水主神社(東かがわ市水主)

水主神社。

東かがわ市水主、県道129号沿いの大内ダム手前の山に囲まれた場所に鎮座。

式内社 水主神社に比定される神社。

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参道

鳥居

 

社号標

 

狛犬

 

手書きの境内図

周辺の本宮山、那智山、虎丸山を水主三山と言い、熊野三山に見立てているようです。室町時代に勧請されたのだそう。

 

参道

 

手水舎

社殿

拝殿

 

大水主神社と書かれた扁額

 

本殿、前と後ろから

境内社等

参道両脇に随神神社

 

天磐船(うつぼ船)

 

案内板

社伝によると今から二千有余年前水主神社御祭神倭迹々日百襲姫命都皇居今の奈良県桜井市黒田幼き頃より神意を伺い、まじない、占い、智能のすぐれた御方と言われ都皇居に於いて塵に交なく人もなき皇居の黒田を出られお船(うつぼ船)に乗りまして西へ西へと波のまにまに播磨灘今の東かがわ市引田安堵の浦に着き水清き所を求めて今の水主の里宮内にお着きになり住われ(ここを大内と言う)土人に弥生米をあたえて米作り又水路を開き雨祈で雨を降せ文化の興隆をなされた御人といわれる

 

御禊殿

 

本殿左、水主三社(本宮、新宮、那智神社)

前述の通り神社の周囲には水主三山があり、それぞれの山頂に熊野三社が鎮座しています。山頂の神社はこちらの奥の院になるのでしょうか。三山とも500mに満たない山ですが、全て登るとなるとしんどそうではあります。

 

本殿右、御母宮 國玉神社

 

本殿後ろ、御父宮 孝霊神社

 

孝霊神社左右の境内社

左(写真一枚目):若宮神社、右(写真二枚目):神明神社

 

寄神神社

 

二ツ森神社

 

社務所手前に祀られているこちら、先の境内図には神陵と書かれています。

『古今讃岐名称図絵』によれば、

古今讃岐名称図絵

今を去る百年ばかり前、大水主の社僧疑を発し、潔斎沐浴して一七日ここへ参籠し陵を掘り返せしに、下に石棺ありけるを見てたちまち心気恍惚として人事を覚えず、やや久しくして目を開き見れば元の如く土埋めありしとなり。ここにおいて世々の住僧も伝へ聞いて尊敬しけると古老いへり

宮司さんに詳しく由緒を聞いてみればよかった。

 

拝殿手前、左側にこんな立札。奥に見える鉄のフェンスを開けて参道を進みます。

このフェンス、錆びてる上にちょっと開けづらいです。開けっ放しにすると猪とかが入ってくるので閉めるようにとの注意書きがありました。入るとき、出るときはちゃんと閉めましょう。

 

水神社の鳥居

 

水神社参道

途中、脇に清水。ぱっと見、山道に見えますが平坦だし、すぐ水神社に着けます。

 

水神社

お社の下には弘法大師手掘りの井戸があるそうです。(金属板の下)

由緒

境内由緒書

弥生時代後期、女王卑弥呼の死後、再び争乱が繰り返され、水主神社の祭神倭迹々日百襲姫命は、この争乱を避けて、この地に来られたと伝えられています。

姫は未来を予知する呪術にすぐれ、日照に苦しむ人々のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開き米作りを助けたといわれています。

境内は県の自然環境保全地域に指定され、付近からは縄文時代の石器、弥生・古墳時代の土器が多数発見され山上には姫の御陵といわれる古墳もあり、宝蔵庫には多くの文化財が納められています。社殿はすべて春日造りで統一されており、社領を示す立石は大内・白鳥町内に今も残っています。

與田寺に向う途中の弘海寺付近には昔有名な「石風呂」があり、宿屋が栄え、「チンチン同しに髪結うて、水主のお寺へ参らんか。」とこどもたちが歌ったほどにぎやかな土地でありました。

 

境内由緒書

水主神社(延喜式内社)

御祭神 倭迹々日百襲姫命(日本書紀)

夜麻登々母々曽毗売命(古事記)

◎倭迹々日百襲姫命

奈良県黒田慮戸(現在の奈良県磯城郡田原本町黒田)に居を定める。御年七才より黒田を出、八才にして水主宮内に着き給う。成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆成し水徳自在の神と称へられ奈良時代にはすでに神社形成をなしていた。

◎水主三山(熊野三社)

山嶽信仰 増吽僧正が遷宮すると伝えられる。

  • 新宮神社(虎丸山)御祭神 伊邪那美命(国生冥界との深き神)
  • 本宮神社(本宮山)御祭神 早玉男命(禊祓を司どる神)
  • 那智神社(那智山)御祭神 事解男命(龍神㈬・食物豊穣を司どる神)

◎水神社 御祭神 水波女命(井戸を司どる神)

◎水主神社別当寺 大水寺(開基は不詳)

水徳山宝珠院神宮寺 寛文年中に大水寺と改める。

本尊は 阿弥陀如来(円光寺へ)

不動明王、二童子(与田寺へ)

十一面観音(坂出・観音寺へ)

  • 江戸末期まで、神仏混合
  • 明治元年三月、神仏分離令
  • 明治二年二月二十五日、正式に廃寺となる。

◎伝教大師 最澄(七六七~八二二)

延暦九年(24才の時)水主神社・大水寺に参籠する。

比叡山延暦寺創建す。(22才の時)天台宗

◎弘法大師 空海(七七四~八三五)

水主神社境内地於て閼伽井水を堀り水主神社に奉献する。(現在の閼伽谷の井戸)

高野山金剛峯寺・善通寺・真言宗

創建時期は不詳。

『水主神社大般若経函底書』には「宝亀年中(770~780)御垂跡」とありますが、これは再建のことだとも言われており、『大水主大明神社旧記』には文武天皇3年(699)に石上麻呂が奉幣し疫病退散を祈った旨記されています。

倭迹迹日百襲姫命が8歳の時に水主に居を定め、水徳自在の神として称えられたとも。

 

続日本後紀 承和3年(836)11月月壬申(7日)条に「讃岐国水主神奉授従五位下」三代実録 貞観8年(866)4月9日癸未条に「授讃岐国従五位下水主神従五位上」とみえる水主神、また延喜式神名帳の「讃岐国大内郡 水主神社」は当社に比定されています。

 

『長寛勘文』によれば、海賊平定の祈祷により、天慶3年(940)正五位下に昇叙されたとあります。

 

『水主神社大般若経函底書』によれば、永久2年(1114)に2町2反60歩だった社領が天承2年には24町5反と急増しています。この頃国司や目代の参拝が度々あったという記録があり、国衙領であった与田郷・入野郷の一部を分割という形で社領寄進が行われたとみられています。

一時期は社家七十五員、僧坊四十二宇と繁栄を極めたようです。

 

明治5年郷社列格、同36年県社に昇格。

 

社名の読みは現在「みずしじんじゃ」とされていますが、国史大系本延喜式では「みぬし」と読んでいます。

 

祭神については倭迹々日百襲姫命とされていますが、「地神第四彦火々出見尊」「火明命」「倭迹々稚屋姫命」「級戸神」と言った異説もあり。

 

香川県神社誌

延喜神名式に『讃岐国大内郡小水主神社』とありて讃岐国式内二十四社の一なり。鎮座の年月詳ならず。宝亀年間の勧請と云ふも再建の訛伝なるべしと云ふ。伝ふる所によれば、孝霊天皇の皇女倭迹々日百襲姫命御歳七歳の砌大和国黒田の盧戸より出でまし、八歳の折当国安堵の浦に着き給ひ、居を水主に定め給ふ。土人これを大内と云ひ、大内の郡名はこゝに起ると云ふ。水徳自在の神と称へられ大水主大明神と称し一郡の総鎮守として之を祀れりと伝ふ。古くより著名の神社にして一に大社と呼ばれ洛陽の坤の方讃岐国に大明神あり大水主御社と号すなどと云はれ、朝野の崇敬頗る厚く文武天皇の三年大納言石上麻呂を勅使として奉幣し疫病平癒を祈らせ給ひ、承和三年に従五位下を奉らる。これ当国に於て神社に位階を奉られしことの初めなり。続日本後紀に『承和三年十一月壬申讃岐国水主神奉授従五位下』とあり。貞観八年四月九日従五位上(三代実録)に、延喜の制官社に列せられ、承平五年南海の海賊平定を祈願せられし故を以て天慶三年二月一日正五位下(長寛勘文)に、更に累進して正一位に昇り給へり。集古十種に『正親町天皇勅額正一位大水主大明神、正親町天皇御猶子龍池院二品尊証親王ノ御筆』とありて勅額現在す。天暦年文章博士橘直幹勅使として参向あり。応和二年参議藤原朝臣忠助勅を奉じて参向祈雨の事あり。宣旨ありて荘を大水主と云ひ、号を大水主大社と称し奉る。嘉禎三年、貞和二年、応永元年、同三十一年、文明六年、慶長四年、元和三年等それぞれ社殿の再建修営ありて愈盛大となれり。当社所蔵の経箱書付に社員七十五人社坊四十二宇とあり。又嘉吉二年の供僧配座、文安元年の神人配座の記録あり。而して元和二年までの再建修造の資は大内郡内の資糧を以てせりと云ふ。其他国司の崇敬にありては、天承元年国司藤原経隆、長承二年目代河内前司盛通、長寛元年国司藤原秀能、仁安二年目代橘公清等の参拝あり。天正十五年生駒近規当国に封ぜられるゝやその崇敬厚く、四代高俊社殿を修し社領三十五石を寄進す。正保元年高松藩主松平頼重の参拝あり、元禄六年松平頼常参拝、社殿を修造し田三十五石の寄進あり。現今の社殿は本殿安政五年八月再建、幣殿慶応元年六月の再建なり。明治維新の際郷社に列せられ、同三十六年一月二十三日県社に昇格、同四十年三月二十二日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

御朱印

御朱印はあります。

拝殿手前の社務所が無人だったため一旦諦めたのですが、次に訪れた白鳥神社で宮司さんと話していた時にその旨話したところ、道路挟んで向かいにご自宅があると教えていただき、再訪。御朱印をいただけました。

普段はあまり社務所にはおらずご自宅にいらっしゃるそうなので、御朱印、授与品ご希望の方は道路向かいのご自宅へお伺いするのが良いかと思われます。

アクセス

この辺りに自動車入口があり、参道脇に駐車できます。

神社概要

社名水主神社(みずしじんじゃ)
旧称大水主大明神
住所香川県東かがわ市水主1418
祭神倭迹々日百襲姫命現祭神
彦火々出見尊『御領分中宮由来』
火明命『讃留霊記附録』
倭迹々稚屋姫命『玉藻集』
級戸神

『翁嫗夜話』

『三代物語』

社格等

式内社 讃岐国大内郡 水主神社

続日本後紀 承和三年十一月壬申(七) 水主神 従五位下

日本三代実録 貞観八年四月九日癸未 水主神 従五位上

旧県社

札所等さぬき十五社二番
御朱印あり(社務所不在の場合近隣の宮司宅で要確認)
駐車場あり

参考文献

『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』 皇学館大学出版部

 

『日本歴史地名大系 38 香川県の地名』 平凡社

 

『香川県神社誌 上巻』 香川県神職会


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