栗原神社(高山市上宝町宮原)

栗原神社。

高山市上宝町にある高山市役所上宝支所(旧上宝町役場)の東800mほどの場所に鎮座。

式内社 栗原神社に比定される神社。

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境内

社頭

参拝した5月3日はお祭りで、幟が立てられていました。

 

社号標

 

郷社の標

 

狛犬

 

鳥居

 

手水舎

社殿

拝殿

拝殿の向かって右手に張り出している部分が神楽殿(写真の中央ちょっと右部分)、反対側の左手にも張り出しがあってそれが神饌殿、拝殿と本殿の接続部(通常幣殿に当たる部分)が祝詞殿、と境内図には書かれていました。

 

扁額

 

拝殿内の扁額

お祭りで人がいたため、昇殿させていただき撮影。

 

本殿覆屋

境内社等

境内図によると神庫

 

御神木のスギ

 

案内札

高山市指定天然記念物

栗原神社のスギ

指定年月日 昭和四十九年七月三日

所在地 上宝町宮原

所有者・管理者 栗原神社

宮原栗原神社境内にあり、古くから地元の御神木としてあがめられてきた。見座・宮原・在家と続く河岸段丘の中間地形の中央部に位置し、本殿・拝殿・社務所・倉庫の間にスギ・サクラ等二十数本か育成し社叢林を形成している中で一際そそり立つ姿は威厳がある。

主幹より大枝四本いずれも枝分かれしてのち垂直に育成し、副樹幹的な役割をしている。枝葉は大きく四方に広がり均整のとれた樹冠をなしている。目通り六・二メートル・根元周囲九・七メートル・樹高四十七・五メートル・枝下高八メートルで、樹齢約四百年と推定される。

 

祓戸

 

『式内社調査報告』には境内社として愛宕神社、稲荷神社が挙げられていますが見当たらず。

由緒書の境内図にも記載なく、詳細不明。

由緒

由緒書

延喜式内飛驒八社の一

栗原神社

鎮座地 上宝村大字宮原字栗原三五〇番地

銀幣社(旧社格 郷社)

一、祭神

五十猛神・大山祇大神・宇迦之御魂神・伊邪那美命

伊邪那岐命・菊理姫命・火産霊神

一、由緒

創立年代は不詳であるが、清和天皇貞観九年(皇紀一五二七 西暦八六七)十月、神階従五位、延喜式内当国八社の一となる。

いつのころか、往古「白山権現」といったことがある。

古老の口碑に、往昔当社の東方字「沖巾」と称する所に栗の木がよく繁茂した。特にその左の大枝はよく実ったので、里民は神木として崇敬した。毎年五月二十四日には、里民参拝して木の実の豊作を祈り、これを梅雨祭と言った。

かくすること数年里民相謀り、その所に神殿を創立し、栗の実の神を怠りなく祭祀していたが、あるとき霊夢により、神殿を今の地に移し祀り、「宮原」と称するようになった。

戸田采女正による元禄検地の際、境内除地一畝二十一歩を賜った。

明治四年九月、上宝村郷社指定。

同四十年三月二十七日、告示第八〇号により、神饌幣帛料の供進神社となる。

同四十一年九月、大字新田字下田平の村社白山神社を合祀した。

同年十二月、告示第三八五号により、神社会計規定適用の指定を受ける。

大正十五年二月四日より、昭和二年四月二十五日までかかって、幣殿・拝殿を新築した。

昭和二十二年九月一日、銀幣社に指定せられる。

同四十年十月、宝物殿新築。

同四十三年、本殿・幣殿・拝殿の屋根のトタン張替工事をする。

同四十六年、神階認定百年記念として、狗犬を新作する。

同四十七年十一月、石造の鳥居を建立する。

同五十三年四月、拝殿・神楽殿・神饌殿・祝詞殿の基礎工事をする。

同五十四年四月三十日、拝殿・神楽殿・奏楽殿を新築する。

境内には鬱蒼とした大杉があり、村指定天然記念物となっている。

一、祀職

明治以前は富奥徳咸・富奥国咸・富奥真咸。

明治後は富奥真咸・大林元春・直井潔・田島豊蔭・沢田直康・現宮司は沢田康瑞である。

一、祭祀

例祭日は五月三日(制定日四月二十三日)、神幸祭・御旅所祭等がある。

昔、例祭日は五月二十四日であったが、後九月十五日となり、五月二十四日は小祭日とした。その後十月一日になり、大正十二年より四月二十三日となったこともあるが、更に昭和四十一年例祭日統合の話し合いにより、本郷校下は五月三日となり、現在に至る。

一、建造物

本殿(神明造檜皮葺 〇・七坪)・覆殿(神明造檜皮葺 二・一坪)・祝詞殿(神明造檜皮葺 一四・五坪)・神饌殿(神明造檜皮葺 四・二坪)・神楽殿(神明造檜皮葺 四・二坪)・拝殿(神明造檜皮葺 三三坪)・神庫(鉄筋コンクリート造トタン葺 六・一坪)・事務所(木造二階建 二九坪)・鳥居(石造靖国造 高一七尺幅一五尺)・社号標(石造 高九尺)・狛犬(石造 高六尺)・燈籠(石造 高九尺)。

一、宝物その他

○大杉(村指定天然記念物)

一、境内地

六〇三、七坪。 境外地 四五八六、一坪。

一、氏子

明治十一年九月、白山神社合併合祀により、新田区も氏子となり六七戸。崇敬者五〇〇人。

一、神職

宮司 沢田直康。昭和六十一年十一月より宮司 沢田康瑞。

創建時期は不詳。

古老の口碑によると、往古は現社地の東方、沖幅と呼ばれる地に栗の木が繁茂し、その中の大木は特によく実ったため神木として崇敬されたといい、これが当社の始まりであるようです。

かつては木の実の豊作を祈る「栗花落(つゆり)祭」あるいは「梅雨祭」が5月24日に行われたとされますが、現在は断絶。

その後、霊夢(誰が見たかは不明)により、当地に遷座(時期不詳)。それから当地は「宮原」を称するように。

 

三代実録 貞観9年(867)10月5日庚午条に見える「飛騨国従五位下…栗原神…従五位上」の栗原神および、延喜式神名帳の「飛騨国荒城郡 栗原神社」は当社に比定されています。

 

いつの頃からか「白山権現」を称していましたが、幕末の復古思想により社家が式内社と主張、明治3年(1870)栗原神社に改称。

明治4年(1871)郷社列格。

明治41年(1908)新田地区の村社白山神社を合祀。

 

現祭神は五十猛神、大山祇大神、宇迦之御魂神、伊邪那美命、伊邪那岐命、菊理姫命、火産霊神。

『特選神名牒』では五十猛神のみとします。

『日本歴史地名大系』では久久能智神・五十猛神。

 

飛騨市古川町にも栗原神社がある(位置)のですが、当社からの勧請でしょうか。

御朱印

御朱印の有無は不明。

お祭りで神職の方もいらしたのですが、お忙しそうで聞けず。

アクセス

富山方面からは、国道41号をしばらく南へ。飛騨市神岡町船津の船津北交差点(位置)で左折、国道471号へ。引き続き南下し、約10km先の上宝町見座(位置)で右折し県道76号に入って高原川を渡ります。そのまま道なりに2kmほど行くと左手に神社が見えてきます。

松本方面からは、国道158号を西へ。安房峠は安房峠道路を通るもよし、敢えて旧道を通るもよし。安房峠を越えたところの平湯IC口交差点(位置)を西に進み、国道471号に入り北上。後は富山方面からと同じように高原川を渡って神社へ。

参道左手に駐車場あり。

神社概要

社名栗原神社(くりはらじんじゃ)
通称
旧称白山権現
住所岐阜県高山市上宝町宮原350
祭神

五十猛神

大山祇大神

宇迦之御魂神

伊邪那美命

伊邪那岐命

菊理姫命

火産霊神

現祭神

五十猛神

『特選神名牒』

久久能智神

五十猛神

『日本歴史地名大系』
社格等

式内社 飛騨国荒城郡 栗原神社

日本三代実録 貞観九年十月五日庚午 栗原神従五位上

旧郷社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「宮原村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「栗原神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十三巻 東山道2』皇學館大学出版部, 1986
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 267コマ