横田神社。
東みよし町加茂の民家の裏に鎮座。
式内社 横田神社に比定される神社。
参道
民家と畑の間にある小さな森
そこに細い参道が伸びています。人の家の裏庭に入るような感じなので、ちょっと落ち着かないです。
社殿
社殿
社殿真後ろの木
由緒
創建時期、由緒ともに不詳。
延喜式神名帳にみえる「阿波国美馬郡 横田神社」に比定されています。
『阿波志』には「横田祠 延喜式亦小祀と為す今廃す鴨村横田里存す」とあります。
『明治11年神社取調帳』に「右社之儀者式内小社ニテ往昔ヨリ横田神社又弁財天トモ称ス、元社地凡二町四方程アリテ四周池ヲ繞ラシタル大ナル社ニテアリシト云、其池聊存ス、又此社ヨリ一町程北ナル地ヲ池ノ側ト云フ、且社地二町四方程ノ地名総テ横田ト云フ、本社正面ノ地字横杭ト云フ、其正面ヨリ北手ノ田地総テ南神田ト唱フ、依テ明治三庚午年十一月式社御取調之節御確定ニ相成候」と、当社が式社に確定された理由が載っています。
社地約200m四方で周囲に池を巡らせていた大社であったと。
近世期には「弁才天」と称され、現在は「ビライテンさん」と俗称。
これは弁才天からの転化かと『式内社調査報告』では述べています。
『明治11年神社取調帳』ではその名に基づいてか市杵島姫命を祭神としています(『徳島県神社誌』も市寸島姫命とする)。
しかし『名神序頌』は玉依姫、『阿波式内神社考』は猿田彦大神をそれぞれ祭神としています。
横田神社は明治44年に東みよし町加茂の鴨神社に合祀されたため、当地は旧社地になります。
現在の祠は大正11年に氏子が建立したものを昭和28年に改築したもの (その後更なる改修があったかは不明)。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
東みよし町の田寸神社前から県道44号を東に400mほど行きます(位置)。
そこから左手の細い脇道に入り、民家の間、左手のこれまた細い道に入ります。
こんな感じ
社頭にいたる民家の間の道はこの細さなので車は入れません…
近くに駐車スペースもないので、どこか別の場所に停めてきた方がよいでしょう。
神社概要
社名 | 横田神社(よこたじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | ビライテンさん | |
旧称 | 弁才天 | |
住所 | 徳島県三好郡東みよし町加茂字中村(4016番地付近) | |
祭神 | 市杵島姫命(市寸島姫命) | 現祭神 明治11年の神社取調帳 |
玉依姫 | 『名神序頌』 | |
猿田彦大神 | 『阿波式内神社考』 | |
社格等 | 式内社 阿波国美馬郡 横田神社 旧無格社 鴨神社飛地境内社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | なし | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 明治44年鴨神社に合祀後、大正11年に旧社地である当地に再興 |
参考文献
- 「横田神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 岡本監輔『名神序頌』黒崎精二, 1895(国会図書館デジタルコレクション 8コマ)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019
- 長谷川貞彦『阿波式内神社考』(佐伯有義編『神祇全書 第一輯』思文閣, 復刻版, 1971.所収)