宇和津彦神社。
西予市宇和町坂戸に鎮座。
宇和島の宇和津彦神社の元宮とされる神社。
境内
鳥居
狛犬
境内にある岩
手水舎
注連柱と拝殿
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
境内社
霧の中から聞える太鼓の温度、衣装をつけて祝詞に舞う五頭の鹿の姿、坂戸部落には古くから秋祭りの練りの出しものとして五ツ鹿踊りがあり代々の区長が五ツ鹿宿にあたり、その時代の青年たちによって踊り伝えられてきました。
昭和四十年代の初め、戦後一時とだえていた五ツ鹿踊りを復活しようと初代会長末光辰義氏を中心に坂本清、宇都宮勇、岡野英雄氏等の呼びかけで保存会の発足をみました。
衣装等は部落や有志によっていくたびか修復を重ねられましたが、百年の風雪は長く、頭については損傷も見受けられるようになりました。
今回、保存会の責任において備品一式を新調することにいたしましたところ、表記の方がたのご協力により、おかげさまで多額の浄財が集まりました。
ありがたく厚くお礼を申し上げます。
また、町当局におかれましても深いご理解ご援助をいただき感謝にたえません。
頭は京都市「株式会社井筒」衣装は卯之町「みやべ呉服店」で作製調達され、みごとに復元完成いたしました。
総経費四百参拾参萬壱千圓
この事業がりっぱに完遂できましたのも、ひとえに皆さま方の暖かいご支援のたまもので、ご芳名をこの碑面に刻み、長く感謝のしるしといたします。
産土神宇和津彦の尊は宇和郷のまほろばに鎮座ましまして青史に名ある大神なり。
夏越の祓いに当たり、氏子としてご神木榧の木を詠みし一句を献じ弥栄を祈念するものなり。
末光安雄は、昭和八年四月十日惣一・フデコの次男として中川村坂戸に生まる。昭和三十五年岩木の瀧上清子を娶り、宇和町役場に共に奉職し両親に孝養を尽くす。
若きより文学に親しみ、「順一」と号し花鳥風月に遊ぶ。
母に寄す心は同じ草萌ゆる 清子
歌碑 「産土の榧の梢に夏来る」 安雄
由緒
創建時期は不詳。
三代実録 仁和元年(885)2月10日丙申条に「伊予国正六位上…宇和津彦神…従五位下」と見える宇和津彦神に比定される宇和島の宇和津彦神社は、かつて当地に鎮座していたとする説があります。
歴代の国造郡司に宇和一の宮として崇敬され、嘉禎2年(1236)に太政大臣西園寺実氏が宇和郡を領したとき、社殿造営があったとされます。
その後藤堂高虎が居城の宇和島に宇和津彦神社を遷したため、当地の人々は跡地に小祠を建て宇和津彦神社を残したとされ、それが当社となります。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
松山自動車道の西予宇和ICを降り、大洲方面(右手)へ。
750m先の下瀬橋交差点(位置)を右折し国道56号へ。
4km強先の交差点(位置)で右折。そのまま東へまっすぐ行けば神社(あるいは県道263号に沿って、途中から一本南を通るか。神社前の道はとても狭いのでこちらの方が楽)。
駐車場はありませんが、境内の東側に車が乗り入れられるスペースあり。
ただ、そこに入るまでの道が狭いので注意(前述の通り神社前の道は狭く、県道側から来ても境内に入るためには民家脇の細い道を通る必要がある)。
神社概要
社名 | 宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 愛媛県西予市宇和町坂戸951 |
祭神 | 天照皇大神 豊受皇大神 伊佐奈岐命 伊佐奈美命 市杵島姫命 素盞嗚命 奥津彦命 奥津姫命 他一柱 |
社格等 | 日本三代実録 仁和元年二月十日丙申 宇和津彦神 従五位下 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | 宇和島の宇和津彦神社の旧地? |
参考文献
- 「宇和津彦神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995