和気能須神社(隠岐の島町下西)

和気能須神社。

隠岐の島町下西、玉若酢命神社の西500mほどの場所に鎮座。

式内社 和氣能湏命神社に比定される神社。

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境内

鳥居

 

参道石段

 

手水舎

 

松尾大明神と彫られた碑?

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

由緒

創建は不詳。

明治4年の『島後旧社取調帳』松尾大明神の条には「人家を離れて高き所ニ在。中ノ大社ニて拝殿参籠所あり。此村の産神、幷ニ八田村も此社の産子也。造営村中懸リ棟札ハ元和6年建立とあり」「此社は式内周吉郡和氣能須ノ命神社なる由旧記にしるせり。国内神名帳にも和氣能酒大明神とあり」とあります。

社地の右を流れる谷水が良質で酒造に最適であったため、社名を「和氣能酒」と書くようになり、それにより山城から松尾明神を勧請したと伝えられているそうです。

 

延喜式神名帳にみえる「隠岐国周吉郡 和氣能湏命神社」に比定されていますが、由緒は不詳。

 

明治5年村社列格。

 

現在の社名は「和気能須神社」「和気能酢神社」の二つの表記が見られ、『平成祭データ』では「酢」、島根県神社庁のサイトでは「須」を使っています。登記上の名称は「和気能須神社」(法人番号9280005005719)。

 

祭神の和氣能須命については詳細不明ですが、「隠岐別」として隠岐の統治に当った景行天皇の第5皇子大酢別皇子のこととする説もあるそうです。

なお、『日本史小百科 神社』に次のようにあります。

『日本史小百科 神社』

(隠岐)国造の本拠は、実は初め同地(隠岐国府)の式内社和気能須命神社であったらしく、それが隠岐国の総社とされていたのを、いつしか玉若酢神社が総社と呼ばれるようになった

 

これが事実であれば、当初の隠岐国総社は当社だったということになります。ただしこの内容は同書以外に見つけられず。

御朱印

御朱印の有無は不明。

多分本務社は玉若酢命神社だと思います。

アクセス

玉若酢命神社と億岐家住宅の間の道を入り西へ。

300m程行くと分岐があるので左手の道へ。

そのまま道なりに行くと神社前。

道は細く、駐車場もない(と思う)ので、玉若酢命神社の駐車場をお借りして歩くのがおすすめです。

10分足らずで行けますので。

神社概要

社名和気能須神社/和気能酢神社(わけのすじんじゃ)
通称
旧称

松尾大明神

和氣能酒大明神

和氣能須命神社

住所島根県隠岐郡隠岐の島町下西1607
祭神和氣能須命
社格等

式内社 隠岐国周吉郡 和氣能湏命神社

旧隠岐国総社(?)

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし?(玉若酢命神社駐車場利用が無難)
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「下西村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「和気能酢神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 岡田米夫『日本史小百科 神社』近藤出版社, 1977
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4』皇學館大学出版部, 1983