潮江天満宮。
通称 潮江天満宮。
高知市天神町、筆山と鏡川に挟まれた場所に鎮座。
旧県社で、現在は神社本庁の別表神社。
境内
社頭
社号看板
社号標
社頭北に架かる天神大橋(神社と反対側の岸から)
境内北を流れる鏡川
入口付近の狛犬
一の鳥居と扁額
二の鳥居
三の鳥居
四の鳥居と扁額
四の鳥居脇の狛犬
五の鳥居
六の鳥居
ここで参道は左に折れます。
手水舎
上にも石が渡されているのですが、これも注連柱と言っていいのでしょうか
楼門手前、一番前の狛犬
二番目の狛犬
三番目の狛犬
一番奥の狛犬
楼門
嘉永6年(1853)建立。三間一戸、入母屋造、銅板葺。高知市指定の有形文化財です。ただし、高知市のWebサイトの紹介ページには1887(明治20年)と記載されており、ズレがあります。どちらが正しいのでしょう…
また、明治32年(1899)の台風で一度倒れたこともあるそう。
楼門の扁額
なお、参道は楼門の先で右手に折れます。
折れずに正面方向へ向かうとすぐに裏参道の鳥居に出るのですが、全く気づかず…
注連柱
天満宮なので牛もいます
右手の方がいくらか新しそうに見えます。
飛龍梅
時期ではなかったので、花は見られず。
満開のときはこうなるようです
樹齢二百余年の老梅
龍が羽根を広げてあたかも飛んでいるような形態をしている
東西七、五米 南北約六米 高さ三、五米で約二十三、五平方米の広さで枝を張っている
社殿
拝殿
本殿
境内社等
幡龍宮と神池
楼門をくぐってすぐのところ。
本殿裏、大山祇神社の鳥居と石段
大山祇神社
祭神 大山祇命
由緒 勧請年月縁起沿革等未詳
横に磐座らしき岩
全国天満宮梅風会のサイトには「高視朝臣が釣りをされた岩」と紹介がありました…が梅風会のサイトは削除されてしまいました。
岩の脇の石祠
大山祇神社と岩
大山祇神社の別の参道の鳥居
大山祇神社参道途中のお社
特に案内も戸もなく中も空。いずれかの境内社の旧祠?
島崎神社
拝殿(上)と本殿(下)。
祭神 嶋崎道和或云道久
由緒 寛政六年寅十月勧請す
道和は当村に居住の人にて性資風雅を好み世塵を願い本社を尊崇する事厚く俊秀たるにより爰に鎮祭すると云ふ
早良宮
由緒 勧請年月縁起沿革等未詳
元唐人町に鎮座す慶応年間同所が藩主山内氏の別邸となるにより鷹匠町の柳原にある藤並神社旅所域内に移す、後又明治三年庚牛三月爰に鎮座す。
霊験 首より上の病気に対する祈願はすべて成就するという民間信仰がある
若栄社
祭神 菅公に陪従の諸神霊並びに宮地正勝霊
由緒 勧請年月縁起沿革等未詳
菅公に陪従の神なるを以って爰に祀祭す
白太夫社
祭神 松本春彦(渡曾春彦)
由緒 在世の中、菅公に特に親しく仕え奉り、菅公延期喜三年二月廿五日大宰府に薨ずるや、土佐権守に左遷された御長子高視朝臣に遺品を届けるべく土佐に来国するも長岡郡大津村舟戸霊松山雲門寺に至り急逝すると云ふ
後に白太夫と称す
社殿裏の霊杉(の根株)
天保年間に社殿に支障なきよう枝のまがった杉
昭和二十年の戦災により焼失
根株のみ残存している
霊杉之碑
天保年間、社殿に支障のある為伐採協議の夜、暴風雨により社殿に害にならぬ方向に枝がまがったという、杉の奇瑞につき記したもの
高視公之碑
建立 昭和八年十月吉日
高視公社中の手による
高視公とは菅原道真公ご長男 菅原高視朝臣
小さな牛
当神社の御祭神「菅原道真公」にゆかりの「牛」の臥像です
「牛」の民間信仰として安産・身体強健・健康増進が伝えられています。
この「親子牛」については、お産月の一日の正午に参拝すれば殊に安産で健康な子供が授かると伝えられています。
蔵
拝殿手前にうさぎがいました(2015年の時)
神社でうさぎって珍しいですね。
由緒
平安時代の名臣として、卓越した才幹と広大無辺の聖徳を兼ね備えられた菅原道真公(八四五-九〇三)を主祭神とする。
公は学者より身を起こし、昌泰二年(八九九)には右大臣に進まれたが、識見信望共に抜群であることをよく思わない左大臣藤原時平のざん言で延喜元年(九〇一)に太宰府に左遷された。
長男高視朝臣も同時に土佐に流された。
公は延喜三年(九〇三)に薨去されたがその後、侍臣白太夫は遺品(恩賜の御衣・剣・観音像)を高視朝臣に渡すべく延喜五年(九〇五)に長岡郡大津村舟戸(今の高知市大津)の霊松山雲門寺に辿り着いたが、高視と面会する事無く同地で没した。
後、遺品を受けた高視が、竜神の祠に収め霊璽として祀ったのが縁起である。
延喜元年(901)、菅原道真が太宰府に左遷された際、その長子である高視も土佐権守として当地に配されました。
同3年、道真は太宰府にて没し、侍臣渡会春彦(白太夫)はその遺品の剣と鏡を高視に届けるため土佐へ来国。しかし長岡郡大津村舟戸(現高知市)の霊松山雲門寺にて病没。その後高視が遺品を納め、父の霊として祀ったことが当社の始まりとされています。
当初は現社地の東方、現在の真如寺の境内にあたる場所にあり、慶長年間(1596~1615)の真如寺建立に伴い、現在地に移ったとのこと。
文化2年(1805)に正一位を授かっています。
藩主山内氏の崇敬厚く、二代忠義は寛永9年(1632)に社殿再興しており、その後も社殿修理造営は藩費で賄われたそうです。
嘉永年間(1848~1855)に社殿新造されたものの、昭和3年に火災で焼失、楼門のみ現存しています。
その後社殿は再建されるものの、昭和20年7月4日に空襲にて主要建築物の殆どを焼失。
昭和33年に拝殿、幣殿が再建。平成7年に本殿が再建されたとのこと。
とはいえ平成7年まで本殿がないままだったとも考えにくく、由緒書にも「戦前の本殿建築にとのもとに」再建とあるので、それ以前にも別の本殿があったのではないかと思います。想像ですが。
なお当社、高知県内で初詣参拝者数が最多だそうです。例年約21万人の人出で、土佐神社より多いんですって。立地もいいし、やっぱり天神さんは強いんでしょうか。
御朱印
御朱印はあります。
社殿左手の社務所で拝受可。
全国天満宮梅風会の御朱印帳もあり。
デザイン同じで社名部分だけ各社で異なるという御朱印帳です
アクセス
参拝者は参道脇に無料で駐車できます。
県道274号、筆山の北の登り口にある信号のところ(位置)で左手に入ると、突き当たりに注連柱があります。そこを入って左手に進み、参道脇の邪魔にならないところへ停められます。奥の方は関係者用みたいなので注意。
ただ繁忙期は利用不可。そういう時は鏡川にかかる天神大橋の南詰に有料駐車場があるのでそちらへ。参道入口のすぐ北に駐車場の入口。かなり広いですが、三が日は埋まるかもしれません。
神社概要
社名 | 天満宮(てんまんぐう) |
---|---|
通称 | 潮江天満宮(うしおえてんまんぐう) |
旧称 | – |
住所 | 高知県高知市天神町19-20 |
祭神 | 菅原道真公 高視朝臣 北御方 |
相殿 | 天穂日命 大海津見命 |
社格等 | 旧県社 別表神社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | 全国天満宮梅風会御朱印帳あり |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://www.ushioe-tenmangu.jp/ |
備考 | – |
参考文献
- 「潮江天満宮」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「天満宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 405-406コマ)