御食神社(佐渡市宮川)

御食神社。

佐渡市宮川に鎮座。

式内社 御食神社の論社。

境内

鳥居

 

狛犬

 

社号標

 

社殿西側の鳥居

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿覆屋

境内社

天神社かと思われます。

 

石祠。白山神社と秋葉神社ではないかと思われます。

当社境内社については、『平成「祭」データ』では天神社、『佐渡神社誌』では白山神社と秋葉神社との記載がありました。『平成「祭」データ』は最近の資料なので新しそうな社を天神社、古くからありそうな祠を白山神社と秋葉神社と推測しましたが、確証はありません。

由緒

創建時期は不詳。

天正年間兵火に罹り旧記を焼失したとも。

『佐渡国寺社境内案内帳』に「御神號大御気持命、神皇産霊尊之子、往古の御勧請地不知、今山崎五郎助と申百姓屋舗に神跡有之と雖も不詳」とあります。

『佐渡国誌』ではこれに対し「按スルニ山崎ノ地ニ一禿祠アレトモ是レハ御食ノ神ニハアラスシテ貴船ノ神ナリト傳ヘ居レリ」とします。

『佐渡国誌』ではまた、「今ノ社ハ寛延3年ニ建テ同村ノ重立ナル古屋將監カ私費ニテ経営經營シ後歡行院ニ賣渡シタル」「古社ハ同村西隅ナル宮所(凡三百坪ノ森ナリシテ今ハ開キテ田トシ字ヲ新宮ト呼ヘリ昔ハ松林ニシテ南林ト稱シ石祠アリタリト云)ニアリシ時社人ナル長次郎ト云フ者己レカ私有地トシテ元祿檢地以前ニ隣接セル馬塲村ノ某ニ賣却シ某又後山村某ニ賣渡シタルコト明ナリ」としています。

『畑野村志』は「当社昔は今の山崎五郎右衛門屋敷に鎮座したるに、慶安前後の頃にや洪水の為めに社殿を流され、其後は村内字南林と云ふ地に移り祀りしより其地を新宮と称したりしが、社人内田長次郎は社領を売払ひ遂に延宝7年に至り社地なる南林をも隣村人に売却したりしかば(今日にありては斯る事は為し得難きも当時制度不備の際村民も当社の事には不関心なりし故ならん)元禄検地の際には社基は湮滅の様に在り社地は他村人の私有として検地せられたるなり、然るに享保中に奉行小濱久隆(志摩守)より御食の神跡を尋ねられて初めて村民は其の尊厳なる古祠なることを覚りたるが如く、村内の旧家古屋六郎兵衛重屋と称する者神社を再興すべく用意はしたるも果さず、遺言して歿せしが其孫将監に至り寛宝3年右の南林の地を所建の石祠と共に馬場村市郎右衛門より買取り、宝暦5年村民と協議し更に今の地に移し社殿を新築して当社を再興し、自ら社人となり後今の神職の先代なる修験観行院に譲りて別当たらしめ一村皆氏子となり社運漸く復して今に至れり」と、口碑に拠る近世の当社の辿った経緯を記しています。

『佐渡志』には「形ハカリノ小祠アリ修験観行院戴祭ルトイヘリ」とあるので、上記の村志にある宝暦5年(1755)新築の後また衰退したのかもしれません(佐渡志は文化13年(1816)の成立)。

明治6年村社列格。

式内社 御食神社としては佐渡市竹田の大膳神社が有力視されており、当社については異論も多いようです。

なお、社名の読みは「みけし」「みけつ」の2種類が見受けられます。

現地の案内板には「mikeshi」とローマ字で記載がありました。

玄松子の記憶さんでも「地元の方が「みけし」と言っていた」と書かれているので、少なくとも現地では「みけし」と読まれるのでしょう。

新潟県神社庁のサイトや平成「祭」データでは「みけつ」とかなが振られています。

 

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

県道65号と195号が交わる場所から東北東に約500mのところを、南に入ります。

ここを南へ。700mほど行くと左手に神社があります。

駐車場はありません。社地西側の路肩が広くなっているのでそこに停めるのが無難か。

神社概要

社名御食神社(みけし/みけつじんじゃ)
住所新潟県佐渡市宮川793
祭神大御食大神
社格等

式内社 佐渡国雑太郡 御食神社

旧村社

御朱印不明
駐車場なし

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