白鳥神社。
東かがわ市松原、讃岐白鳥駅の近くに鎮座。
白鳥となった日本武尊の霊が舞い降りたという伝説の残る神社。
境内
二の鳥居
一の鳥居は後述の五つの鳥居項にて。
社号標
鳥居横の狛犬
一の門
一の門手前の狛犬
鶴門
一の門をくぐった先。
鶴門の内側(社殿側)の狛犬
すらりとした独特なシルエット
鶴門内の鶴
手水舎
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社
駐車場付近
忠魂社
恵美須神社
社殿周囲
五宮神社
三社神社
伊勢神宮遥拝所
恵比須さん
青山稲荷神社 鳥居
お狐さん
青山稲荷神社 鳥居②
青山稲荷神社 お狐さん②③
青山稲荷神社 社殿
御厩
中の木造神馬は市指定文化財。
白鳥神社のクスノキ
白鳥(鶴)となった日本武尊の霊が舞い降りた場所とされています。樹齢約800年なので、年代がずれるんですが、神話なので。香川県の保存木、環境省のかおり風景百選に指定されています。
境内には、クスノキの大木が十本あり、平成十三年環境省によって「かおり風景百選」の一つに選ばれた。
このクスノキは、昭和五十三年に香川県の保存木に指定された。樹齢は約八百年と推定され、胸高周囲は、七・六メートル、高さ三十メートル、枝葉は、東西三十メートル、南北二十七メートルに及んでいる。
鶴塚
江戸時代、高松藩では鶴の保護を義務付け、保護した鶴は鶴は郷会所に届け社役人に渡すことになっていました。が、手続きが面倒なため傷ついた鶴を追いやったり、死んだ鶴を夜中に当社まで捨てに来る者までいたそうで、死んだ鶴を埋めたのが鶴塚なのだそうです。
ただ、日本武尊の霊である鶴を埋葬したという話もあるようです(出典不詳)。鶴を埋葬しているうちにそういう話が出来上がったのか、元から伝承があった場所に鶴を埋葬したのか。
境内後方
社殿後方の回廊にはかつての社殿に使われていた部材をはじめ色々と展示されています
弓道場
裏参道から境内入口の鳥居
白鳥の松原
日本武尊は勅命により東国を征定し給い、還啓の途、癘病に触れ給い、伊勢国能褒野に至り薨じ給うた。
時の天皇その功を録し厚く葬り給うた、その時白鳥と化し西方に飛び、大和国、河内国を経てこの大内郡鶴内の里に止り給うた。
由来、松原は景勝地として白砂青松風光明媚の地にして白鳥海岸となり、渺茫たる播磨灘に臨んでいる。
昭和三十一年五月に瀬戸内海国立公園と指定され、四季遊覧の人達が訪れている。
4万坪の広さを持ち、日本の白砂青松100選に選定されています。
松原の風景
松原の中ほどには日本一低い山と銘打たれた御山(みやま)があります
標高3.6m。なお、社務所で登山証明書がもらえます。
手袋産業創始者の石碑と銅像
松原にある湧水池
草が繁茂していて池はよく見えませんでした。
裏参道の参道標
鳥居をくぐって道路を渡り、進めば瀬戸内海
松原まで含めた境内はかなり広く、じっくり回ると1時間はかかります。
境外の鳥居
五つの鳥居
当社の周辺には、各方面からの参拝者向けに五つの鳥居が建っています。
①表参道の大鳥居(位置)
二丈一尺の大鳥居。これが表参道一の鳥居に当ると思われます。
②裏参道の鳥居(位置)
松原を抜け県道122号を渡った場所。
③久詰池北の鳥居(位置)
④伊座の新池北の鳥居(位置)
⑤湊川西の鳥居(位置)
ここだけ小さなお社が建っています。住宅地にあるので場所が少しわかりづらいかも。
この5つを指すと思うのですが、確証はありません(他にも多数鳥居があるので)。
赤鳥居
五つの鳥居とは別に、二の鳥居から東に300mほど行ったところに赤鳥居が建っています(位置)。
赤鳥居
白鳥神社門前町の象徴「赤鳥居さん」
この赤鳥居は、白鳥神社の朱印地の東の境界を示すために建てられたものです。
朱印地とは、江戸時代に幕府から所有を認められ、年貢などが免除された、神社・寺院の領知の事です。
赤鳥居は、江戸時代安政4年(1857)に大内郡の庄屋や有志の寄付で建てられたと伝わります。
また、初代高松藩主松平頼重公は、寛文5年(1665)に「讃州大内郡白鳥宮之法令」で、門前町の東西の鳥居より内側は馬から降りて通行するように定めています。
その後、昭和4年(1929)に老朽化のため撤去されましたが、昭和15年(1940)に再建され、平成3年(1991)、平成27年(2015)に補修されています。
地元では「赤鳥居さん」と呼ばれ、町のランドマークとして親しまれています。
御旅所
表参道沿いに南下(二の鳥居から600m強)していくと、御旅所があります(位置)。
御旅所
御旅所付近にあった祠
御旅所から神社方面
由緒
白鳥神社
■新四国曼荼羅霊場第七番
■さぬき十五社第一番
【白鳥神社由緒】
その昔、日本武尊は九州そして東国を征定しての帰途、伊勢の能ぼ野で亡くなられた。天皇は尊を厚く葬られたが、尊の神霊は白鶴となり西方に飛び立ちこの大内郡鶴内の里に飛来された。この地に社を建てられ様様な人の祈願がなされ、百に一度の霊験なきことがなかった。
中でも源義経が兵力の劣勢の折に、白鳥の神に祈ったところ、彼方の空から白羽が彼の手中に舞い降り、義経は奮起して兵を挙げ、屋島の浦の戦に大勝したという話は有名で、白鳥神社が開運厄除の神様として奉られる由縁である。
【御祭神】
本殿三座
倭京宮 両道入姫命
白鳥大神宮 日本武尊
吾嬬宮 橘姫命
境内図
昔、日本武尊が、伊勢の能褒野に崩御せられ、尊の霊は白鳥と化し、大和の国琴弾原より河内の旧市に飛び、更に讃岐の国白鳥の郷に止まった。仁徳天皇の御代に初めて神廟を造営して、白鳥大神宮と言祝ぎ、その後、寛文四年高松藩祖松平頼重公が、この社殿修築に力を注いだ。明治五年県社に列せられる。
日本書紀では日本武尊は伊勢國能褒野に薨じ、白鳥と化して大和國琴弾原へ、次いで河内國旧市邑に留まった後天に上ったとされています。
当社の伝えるところによると、旧市邑から更に飛んで讃岐國三里松原に降りたので当地に神廟を建てたことが当社の始まりとのこと。
神社公式サイトの由緒は、成務天皇の時代、天皇の御兄弟神櫛王をして日本武尊の御子、武皷王に従わせて、讃岐の国造に封じ神陵を作らせ、また仲哀天皇の時代に神籬を建て封戸を寄らせたとされ、その跡が当社だとしています。
『日本歴史地名大系』は、仁徳天皇の時代に白鳥が舞い降りたため、勅命により讃岐国造が神祠を建立したとします。
『源平盛衰記』にも讃岐国白鳥明神として見え、屋島に向かう源義経に霊験があったとし、そのため武神として永らく八幡神を祀っていたようです。
その後天正年間(1573~92)戦火により焼失。
慶長10年(1605)再興され、鶴内八幡宮と称したとされます。
なお当初(焼失前)の鎮座地は現在の白鳥字田中だったといい、旧跡には田中神社が鎮座しています(位置)。
高松藩主松平頼重は、水主神社に対する神社勢力として当社を優遇。
寛文4年(1664)京都吉田神社の祠官で吉田(唯一)神道流の卜部兼古(猪熊千倉)を神主として招き、八幡神を西山村別宮八幡神社(現・東かがわ市西山の別宮八幡神社)に移し、日本武尊を主祭神とします。
そして寛文4年から5年に社殿修築、社領200石を寄進し、これを幕府に申請して朱印地としました。
その後も藩主や民間の崇敬厚く、こんぴらさんと並ぶほどの繁栄だったとのこと。
明治5年県社列格。
香川県神社誌
日本武尊東国御平定の後伊勢国能褒野に薨じ給ひ、其の霊白鳥に化し飛んで大和国琴弾原に止り、更に飛んで河内国古市邑に止り給ひ、更に飛んで天に上ると。当社伝ふる所によれば、尊の霊白鶴と化し古市邑より飛んで讃岐国三里松原に留り給ふ。依て其の所に神廟を営みて之を奉祀す。尊の神と現じて直に跡を垂れ給ふ所なれば此所を王城に準へ東宮に比す。依て郡の名を大内と云ひ、里の名を鶴内と云ふ。白鶴と化して留り給ふにより白鳥大明神と号し奉り、郷名白鳥(和名抄白鳥之呂止利)は神の御名によって起れりと云ふ。成務天皇の御宇尊の御子武殻王を讃岐に封じ以て神廟を鑑せしめ給ひ、仲哀天皇勅して墺垣を築かしめ封戸をも寄せられたり。今の神社は即ちその跡なりと。中古に至り八幡神は即ち尊の御孫に当らせ給ふを以て弓矢の神として武家の崇敬亦厚かりき。寛文五年藩主松平頼重大に社殿を修し、神領二百石を寄進して幕府に乞ひ之を朱印地となす。古へより当国は当社の故を以て鶴を神鳥となし、固く之が捕獲を禁じ、若し犯すものは厳科を処せられ以て明治に及びたり。明治五年県社に列せられ、同十三年本殿の改築あり。明治四十年三月二十二日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
神域は海浜松原の中にありて老松数千株白砂に連りて曲浦に望み風光甚だ佳く社殿亦宏麗なり。
御朱印
御朱印はあります。
また2016年よりオリジナル御朱印帳も授与開始。
讃岐国名勝図会(下画像参照)をあしらったデザインなのですが、社殿前のタチバナとサクラの位置が逆なような…
讃岐名勝図会(出典:『日本古典籍データセット』(国文研等所蔵))
アクセス
国道11号の東かがわ市松原交差点(位置)を北に入り、踏切渡って直進すると社頭。
表参道鳥居の右手に車の入口があります(位置)。駐車場は広く30台以上は停まれそうな感じです。
神社概要
社名 | 白鳥神社(しろとりじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 香川県東かがわ市松原69 |
祭神 | 日本武尊 |
相殿 | 両道入姫命 弟橘姫命 |
社格等 | 旧県社 |
札所等 | 新四国曼荼羅霊場七番 さぬき十五社一番 さぬき七福神(恵比須神) |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://www.shirotori-jinja.jp/ |
備考 | 境内裏は景勝地「白鳥の松原」 旧地は白鳥字田中の田中神社 |
参考文献
- 「白鳥神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「白鳥神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 梶原藍水『古今讃岐名勝図絵』高松製版印刷所, 1930(国会図書館デジタルコレクション 33-35コマ)
- 香川県神職会編『香川県神社誌 上巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 71コマ)
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 268-269コマ)