和爾賀波神社。
ことでん公文明駅の南約1kmに鎮座。
式内社 和爾賀波神社の論社。
境内
社殿から南へ長い参道が伸びています。参道の起点は神門から200mほど南。
社頭
一の鳥居
一の鳥居脇の狛犬
二の鳥居
手水舎
社号標
延喜式内の表記有。右の注連縄の巻かれた小さな石柱も社号標。
神門
注連柱
狛犬
狛犬2
拝殿右手前(脇参道)の鳥居
手水舎
社殿
拝殿
本殿
本殿下
境内社
境内社、一の鳥居の方から順に。
一の鳥居近くの境内社
社日塔と、道路挟んで向かいの祠
古武神社
大正14年境内拡張に際し境外社から境内社になったという社。
古武神社狛犬
駐車場の道路挟んで向かいの神社。境内社?
参道脇に神宮遥拝所
拝殿左に八坂神社
拝殿右に若宮神社
本殿左に天神社と石祠
本殿右に春日神社
本殿裏に浄土寺の扁額
浄土寺は当社の元別当。南東1km程にあります。なぜここに扁額があるのかは不明。
この額は、横一八〇・五センチ、縦二九センチの板六枚からなり、一枚の板に三十六歌仙の和歌と人物の絵が六人分ずつ書かれている。
扁額とは、細長い額のことで、享徳四年(一四五五)閏四月に東讃守護代安富盛長の弟、盛保が寄進したものである。絵は絵師法眼忠光とある。
天保六年(一八三五)高松松平藩の家臣筧政典が木箱を作って納め、ふたの裏に由来などを記している。
和爾賀波神社のモミ
由緒
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「讃岐国三木郡 和爾賀波神社」の論社となっています。
『讃岐國官社考證』では、当社社伝と『肥前國風土記』佐嘉郡の記述「此の川上に石神有り。名を世田姫と曰ふ。海の神(鰐魚を謂ふ)年常に、流れに逆ひて潜り上り、此の神の所に到る。海の底の小魚多に相従ふ…」に酷似している点があることから、「此の神社の東方を流る々、所謂和爾川の川上、寒川郡長尾郷名村に、石神と云地ありて、いみしき大石あり、又石神權現と云社もあれば、彼風土記の古傅と此社傅とを熟考るに此所にも上古肥前國佐嘉川の如く此川を海神の逆上りて彼石神の所へ往來せし事の、時々有しを、故緣ありて、此井戸郷に、其靈を齋祀しにやあらむ」と説明しています。
『紫雲山極樂寺寶藏院古曆記』には、天暦4年(950)、治安3年(1023)、寛治7年(1093)、治承2年(1178)、建仁3年(1203)、文永元年(1264)、文永3年(1266)、慶長元年(1311)、永享5年(1433)、永享10年(1438)と、10回もの遷宮の記録が残されています。
明治5年郷社列格。
祭神は豊玉比売命、玉依比売命、八幡大神、息長足姫命。
伝承に基づく元の祭神は豊玉比売命と玉依比売命で、貞観年間に八幡大神と息長足姫命を勧請したようです。
香川県神社誌
延喜式神名帳に『讃岐国三木郡一座小和爾賀波神社』とありて延喜式内讃岐国二十四社の一といふ。社記に『此郷有川曰鰐川其源従寒川郡南山出流到鴨部郷遂東北入於海昔者海神之女豊玉姫神駕鰐魚遡流覓居地時来座此処而曰是土者甚宜居処也即鎮座因曰居処郷今訛謂井戸郷又此社上有石神名曰世田姫海神也』とありて古く神代の鎮座なりといふ。官社考証に右社記を引きたる後『肥前国風土記佐嘉郡段に郡西有川曰佐嘉川云々此川上有石神名曰世田姫海神謂鰐魚年常逆流潜上到此神所海底小魚多相従之云々…とあるを考合てよ…此神社の東方を流るゝ所謂和爾川の川上寒川郡長尾郷名村に石神と云地ありて、いみじき大石あり、又石神権現と云社もあれば、彼風土記の古伝と此社伝とを熟考るに此所にも上古肥前国佐嘉川の如く此川を海神の逆りて彼石神の所へ往来せし事の時々有しを故縁ありて此井戸郷に其霊を斎祀しにやあらむ』といへり。一説に神代の昔豊玉姫命鰐魚に乗りて屋島の西海より今の晋川を遡り此の処に鎮座し給へり。而して普川は当時此の地を流れて屋島の西海に入れりと。
貞観年間山城国男山より八幡大神、息長足姫命を迎えて奉祀し、爾来和爾賀波八幡、又井戸八幡と奉称するに至れり。其の後天喜二年造営あり。足利時代に及び細川家の尊崇厚く、細川勝元の臣寺社奉行安富左京亮紀盛保、大炊御門藤原信宗筆の三十六歌仙扁額六枚を奉納せり。天保六年高松藩執政筧政典此の額に其の鑑識する所を記せるものと共に神庫に現存す。
生駒氏の当国に封ぜらるゝや天正十六年九月五日荒開五段を社領とす。伝ふる所によれば当社に樟の大樹多かりしが、生駒氏之を伐採して造船の材となし、其の代償として松樹千本を京都嵯峨より取寄せ箱植とす。現在の老松は則ちこれなりと。前記社領寄進は樟樹伐採の故を以てなりといへり。生駒家士分限帳に『六石 井戸八幡宮』と見ゆ。
生駒高俊亦西島八兵衛之尤をして当社に賽せしめしと伝へ、松平氏国守となりてよりもその尊信厚く社領故の如く寄進ありて藩主累代の寄進状現存せり。天保六年松平頼該社号扁額を奉納す。松平頼顕の筆にして現に本殿に掲ぐ。又旱魃霖雨の節等祈願を命ぜられ、当社よりは守札を納めたり。社殿の改修亦屢々ありて、現在の本殿は寛文七年、拝殿は文化八年、随神門随神門は安政三年の造営なり。
明治五年郷社に列せられ、同四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。大正十年五月本殿屋根葺替、昭和四年拝殿旅殿の屋根替あり、同十年社務所を新築す。
御朱印
御朱印はあります。
幡羅八幡神社(高松市牟礼町原651)の禰宜さんが当社の宮司を務めており、おそらく普段はそちらにいらっしゃるようです。なのでそちらでいただくことができます。
アクセス
白山神社からさぬき東街道を東に進み鴨部川手前で右折。細い道をしばらく進むと到着。
神門の手前あたりに駐車可能(位置)。
神社概要
社名 | 和爾賀波神社(わにかわじんじゃ) |
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通称 | イドノオミヤサン |
旧称 | 井戸之郷氏八幡和尓河神社 井戸八幡 井戸之宮 |
住所 | 香川県木田郡三木町大字井戸1575 |
祭神 | 豊玉比売命 玉依比売命 八幡大神 息長足姫命 |
社格等 | 式内社 讃岐国三木郡 和爾賀波神社 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「井戸村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「和爾賀波神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 梶原藍水『古今讃岐名勝図絵』高松製版印刷所, 1930(国会図書館デジタルコレクション 82コマ)
- 香川県神職会編『香川県神社誌 上巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 149-150コマ)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 282-283コマ)