赤田神社。
阿波市土成町成当の土成小学校裏手に鎮座。
式内社 建布都神社の論社。
境内
土成小学校の南東角に一の鳥居
すぐ横まで建物が迫り窮屈な感じ。
扁額
まっすぐ進むと二の鳥居
鳥居前に段差があり車はここまで。
鳥居の先、石段を上ったところに狛犬
境内
石段手前に手水舎
社殿手前の狛犬
社殿
拝殿
社殿内の扁額
年間神事一覧
本殿
境内社等
「赤田神社々殿改築記念」の碑
寛文十二年の物?
境内社?
上の写真より少し右に行ったあたり。
さらに右手に進むと階段があり、登り切った所に忠魂碑
社殿よりも高い位置にあります。
忠魂碑手前から
由緒
創建時期、由緒は不詳。
社名の読みは「あかんたじんじゃ」。
『神社覈録』に「建布都神社所在慥かならず或は云う。赤野田村」と記されており、赤野田村は赤田村で成当村の旧称。
よって延喜式神名帳にみえる「阿波国阿波郡 建布都神社」に擬せられているとのこと。
また、日本書紀 神功皇后摂政前紀仲哀天皇9年(200)三月壬申朔条に、神功皇后が小山田邑に造った斎宮で自ら神主となり、仲哀天皇にお告げをした神を神託によって知ろうとした時、示された神名の一つに「尾田の吾田節の淡郡にいる神(尾田吾田節之淡郡所居神)」があったことが記されていますが(「幡荻穗出吾也、於尾田吾田節之淡郡所居神之有也」)、釈日本紀は「吾田」を赤田、「節」を布都に通ずるとして、これを当社にあてています。
ただ、志摩の伊射波神社や伊雑宮、また伊賀の阿波神社をあてる説もあるようです。
『阿波誌』には「成當村に在り又神木祠あり側に豫章あり大さ若干圍、中に湧泉あり又里祠あり」。
神社の裏手には赤田山古墳という古墳があったらしいですが、現在は墳丘等すべて消滅、とのこと。裏手の丘にはゴルフ場がありますが、つまりはそういうことでしょうか…
御朱印
御朱印はあります。
椙尾神社(阿波市土成町土成田中38)が本務社で、そのすぐ北に宮司さんのお宅があり、そちらで頂くことができます。
事前連絡はあった方がいいと思います。
アクセス
県道139号沿いにある土成小学校、その南東角に一の鳥居があります(位置)。
鳥居をくぐって直進すると階段と二の鳥居。
二の鳥居右の道を進み学校裏手に行くと広い場所があったのでそこに車を停めました。
あるいは、鳥居左の道から坂を上ると神社境内まで車で行けるようです。
神社概要
社名 | 赤田神社(あかんたじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 徳島県阿波市土成町成当字大場1450 |
祭神 | 武甕槌命 経津主命 |
社格等 | 式内社 阿波国阿波郡 建布都神社 日本書紀 神功皇后摂政前紀仲哀天皇九年三月壬申朔 尾田吾田節之淡郡所居神 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「成当村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「赤田神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 鈴鹿連胤『神社覈録 下編』皇典研究所, 1902
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019