』では、素盞鳴尊、大己貴尊、伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊、水波女尊、八岐大蛇。

『平成祭データ』では、主神が素盞嗚大神、伊弉冊大神、大己貴大神、配祀神が奇稲田姫神、五ツ瀬神、蘇民将来、巨丹将来、大年神、足名椎神、手名椎神、稲荷大明神、天満天神。

 

蘇民将来巨旦将来については、当初から曽男神と合祀されていたようです。

 

八岐大蛇については、冠八面大明神の祭神のようです。冠八面大明神は闇龗神も祀っているのですが、それぞれの関係は不明。どうも境内社の古我武禮神社が冠八面大明神のようなのですが…

なお境外にも古我武禮神社が存在する(旧地?)らしいのですが、場所不明。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

阿蘇から国道265号をずっと南下します。

五ヶ瀬町に入ってしばらく走ったところで、五ヶ瀬町祇園町交差点(位置)を左手に。

橋を渡った先で左に進むと、右手に鳥居があります。

鳥居を潜って進むと社頭。駐車場あり。

神社概要

社名祇園神社(ぎおんじんじゃ)
通称
旧称

八坂神社

祇園大明神

日陰神社

住所宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡6066
祭神

素盞嗚大神

大己貴大神

伊弉冊大神

奇稲田姫神

五ツ瀬ノ神

蘇民将来

巨旦将来

天満天神

足名椎神

手名椎神

稲荷大明神

社格等

日本文徳天皇実録 天安元年六月六月甲申(十九) 曾男神 正五位下

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「祇園神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「祇園神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995