天皇神社(大津市和邇中)

天皇神社。

大津市和邇中に鎮座。

式内名神大社 小野神社二座の論社。

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境内

社頭

 

鳥居

 

扁額

 

手水舎

社殿

拝殿

 

狛犬

 

本殿

 

重要文化財建造物 天皇神社本殿

重要文化財 天皇神社本殿 1棟

明治40年8月28日指定

構造・形式

桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺

時代

鎌倉時代 正中元年(1324)

祭神

素盞嗚尊

寸法

母屋

正面柱間 4.03メートル

側面柱間 2.80メートル

棟高 6.21メートル

軒高 3.43メートル

向拝

正面柱間 1.63メートル

側面柱間 2.64メートル

軒高 3.25メートル

 

神社本殿は流造の形式が多い中、天皇神社本殿は全国的にも稀な切妻造、平入の本殿で、県内の重要文化財では近隣の小野神社境内社篁神社本殿と小野神社飛地境内社道風神社本殿を加えて3棟にすぎません。建物の規模は、正面(桁行)三間、側面(梁間)二間で、全面に一間の庇(向拝)を付けます。正面中央間と右側面を幣軸構板戸両開とし、屋根の勾配が著しく緩い点が、他の2棟とは異なります。

天皇神社の創建は、社伝によれば康保3年(966)と伝えられ、元は和邇牛頭天王社と呼ばれていましたが、明治9年(1876)天皇神社と改称されました。現本殿は、小野神社職務歴代記に「正中元年二月三日和邇牛頭天王社創建釿始同年十二月十九日上棟式」云々とあり、正中元年(1324)の建立と考えられます。

平面は、後方中央一間が内陣で、その周囲三方は外陣とします。向拝廻りのほとんど全ての部材と縁、脇障子、外陣正側面と内陣の建具、切妻破風と縋破風は後世の改造となりますが、外陣と内陣に加え、内部の彫刻を失ってはいますが蟇股は建立当初の姿を留めています。

江戸時代の、延宝6年(1678)から安政6年(1859)にわたる10回の屋根葺き替えの棟札が残されており、昭和57年(1982)に附指定となりました。

 

重要文化財 天皇神社本殿

明治四十三年八月二十八日指定

天皇神社は、牛頭天王社と称し、天台宗寺院の鎮守社と伝えられる。祭神は素盞嗚尊を祀る。

現在の本殿は、隅柱に「正中元年二月三日釿始…」(一三二四)の墨書があり、よく鎌倉時代の作風を伝える。形式は三間社に一間の向拝をつけた屋根切妻造、桧皮葺の本殿。

全国的に切妻造本殿は遺構が少なく、外観の整った優れた建物である。

境内社等

本殿と横並びに多数の境内社があります。左から三ノ宮神社、松尾神社、樹下神社、本殿、若宮神社、大國神社。

 

本殿左に樹下神社

 

扁額

 

樹下神社狛犬

 

扉前にも狛犬

 

樹下神社左に松尾神社

 

一番左に三ノ宮神社

 

本殿右に若宮神社

 

一番右に大國神社

 

宝塔と忠魂碑

宝塔は鎌倉時代後期のものだそうです。手前が北塔、奥が南塔で、いずれも市指定文化財。

他に同時代とみられる層塔もあるようなのですが見落とし。

 

境内社前の木

 

神楽殿か神輿庫?

 

社務所

 

榎石碑

社頭から400mほど東の交差点真ん中に建っています。かつてここに天皇神社の御神木である榎があり、それを記念する石碑だそうです。

 

由緒の記 榎の宿

江戸初期慶長元年徳川幕府の一里塚設置によって西近江路榎の宿に榎が植えられる。

もともと榎の宿は北陸道穴太駅(第一駅)につぐ第二駅として平安朝以降、湖西の交通の要拠であった。

この宿から南方は穴太から京洛。西方へは竜華越から京都へ、東は和迩泊から湖上。北陸路は高島を経て若狭越前に通じる拠点であった。

近江聖人中江藤樹の門下生の一馬子が旅人に致良知の徳行を示したのもこの宿であり、藤樹の高弟熊沢蕃山もこの宿に縁をもち、栗原に蕃山文庫がいまも残っている。

古来、この榎は、天皇神社の神木として尊崇され、地区民は勿論、多くの湖西の人々に親しまれてきた。

明治百年のこ年、神木榎も三百六十歳の齢に勝てず朽ちる。

神木榎、榎の宿を偲び有志一同、榎の顕彰碑を建立し、永遠に記念するものである。

由緒

社伝によれば創建は康保3年(966)。

京都八坂の祇園牛頭天王(八坂神社)を奉遷して和邇牛頭天王社と称したと伝わります。

 

延喜式神名帳にみえる「近江国滋賀郡 小野神社二座 名神大」の論社の一つ。

また国史においては、続日本紀 宝亀3年(772)4月己卯(29日)条に「震西大寺西塔、卜之、採近江国滋賀郡小野社木、搆塔為祟、充当郡戸二煙」続日本後紀 承和元年(834)2月辛丑(20日条に「小野氏神社在近江国滋賀郡、勅聴彼氏五位已上、毎至春秋之祭、不待官符。永以往還」同書 承和3年(836)5月庚子(2日)条に「授无位小野神従五位下、依遣唐副使小野朝臣篁申也」日本三代実録 貞観4年(862)12月22日丙辰条に「近江国正五位上小野神…授従四位下」とみえています。

小野神社の創始は不明ですが4~6世紀頃とみられ、小野氏の祖神、あるいは小野氏が奉祀した神社であったようです。

『式内社調査報告』は式内 小野神社について、小野神社を中心に道風、天皇の二社を含め一つの神社圏と考えるべきという旨を述べています。

 

 

正中元年(1324)に現在の本殿(重文)建立。

明治9年に天皇神社と改称し村社列格。牛頭天王→天皇に転じたもののよう。

 

現祭神は素盞嗚尊。

 

どうも境内に古墳があるようなのですが、特に案内も出ておらず詳細不明…

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

湖西道路の和邇ICを降りて、県道311号を東に1.5km弱行くと右手に神社があります。

駐車場はありません。

神社概要

社名天皇神社(てんのうじんじゃ)
通称
旧称和邇牛頭天王社
住所滋賀県大津市和迩中146
祭神素盞嗚尊
社格等

式内社 近江国滋賀郡 小野神社二座 名神大

続日本紀 宝亀三年四月己卯(廿九) 小野社

続日本後紀 承和元年二月辛丑(二十) 小野氏神社

続日本後紀 承和三年五月庚子(二) 小野神 従五位下

日本三代実録 貞観四年十二月廿二日丙辰 小野神 従四位下

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「和邇中村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「天皇神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十二巻 東山道1』皇學館大学出版部, 1981