建布都神社(阿波市土成町郡)

建布都神社(建布都神社・西宮神社)。

阿波市土成町郡に鎮座。南1km程に吉野川。

式内社 建布都神社の論社。

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境内

鳥居

 

扁額

二つ掛かっています。2000年に近隣に鎮座していた西宮神社を合祀したため、こういう形になったようです。

 

西宮神社の元鎮座地は阿波市土成町郡735のあたり(上図)で、鳥居や境内社は残っています。

 

手水舎

 

狛犬(手前)

 

狛犬(後ろ)

手前と奥で全然雰囲気が違いますね。奥のは天保15年のものです。

社殿

拝殿

合祀の時に建て替えたのでしょうか、きれいです。

 

扁額

こちらは一つの扁額に両社名が並んでいます。

 

本殿

境内社等

社日塔

 

神社の東約60m程のところに「御供井戸」という古井戸が、社西には「イグシ」というところがあり、古社の名残をとどめるものとされているそう。

 

境内から道路挟んですぐ東、畑の脇にある井戸らしき物

これが御供井戸でしょうか。

由緒

創建時期は不詳。

 

『阿波志』では当社を「杉尾祠 亦郡村に在り土人或は曰く建布都祠是也」(書き下し文は『阿波誌』より)とし、延喜式神名帳にみえる「阿波国阿波郡 建布都神社」にあてています。

郡衙のあったとされる郡の鎮座であること、享保10年拝殿再興、同18年本殿再興の棟札に建布都神社神号があることが式内社の論拠になっているとのこと。

 

『阿波郡誌』によれば、「文安年中時ノ領主、原田大和守其荒廃ヲ嘆キテ社殿ヲ修シ、神宝トシテ神鏡一面ヲモ献ス」とあるため、室町時代には既に荒廃しており、再興されたことが伺えます。

再興後、細川・三好の兵乱に続き長宗我部の兵火に罹り、社殿什物を焼失、森林中の小祠となってしまいます。

その後、享保2年(1717)に社殿再建されたということです。

明治8年村社列格。

 

祭神は武甕槌命と経津主命。また合祀の西宮神社の祭神として事代主命。

祭神が武神なので八幡宮、として北八幡宮を称した時期もあるそうです。

 

境内合社記

ここ郡地区は古来敬神崇祖の念あつく由緒ある建布都・西宮二社を奉賛護持して遠く祖先より伝えてその加護の下に住民は安居楽業の年月を過ごしてきました

ことし聖代平成十二年・西暦二〇〇〇年二十世紀最後の年にあたり両社を奉斎合祀して建布都西宮神社の一社となし崇敬の心を新たにして永く後世に伝えんと願うものである

 

合社記碑裏、かつての建布都神社と西宮神社の写真

御朱印

御朱印はあります。

赤田神社と同じく、椙尾神社(阿波市土成町土成田中38)が本務社で、そのすぐ北に宮司さんのお宅があり、そちらで頂くことができます。

事前連絡はあった方がいいと思います。

 

アクセス

徳島自動車道土成ICを降り、国道318号を南に3km弱行ったところの交差点(位置)で県道137号へ入り、西へ進みます。1km弱先にガソリンスタンドとコンビニ(?)があるので(位置)、その手前の角を左折。直進すると神社横に出ます。

周囲の道は狭め。鳥居のすぐそばに車が入れる程の玉垣の隙間があります。

社殿右には遊具があって公園も兼ねているようです。私の参拝時にも子供が遊んでいました。車で入るときはお気をつけて。

神社概要

社名建布都神社〔建布都西宮神社〕(たけふつじんじゃ/たけふつにしのみやじんじゃ)
通称
旧称北八幡宮
住所徳島県阿波市土成町郡字建布都569
祭神

武甕槌命(建布都神社)

経津主命(建布都神社)

事代主命(西宮神社)

社格等

式内社 阿波国阿波郡 建布都神社

旧村社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場なし(境内に駐車可)
公式Webサイト
備考平成12年(2000)に西宮神社を合祀

参考文献

  • 「郡村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「建布都神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 近藤有地蔵編『阿波郡誌』阿波郡役所, 1924(国会図書館デジタルコレクション 174コマ
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019