白岩神明社。
角館駅の東南東約4km、白岩前郷に鎮座。
日本三代実録 貞観12年(870)8月28日戊申条に見える白磐神の論社。
境内
鳥居
社号標
手水舎
庚申碑
社殿
拝殿
扁額
本殿覆屋
社殿脇の御神木?
白岩焼窯跡
神明社のすぐ南の道を東に300mほど行くと丁字路があり、その脇に白岩焼窯跡があります。
史跡白岩焼窯跡の標柱
白岩焼は、明和八年(一七七一)相馬(福島県)の松本運七が築窯(古窯)したものである。その後経営は白岩村の陶工に引き継がれ、秋田藩の奨励策もあって江戸時代末期にはその最盛期をむかえ、明治三十三年(一九〇〇)にヘ窯が廃窯されるまで続いた。
窯跡は、瀬戸山とよばれる白岩集落東方の丘陵斜面に、西側から古窯(松本運七、築窯明和八年=一七七一)、イ窯(山手儀三郎、天明二年=一七八二)、ロ窯(渡辺吉五郎、天明五年=一七八五)、ホ窯(高橋多市郎、安政四年=一八五七)と並んでいる。また集落の近辺には、ハ窯(渡辺勘左衛門、嘉永末年頃=一八五三・四頃)、ニ窯(細川孫兵衛、安政三年=一八五六)、ヘ窯(菅原吉重郎、文久前後=一八六一~六四)がある。主として日用雑器の生産を行い、釉薬は青白釉を主流として黒釉、鉄釉が用いられた。
この窯跡は、秋田藩の最初の本格的な登窯の遺跡として規模も大きく貴重である。
案内板の後ろ側は広場のようになっていましたが、焼窯跡がどのあたりなのかはわかりませんでした
調査資料があったので、リンクを貼っておきます。
稲荷神社(白磐神論社)旧社地
白岩焼窯跡の丁字路から北へ200m弱行くと、右手に田んぼの間を通って森の方へ続く畦道があります(位置)。
この畦道の奥に、白岩神明社に合祀された稲荷神社の旧社地があります
畦道を直進すると、森の中に入っていく道(わかりづらい)があります
ここが入口。
途中まではこんな感じで、何となく道はわかります
道の脇に鉄パイプと境界標が立っている箇所
ここから先は、シダ植物が繁茂して道が全くわからなくなっています。
こんな感じ
正面に祠の屋根がかろうじて見えるので、そこを目指します。5月でこの状況なので、夏季は祠が見えないかも知れません。藪漕ぎする距離は100mもないので、まっすぐ突っ切れば着けると思いますが。
祠全体が見えてきます
足元に気を付けて進みます。
祠
宝珠紋が彫られています。
由緒
創建時期は不詳。
本殿に奉献された棟札に、「奉造立御伊勢本地天照皇大神宮一宇想形師 享保十年五月十六日(1725年)」と書かれたものがあり、あるいはこの頃の創建か。
当地は、宝徳年間(1449~1451)頃から白岩氏の治世の元に城下町として発展。
そして、当社や後述の合祀された社は白岩城のあった館山を中心に開発された白岩の里の守護神だったといわれます。
明治5年(1872)村社列格。
明治43年(1910)と大正5年(1916)に近隣の神社12社と境内社3社を合祀。
現在の祭神が非常に多いのはこのため。
この合祀された神社のうち、寺後にあった稲荷神社を、三代実録 貞観12年(870)8月28日戊申条に「出羽国白磐神…従五位下」とみえる白磐神に比定する説があります。
ただし、一般的には山形県寒河江市の白磐神社(葉山神社、位置)を比定する説が有力なようです。
また、『白岩村郷土史』にも大同2年(807)稲荷神社建立とあるものの、特に根拠は示されていないとのこと(神の宿るところさんの記事による。白岩村郷土史は未確認)。
御朱印
御朱印の有無は確認していないため不明。
ただし、関東の神社めぐり プチ神楽殿さんの掲示板情報によれば、2014年の頃は御朱印対応されていないとの回答があったとのこと。
アクセス
角館駅の南から、県道258号を道なりに東へ。
4km強先、丁字路に出るので(位置)右手に。そこから400mほど先に神社。
駐車場はなし。
神社概要
社名 | 神明社〔白岩神明社〕(しらいわしんめいしゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 秋田県仙北市角館町白岩前郷1 |
祭神 | 天照皇大神 伊邪那美神 天御中主神 大国主神 水波女神 久々理姫神 猿田彦神 大己貴神 稲倉魂神 加具土神 鳴雷神 少名彦神 素佐男神 大山祇神 菅原道真神 |
社格等 | 日本三代実録 貞観十二年八月廿八日戊申 白磐神 従五位下(合祀の稲荷神社) 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明(なし?) |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | http://www.shiraiwa-shinmeisha.com(リンク切れ?) |
備考 | 稲荷神社旧地は東北東400m弱 |
白岩神明社
稲荷神社旧地(おおよその位置)
参考文献
- 「神明社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995