上南部神社(熊本市東区上南部)

上南部神社。

九州自動車道熊本ICの西、上南部に鎮座。

合祭されている内の一社である奈我神社は、日本三代実録 貞観18年(876)9月9日癸未条にみえる奈我神社の論社。

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境内

鳥居

 

扁額

 

狛犬

 

社号標

 

手水舎

 

脇参道鳥居

 

扁額

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

猿田彦大神

 

石祠

 

御神木

 

銅瓦(?)改修記念碑

 

鎮座壱千参百五拾年記念碑

 

社前の石祠

社頭には地蔵堂があったので、そちらの関係かも。

 

境内東側の巨石群

注連縄が巻かれているものもあり、祭祀対象のようにも見えますが特に説明などは見えず。

由緒

上南部神社の由来

奈我神社 祭神 玉依姫命

第三十八代、天智天皇まだ中大兄皇子の頃、九州御巡業のおり、当地での御宿泊の時、初代天皇神武天皇の母君玉依姫命が心霊となり現われ我は玉依姫の心霊なり、王即位ましまさば、社を立て我を祭りたまわば、郷民繁茂天下四国民守、宝祚延久に護りもうさんと夢枕に立たれ、天智天皇の勅命により六百六十三年白川南岸に鎮座する。

また、中大兄皇子が御宿泊なされた所を、王田といい、腰掛られた石を王掛石、王の腰掛とつたえる。隣村に中江とあるが、中大兄皇子御名によってその名がつけられた地名であり、託麻北小学校の校歌にもある宮社である。

その後、幾たびの、兵乱、焼亡に合い平家嶺の頃、平清盛、娘徳子安徳天皇お産のお祈りの為、社を再興し、南部弾正と伝える者が祭祝を始めるが、その後も度々の乱世の世に祭祝も絶え、千五百三年当郷主、石坂石見守、社を建て祭祝を再興、神領を寄付、大津左京進が神事を行う。千六百六十四年三月二十五日加藤清正の馬場楠井手工事に伴い、現在の場所に移す。

玉依姫命と言う神名の玉とは魂を意味し、心霊が来る姫、巫女としての能力を持つ女性を表し、昔から婦女子の祈願を叶える乳守大明神と伝え、乳出なき人、子なき人の願いを成就するとある。

乙姫大明神と奉ることは、玉依姫命が伊邪那岐尊、伊邪那美尊の乙御子の為乙姫宮伝え、国郡統一誌にも乙姫大明神と出てくる古い宮社である。

 

乙姫神社 祭神 若姫命

合志郡の郷主日下部吉辰、乙姫宮と伝えていたことで貞観十七年(八百七十五年)阿蘇の若姫命を乙姫大明神として合祀し合殿に奉る。

阿蘇乙姫神は阿蘇十二社の六宮である。

 

住吉大社

天文元年(千五百三十二年)六月二十八日奈我神社と共に全焼する。

天文二年(千五百三十三年)石坂石見守、大津左近と共に再興合祀する。

正面鳥居の額名は奈我神社 県道側鳥居の額名は乙姫宮である。

 

上南部乙姫神社の由来

現名の上南部乙姫神社は、玉依姫命を祭神とする奈我神社に、後に、若比咩命を乙姫宮に合祀したと伝えられる。ご神体は小丸石である。

大化の改新の頃、中大兄皇子(孝徳・斉明両天皇の皇太子)が、諸国巡業のおり王田に宿泊のとき、神武天皇の母君である玉依姫命が、「我は玉依姫命の神霊なり 皇子即位ましまさば 社を建て我を祀りたまわば 郷民繁栄 天下四国民守 宝祚延久に護りもうさん 我住所は白川邊りに来て見たまえ 丸き小石や有り」と夢枕に立たれた。

中大兄皇子(天智7年の668年、近江大津宮で天智天皇に即位)が、称制のときの天智2年(663)に、当時の託麻郡本庄手永上南部村の白川南岸(現在の上南部4丁目6番付近)に奈我神社を建立したと伝えられる。

太安万侶「古事記」によると玉依姫命は、伊邪那岐命、伊邪那美命の乙御子(末の女子)であり、その故に乙姫宮と伝え、乙姫大明神と奉られた。平安時代貞観17年(875)に、当時の合志郡郷主の日下部吉辰が若比咩命を乙姫宮に合祀したと伝えられる。

幾度も兵乱、焼亡に遭い、平安時代治承2年(1178)平清盛が、高倉天皇の中宮(きさき)となった娘「徳子(建礼門院)」のお産の祈願のため(誕生2歳で安徳天皇に即位)、肥後守貞能に社を再興させ、神領を与えられた南部弾正が祭祝を始め祭事を執り行った。

その後、鎌倉時代から室町時代の半ば過ぎまで祭祝も途絶えていたが、室町時代文亀3年(1503)当郷主、石坂石見守が神殿、拝殿などを造立、祭祝を再興し、大津左近進が神事を執り行った。

室町時代天文元年(1532)6月28日の火災によって諸殿が焼失したが、石坂石見守が新たにご神体を刻み、神殿、幣殿、拝殿、楼門などを造営した。

石坂石見守は、当時の上津久礼の石坂城に居城していたと、国誌に記されている。室町時代天文15年(1546)には石坂石見守の供養塔(五輪塔)が造られ、現在、上南部上区共同墓苑内に存在する。

安土桃山時代文禄4年(1595)肥後守加藤清正によって、田地用水のための馬場楠井手が完成し、上南部村も新田化されたと伝えられる。時を経て社は、江戸時代寛文4年(1664)に、現在地に遷された。

祭神の玉依姫命は、神武天皇の母君であることから、子孫繁栄のシンボルとされ、「此神専乳を守りたもう事 諸神に勝たり 乳なき人朝祈願し夕に乳出也 依て古くは乳守大明神と申したる由 子なき人は子を願い その他婦女一代祈願叶ること 古今人の知る所也」と伝えられる。供合小学校(現在の託麻北小学校)の校歌に「昔 天智の おおみよに、みことかしこみ 乙姫の、宮居をここに 営みて、しろしめしたる里なるぞ」と詠われている。

社伝によれば創建は天智天皇2年(663)。

天智天皇が九州巡幸の折(白村江の戦いの際?)、当地に宿泊した時に、玉依姫命が夢枕に立ち、我を祀れと告げたため、白川南岸(現在の上南部4丁目6番付近)に奈我神社が建立されたといいます。

貞観17年(875)、阿蘇の若姫命を乙姫大明神として合祀。

 

貞観18年(876)9月9日癸未条に「…管肥後国合志郡擬大領日下部辰吉、於所部正六位上奈我神社河辺、獲白亀一…」とみえる奈我神社を当社とする説があります。

 

幾度か兵乱で焼亡するも、平清盛が娘徳子(建礼門院)お産の祈願のため、肥後守貞能に社を再興させ、南部弾正が祭祀を執行。

その後また祭祀が途絶え、文亀3年(1503)に石坂石見守が再興、大津左近進が神事を執行。

天文元年(1532)に火災で焼失するも、石坂石見守が再々興。

 

加藤清正によって馬場楠井手が築造されたのに伴い、寛文4年(1664)現在地に遷座(馬場楠井手の完成は慶長13年頃といわれるので、数十年のタイムラグがありますが…)。

 

旧社格は社号標から見て村社と思われますが、確証はなし。

現社名は、登記上は上南部神社なのですが、扁額・社号標・由緒書などに奈我神社・乙姫宮・奈我神社乙姫宮・上南部乙姫神社と色々異なる表記があり、実際どう呼ばれているのかはわかりません。

 

現祭神は玉依姫命。由緒にある通りです。

若姫命と住吉三神(由緒には祭神明記されていませんが、住吉大社が合祀されているとあるので)を合祀。

若比咩神は阿蘇神社十二柱の神のうち、六宮の祭神。

ただ『平成祭データ』は若姫命を主神とし、玉依姫命と住吉三神については触れていません(境内社としての記載もなし)。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

熊本ICを阿蘇方面(右手)に降りて、何か説明しづらいルートで県道145号と232号がぶつかる交差点(位置)まで向かいます(こんなルート)。

そこを右折。100mほど先、ガソリンスタンドを通り過ぎてすぐのところから左手に下る道があります(位置)。そこを下っていくと社頭。

鳥居前を過ぎた先の路肩(位置)に駐車スペースあり。

 

ちっちゃいですが案内板が出ています

道が狭く前後はカーブなので上手いこと寄せて停めて下さい。

 

徒歩だと熊本桜町バスターミナルから産交バスのF1-1/2 光の森産交・東熊本第二病院行き(どっちでもOK)に乗り上南部で降りればすぐ神社です。

1時間に1~2本くらい(大体毎時0分か30分発)。

神社概要

社名上南部神社(かみなべじんじゃ)
別称

奈我神社

乙姫宮

上南部乙姫神社

旧称
住所熊本県熊本市東区上南部4-3-8
祭神玉依姫命
合祀

若姫命(若比咩命)

住吉三神(?)

社格等

日本三代実録 貞観十八年九月九日癸未 正六位上 奈我神

旧村社(?)

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「上南部神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995