総社。
南国市国分にある、土佐国分寺にして四国八十八ヶ所霊場第29番札所である摩尼山宝蔵院国分寺の境内に鎮座。
土佐国総社とされる神社。
境内
社頭
鳥居
狛犬
手水鉢
社殿
社殿
境内社等
祠が4つ
国分寺
当社は国分寺の境内にあるので、国分寺にもお参りしました。
山門
寺号標
手水舎
金堂(本堂)
国指定重要文化財。
大師堂
開山堂
酒断地蔵尊
元は一言地蔵といい、香美市穴内地区(香美市土佐山田町上穴内?)の佐比谷寺にありましたが、ダム建設に伴い国分寺に遷されました。断酒の祈願が成就したという話が広まって酒断地蔵尊と呼ばれるようになったとのこと。
鐘楼
当寺は国指定重文の梵鐘も所有していますが、これは別物のようです。
弘法大師ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1,400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、1200年を超えて発展継承され、今なお人々により継続的に行われている。地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの1つとして、日本遺産に認定された。
第29番札所の国分寺は、摩尼山と号する真言宗寺院で、聖武天皇が国ごとに建立を命じた国分寺の一つ。弘法大師の中興とも伝える。本堂は杮葺(こけらぶき)の清楚な建物で重要文化財に指定されている。
由緒
比江に国庁が置かれ国司が土佐を治めていた時代に、国内の代表神社(式内社)を巡拝することに代えて土佐国二十一社(安芸三、香美四、長岡五、土佐五、吾川一、幡多三)を国庁所在地に勧請して一社を建設したのがこの総社といわれる。
当初は国分新町の南方にあり、次いで元国分寺境内の現在地に移されたものである。
創建時期は不詳ですが、国の総社なのでおそらく平安時代。
元は今よりも東の、国府近くに鎮座していたとされており、寛文9年(1669)に現在地に遷されたと伝わります。
『南路志』に「以前之社地者国分寺作式ニ成」とあるので、開墾による遷座でしょうか。
時期不明ですが郷社に列格(『明治神社誌料』にみえないので、大正以降?)。
御朱印
御朱印はあるようです。
ネット上に画像が上がっていました。
ただ、本務社がどちらなのかや連絡先などの情報は見当たらなかったので、どこで頂けるのかは不明。
アクセス
高知自動車道の南国ICを降り高知・室戸方面(右手)へ。
750mほど先(位置)で左折して県道45号へ。
1.3kmほど先(位置)で右折(案内あり)。400mほどで国分寺前。
あるいは高知市中心部から国道195号(バイパスのあけぼの街道)を東に向かい、南国市下末松の交差点(位置)で左折。
1.2kmほど先(位置)で左折(案内あり)。400mほどで国分寺前。
駐車場は境内東、西、南と3つあります。
神社概要
社名 | 総社(そうしゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 高知県南国市国分536 |
祭神 | 土佐国式内社二一社祭神 |
社格等 | 土佐国総社 旧郷社 |
札所等 | -(国分寺は四国八十八箇所霊場二十九番札所) |
御朱印 | あり(?) |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり(国分寺駐車場を利用) |
備考 | 国分寺境内に鎮座 |
参考文献
- 「総社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「総社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995