阿津神社。
海陽町相川阿津、相川沿いに鎮座。
式内社 室比賣神社の論社。
境内
境内全景
鳥居
手水鉢
鳥居後ろの建物は外拝殿のようです
扁額
狛犬
社殿
拝殿
本殿
台風か何かで損壊したようで、ブルーシートに覆われていました。
本殿の剥がれた屋根
その後、損壊した旧拝殿本殿は撤去され、新たに石祠が安置されました。
新たな石祠
この辺りは民家も少ない地域で、元のような社殿を建てるのは主に金銭面で難しいところがあるのではないかと推測します…
境内社等
社日塔
もう一つ社日塔
小屋?があったようですが倒壊していました
中央に木彫りの男根らしきものがあります。
境内には大きな切り株が目立ちました
台風で木が倒れ、本殿や小屋にぶつかって損壊したのではないかと思いますが詳細不明。
ネット上で見られる過去の写真と比較すると、境内の木々がごっそりなくなってしまたのがわかります。
社前を流れる相川
境内から石段を降りていった所に堰があるので、その上を歩けば川の真ん中まで行けます。
由緒
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「阿波国那賀郡 室比賣神社」に当社をあてる説があります。
『阿府志』に「室比売神社 相川村室津と云ふ所に在り 安津明神と号す 吾田鹿葦津姫を祭る 又木花開耶姫 大山祇大宜津姫之娘也と 述者按には安の字は室の字の誤りならん 無戸室の字なるべし今安津明神とは謬れるか 室津は此郷の名地」。
『大日本史』に「室比売神社、今在海部郡相川村室津称阿津明神者蓋是」。
『海部郡取調廻在録』に「神社、小名室津 阿津大明神 此社は延喜式神名帳に出たる室比売神社とまふし伝ふ、按に 小名室津に御鎮座なればめでたけれ さて社号の阿字安字も書し事のあるよし、されば室字誤りて安字を書しものにあらんか、いつにても式社とまかいるもかるべし」
『神社覈録』に「室は牟呂と訓べし。比売は假字也。祭神明か也。在所慥ならず。当国神社帳。相川村、御室大明神と云うあり。度会清在云、或云開化皇子日子座王御子室比古王と云あり。若狭耳別之祖也。此皇子の后にや。かかる例自余にもあり」。
なお『海部郡取調廻在録』には上記に加え、「小名 村山御室大明神、さて室比売神社は安津大明神よりも此社ならん 考ひなほそんじはべる、そは小名の村山のムラムロと通ふなればなり さすれば室山大明神となり、社号は慥に室字をしけるこそよりところならんか」とあります。
当社の少し西に御室神社という小祠があります(鎮座地は現在の字村山ではなく隣接する字東前。位置)。
『海部郡取調廻在録』は「室津の阿津大明神」と「村山の御室大明神」を明確に別の神社として書いており、御室大明神の方をより有力説として述べています。
「村山の御室大明神」が御室神社であれば、御室神社もまた式内論社と言える…と思うのですが、これに関して言及している資料やサイトは見当たらず。
『寛保改神社帳』に「相川村(式室比売神社恐是)御室 三室大明神 神主細野村 惣大夫」とあり、『徳島県神社誌』や『平成祭データ』はこれを阿津神社項に挙げています。即ち阿津神社=三室大明神という認識と思われます。
阿津神社と御室(三室)大明神の関係がはっきりせず、何とも判断しかねます。
永享元年(1429)の棟札写しがあり、それに式内室比売神社とあるとのこと。
明治3年、阿津神社に改称、同8年村社列格。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
阿波海南駅の南にある交差点(位置)を西に入ります。
7.5kmほど先、海部川と相川の合流地点にある交差点(位置)で左折。
3kmほど先のカーブのところから、左手に入る道があります(位置)。ここを入り、橋を渡ります。
上記左手に入る道
「村山 大内 →」の札が掛かったカーブミラーが目印。
橋の先の分岐を右へ
後は道なりに行けば境内にでます
境内に駐車可能。
神社概要
社名 | 阿津神社(あづじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 三室大明神 安津明神 |
住所 | 徳島県海部郡海陽町相川字阿津1 |
祭神 | 木花開耶比賣神 |
社格等 | 式内社 阿波国那賀郡 室比賣神社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | 境内駐車可 |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「相川村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「阿津神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019