布都神社。
西条市石延に鎮座。
式内社 布都神社に比定される神社。
境内
鳥居
社号標
手水鉢
社殿脇のモチノキ
御神木でしょうか。
社殿
拝殿
本殿
旧地
境内の由緒書に「石延字古屋敷の宮田と呼ばれる田に石塔あり、布都神社の本殿跡と伝えられる」とあります。
また、『式内社調査報告』には「同社の西北約500メートルの泉堀(池)の付近」とあります。
これらに基づいて当社北西の田んぼを見て回ったのですが、石塔は見当たらず。地元の人が知っているかもと思い近くのお宅で尋ねてみたら、何とその家の裏手にありました。
布都神社旧地とされる場所の石塔
ここのお家の方の話によると、他にも似た形の石塔が近くにあるとのこと。
もしかすると他の石塔も旧社地候補なのかもしれません(往古は社地も広かったというので、それらのある範囲も境内だったのかもしれませんが)。
ただ、大学の先生が布都神社旧地として探し訪れたこともあるそうで、ここを旧社地とする説は確かにあるようです。
場所は当社の西200mほど。
住宅の敷地内に入らないと見えません。無断で立ち入らないように。
なお、『日本の神々』は現在地より南4~500mがもともとの鎮座地といい、また北東900mほどのところに大門があった、とも述べています。
由緒
所在 大字石延字大ヶ市
社格 村社
社名 布都神社 勧請年月不詳
祭神 布都主神外六神一座、及び秘密祭神
当社は延喜式に載する古社(伊予二十四社、周桑東予市に三社)の内の一社である。仁寿元年(八五一)正六位、天安二年(八五八)九月二十一日正五位下を授けられる。文武帝から光孝帝(697~886)の十帝の間に六十二回の勅願有りと社記にあり、位階を給ること十二度と記されている。往時四丁四方の境内に美麗を極めた社殿が建立されていたと云う。興国三年(一三四二)阿波の将、細川頼春の侵攻により焼失、後、数回遷座し現在位置に小社を建立し祀る。石延字古屋敷の宮田と呼ばれる田に石塔あり、布都神社の本殿跡と伝えられる。
創建時期は不詳。
三代実録 天安2年(858)10月22日己酉条に「伊豫国正六位上布都神従五位下」とみえる布都神、ならびに延喜式神名帳にみえる「伊豫国桑村郡 布都神社」は当社に比定されています。
『伊予温故録』によれば、貞観元年(859)勅宣によって神殿を再造、その後勅使の奉幣もあったとされます。
康永元年(1342)、細川頼春の伊予侵攻の際に焼失。
同年旧地の西に再建するも、神領没収され衰微。
慶長元年(1596)小祠を再建(この時点ではまだ旧地の辺りにあった様子)。
享保2年(1717)現社地に社殿造営(『式内社調査報告』と『日本歴史地名大系』の記述から推測)。
現祭神は布都主神を主神とし、武甕槌神、天照皇大神、武布都蛇麁正剱、倭武命、高倉下神、神倭磐余彦神、そして秘密祭神を配祀。
社伝には「所祭神相殿七神極秘社伝以上八神一座之御鎮也。則葦原国鎮護殊国中守衛之神也」「当社所祭神及鎮座之初悉在社伝之紀相伝云神秘且恐賊難不可洩余人。若洩之則忽蒙神罪也。故社伝之趣秘之」とあるそうなので、元々は八神全てが秘密とされていたとも取れます。
『豫州二十四社考』は祭神未詳としつつ、経津主命又は武甕槌命を挙げています。
『古代村落より見たる式内社の研究』は、当地は和名抄に見える津宮郷で、当社付近の古称「石上(応永以降に伊志乃倍→石延と転訛)」は石上神宮に布都御魂が祀られていることに因むもので、祭神は経津主命とします。
「素戔嗚尊の妃神」を祭神とする地元の伝承や、平安末の武将・斎藤実盛の孫である景忠が祖父を祀ったが、平家の武将であった実盛を祀ったことが源氏方に露見するとまずいので秘密祭神とした、という説もあるのだとか。
国学者大山為起は当社祭神を研究し、「布都神社素戔嗚尊斬大蛇剣也。号蛇之麁正又武甕槌神剣曰韴霊日本紀詳也」と記しているそうで、『式内社調査報告』は佐々久神社が龍蛇に見立てられた伝承を交え、「現在公称されている祭神七柱は、平国の剣蛇之麁正に関わる祭神でありながら素戔嗚尊のみそれからはずされていることは論法上不自然」と、素戔嗚尊説を推します。
が、現祭神は蛇之麁正=天羽々斬には直接は関わっていない神ばかり。蛇之麁正を十拳剣のような総称として使っているのでしょうか。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
今治小松自動車道の東予丹原ICを降り、左折。
600mほど先の突き当り(位置)を左折、1.5kmほど先(位置)で右折。
2kmほど行くと左手に神社。
駐車場はなし。境内と県道の間のスペースに停められはしますが…
神社概要
社名 | 布都神社(ふつじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 石上布都大明神 布都神宮 布都明神 石上里明神 |
住所 | 愛媛県西条市石延119 |
祭神 | 布都主神 |
配祀 | 武甕槌神 天照皇大神 武布都蛇麁正剱 倭武命 高倉下神 神倭磐余彦神 秘密祭神 |
社格等 | 式内社 伊豫国桑村郡 布都神社 日本三代実録 天安二年十月廿二日己酉 布都神 従五位下 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「布都神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「布都神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
コメント
秘密祭神と明記してあるのは、おもしろいですね。初めて聞きました。不明でしたら「祭神不明」と記載するでしょうから、一部の人だけが知っているのでしょうね。おそらく縄文祭神なのかなと勝手に想像してしまいました。
>きんごろう様
「秘密祭神」というのは私もこちらで初めて見ました。
どんな神なのか、なぜあえてこう明記したのか、想像を掻き立てられますね。