秋田諏訪宮。
水の郷百選に認定されている美郷町六郷に鎮座。
密教寺院、修験寺院となったり支配を受けたりすることなく、神社・神主の格式を保った秋田県内では稀有な神社。
境内
鳥居
社号標
明治天皇六郷御小休所
手水鉢
狛犬
裏参道の社号標
社殿左手にある諏訪清水
「心」の文字をかたどっているようなのですが写真だと全然わからないですね。これに加えて上を流れる伊勢堂川を「一」に見立てて「一心清水」とも呼ばれるそうです。
神社向かいのカマクラ畑前に置かれている菅江真澄の歌碑
「六郷は養栄丸に百清水多い寺々絶えぬ金持ち」
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社
社殿右手の愛宕社と、手前に石碑群
これは2014年時の写真ですが、2016年には愛宕社の扁額がなくなっていました。
愛宕社右の謎スペース
境内社の跡かとも思われますが…
境内右手の古峯神社
古峯神社と並んで境内社がいくつもあるのですが、扁額等ないため社名不詳
秋田県神社庁のページには、八坂神社、稲荷神社(二社)、松尾神社、豊受神社、聖徳神社の記載があり、それぞれがこの境内社のいずれかに当たるのだとは思いますが、社の数の方が多いですね…
これも境内社…?
中に幣束が入っているのが見えます。
猿田彦大神碑
由緒
社伝によれば延暦21年(802)、坂上田村麻呂が諏訪大神を奉じて東征の際に創建とされています。
神社公式サイトでは、文室綿麻呂が払田柵を造営中、柵の南に創建したとしています(現在地には後に遷座とする)。
払田柵は文献資料に見えない城柵であり、文室綿麻呂が造営したというのも学説の一つなので、これは古来の社伝にあるものではなく、神社側の見解と思われます。
寛治元年(1087)後三年の役に参戦した信濃國諏訪大祝為仲が在陣中、諏訪宮で祭祀を執行。
凱旋後に男子を残して祀職とし、以降「諏訪(諏方)祝子」を称して宮司家となったといいます。
至徳2年(1385)男子が絶えたため相模国鎌倉の諏訪家から諏訪宗治が下向、11代祝子に。
以降200年、祝子は武家としても活動し、二階堂氏(六郷氏)と共に戦場に出たそうです。
また、諏訪宮は六郷総鎮守とされました。
慶長9年(1604)佐竹義重により社殿等造営(棟札現存)。
この時現社地に遷座。
享保8年(1723)現本殿造営。
明治2年(1869)羽後國總鎭守諏訪宮を称します。
しかし版籍奉還、廃藩置県により「羽後國」がなくなり、「宮」号も禁止されたため「諏訪神社」となります。
明治14年(1881)明治天皇御巡幸に際し、宮司宅が御小休所とされました。
大正8年(1919)県社に列格。
大正9年(1920)現拝殿造営。
昭和28年(1953)別表神社に指定。
昭和62年(1987)正式名称を「秋田諏訪宮」に改称。
冒頭にも述べた通り、当社は創建以来密教寺院・修験寺院となったり支配を受けたりせず、また社家がそれらに従属することもなく、「神社」・「神主」の格式を保ってきました。これは秋田県内では稀な存在だそうです。
また、700年余りの歴史があるといわれる小正月行事「六郷のカマクラ行事」は国指定重要無形民俗文化財となっています。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
ちなみに私はタイミングが悪く、3回目の参拝の際にやっといただくことができました。
アクセス
国道13号を大曲駅付近から南下、もしくは横手駅付近から北上。
700m弱先の十字路(位置)に、藤清水の案内がありますので北へ。
社務所脇あたりに駐車可能。あるいは神社向かいのカマクラ畑や、100mほど北にあるわくわく広場にも駐車可能です。
神社概要
社名 | 秋田諏訪宮(あきたすわぐう) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 諏訪宮 諏訪神社 他多数 |
住所 | 秋田県仙北郡美郷町六郷字本道町19 |
祭神 | 建御名方富命 八坂刀女命 |
合祀 | 天照皇大御神 菊理姫命 事代主命 大名持神 応神天皇 宇気母智命 迦具土命 村雲剱 菅原朝臣 |
社格等 | 別表神社 旧県社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://www.akitasuwagu.jp |
備考 | – |
参考文献
- 「諏訪神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「秋田諏訪宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995