太平山三吉神社奥宮。
秋田市と上小阿仁村にまたがる、霊峰太平山(1,170m)の山頂に鎮座する神社。
登山道
旭又コース
登山道は途中の境内社以外ほぼ撮影していません…山頂付近にいたるまで森の中で展望はありません。
山頂付近は視界が開けて、眺めがいいです。
奥宮手前の鳥居はひしゃげています。雪の重みでしょうか…
宝蔵コース
参拝後に神職の方々に勧められて、下りは宝蔵コースを下りましたので、そちらの写真も。
鳥居と社号標。旧来の表参道である野田コースがこちらから登ってくる道なので、立派な鳥居があるのかと思われます。
雲の下に降りていく感じ
弟子還の鎖場
切り立った崖
社殿
奥宮社殿
二枚目の奥(右手)に見えるのが参籠所(山小屋)です。
狛犬。奥に見える、参籠所の壁に貼ってある由緒書を撮っていなかったのが悔やまれます。
社殿横の碑や像
山頂
三角点
頂上の標柱
祈交通安全と書かれた秋田市交通局職員の方々寄贈の小さな鳥居
丸舞コース側の鳥居。さすがにここから降りる気にはなれませんでした…
境内社
旭又コース
御滝神社(垢離取場)
菅江真澄の道 御手洗の池
御手洗神社
宝蔵コース
弟子還嶽神社
由緒
太平山は秋田市と上小阿仁村とにまたがる山。その由来は太平地区の後背に位置することから。
太平は現在「たいへい」と読みますが元の読みは「おいだら」でした。
この由来については諸説あります。
- 大江平(おおえだいら、大江氏領だったため)から
- 狼平(おおいぬだいら)から
- オイダラボッチ(巨人)から
- アイヌ語「山の麓の動揺する地」から
社伝によれば白鳳2年(※)、役小角による開山。
(※神社公式サイトでは673年、秋田県神社庁のページでは646年。白鳳を672~685とする資料もあるため神社公式の表記はわかりますが、神社庁ページの646年だと大化2年になってしまいます)
延暦20年(801)征夷大将軍坂上田村麻呂東夷征討の際に戦勝を祈願し社殿建立。
その際奉納された御鏑は神宝として今も伝わっているといいます。
古くから薬師の峰・修験の山としての「太平山信仰」と、力の神・勝負の神を崇める「三吉信仰」があいまって崇敬されていました。
近世までは野田の登山口に東光院(庵)があり、太平山長徳寺大寿院が別当をつとめていました。
山頂の参籠所は平成20年(2008)9月、火災により焼失してしまいましたが、翌21年(2009)8月に再建されています。
参籠所には宿泊も可能(要事前予約)。
御朱印
御朱印はあります。
参籠所で拝受可。
ただし、奥宮に神職の方がいらっしゃる6月初旬から9月下旬の期間に限られます。
明確に何日から何日までかは、神社にお問い合わせください。
アクセス
いくつかコースはあるのですが、一番登りやすい旭又コースを紹介。
秋田駅の北から県道15号を北へ。旭川ダムの辺りで県道は行き止まり(その先は未供用区間)になるので右折。すぐに左右に分岐しますが左へ(右は行き止まり)。
そのまま林道を約11km行くと、終点に駐車場とトイレがあります。
この駐車場のあたりはキャンプ場があったようですが、今は廃止されたようで旭又園地となっている模様(神社公式サイトの奥宮登山道案内では未だに旭又キャンプ場って書いてあったりしますが)。
ここが駐車場。
広いですが、登山者が多い山ゆえこんな風に割と埋まってしまうので注意。
ここから橋を渡って登っていきます。
登り始めてほどなく矢源沢分岐があるので、旭又コースは直進してください。
右へ行くと宝蔵岳、弟子還を通る宝蔵コースに入ります。
それほど距離は変わりませんが、弟子還のあたりは鎖場があり、崩落気味で通行注意の案内が出ていたので(現在どうかはわかりませんが)、登るだけなら旭又コースが無難だと思います。
なお、言うまでもないことですが熊が出没しますのでご注意ください。
私は熊は見ませんでしたが登山口までの林道で鹿を見ました。
神社概要
社名 | 太平山三吉神社〔奥宮〕(たいへいざんみよしじんじゃ) |
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通称 | みよしさん さんきちさん |
住所 | 秋田県秋田市太平山谷字谷山21 |
祭神 | 大己貴大神 少彦名大神 三吉霊神 |
社格等 | 別表神社 旧県社 |
御朱印 | あり |
駐車場 | あり(登山口) |
公式Webサイト | http://www.miyoshi.or.jp |
備考 | 秋田市広面に里宮あり |