神明社〔角館神明社〕(仙北市角館町岩瀬)

角館神明社。

武家屋敷通りの南に鎮座。

角館総鎮守とされ、菅江真澄終焉の地と伝えられる神社。

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境内

鳥居

 

社号標

 

社号標2

 

狛犬

 

参道

 

手水舎

 

社号標3

 

奉納されている秀よし

 

社殿手前の風化した狛犬

一体しかありませんが、阿形か吽形かもわかりません。幻の長慶金山の開発で知られる伊多波武助が奉納したものとされています。

伝説の詳細は角館神明社のサイトに記述があります。

 

境内の巨木

社殿

拝殿

 

扁額

 

甲羅

 

本殿

境内社等

青麻神社

 

山神社「太子堂」

 

稲荷神社

 

伊太祁曽神社

 

猿田彦大神碑

 

神輿殿

 

菅江真澄翁終焉之地碑

 

案内板

「菅江真澄終焉の地」碑

三河の人、菅江真澄(本名 白井秀雄)は天明三年(一七八三)、三十歳で故郷を出立し、北を目指して旅に出た。信州から越後を通って秋田の地に足を踏み入れたのは翌年の暮のことである。

それから四十五年、一度も故郷に帰ることなく奥羽の北辺から蝦夷にまで足を延ばして数多くの紀行文や地誌を残し、常民の暮らしや生業に絵を添えて克明に記録した作品群は明治の末、日本民俗学を確立した柳田国男によって民俗研究の鼻祖と高く評価された。

文政十二年(一八二九)、地誌「月の出羽路・仙北郡」調査の途中、隣町の田沢湖町神代で病を得、この地の神官鈴木家に移されたのち、七月十九日、七十六歳で没した。

この碑は昭和三年春、百年祭を挙行した際「角館史考会」によって建立されたものである。

 

案内板

菅江真澄終焉の地

民俗学者で紀行家でもあった菅江真澄は、文政十二年(一八二九)七月十九日、この地に住まいしていた神主鈴木家にて、地誌「月の出羽路仙北郡二十五巻」は未完のまま没したと伝えられている。

「伊頭園茶話」七巻

天樹院公明徳館ヘ真澄ヲ召サレシ時モ黒紬ノ頭巾ヲ冠リテ出ルト云 白井永治秀雄といゝしは疑ひなし 自筆のものに見えたり 初の秋田に来りし頃は三河に父ながらひたると見へて日記の序文に父に見するとて諸国の事を書あつむる由見ゆ 廿歳代より来て三十年も住みしと聞ゆ 独身にて處々方々食客となり定れる住宅なし 巡回ざき仙北郡梅沢村にて病ミ角館神明社主ノ宅ニテ終わると伝 寺内村の神職鎌田直樹が家に送られ同所に葬る鳥尾長秋が文石碑にありとぞ

七十六七歳ニテ死トアレバ三十歳ニテ来シトテモ四十年余リ秋田ニ在リ又梅沢に終ルトモ云也

おのれ幼年の時少しく真澄覚ゆ -原文より抜粋-

と元秋田藩士石井忠行が書き記している。(天樹院公-佐竹義和 文-長歌)

また、北家御抱医師吉原由之氏が

「久かたの月の出羽路書きしるす筆の跡こそ千代もすむらめ」

詠せられたのに対し

「しるべなき月の出羽路われ迷ふつけし千鳥の跡も恥かし 真澄」

と返歌している。

 

菅江真澄の道標柱

由緒

由緒板

神明社

主神 天照大御神

相殿神 加具土神 大名牟遅神 少彦名神 経津主神 武甕槌神 建速須佐之男命 三嶋大神 廣田大神 水波能賣神 大山祇命 白峯主神 伊邪那岐命 伊邪那美命

鎮座地 秋田県仙北市角館町岩瀬百拾七番地

社格 旧郷社(明治六年)

御由緒

神明社創建の時期については諸説があり定かではないが、古くは中世末、この地域を統治していた戸沢氏の篤い崇敬をうけて古城山の一角に鎮座しており、現在地に奉遷されて以来この処を神明山と称している。

現在の本殿は、明暦二年芦名氏のあとに入郷した佐竹北家によって遷座されたと伝えられ、その頃より時の北家をはじめ領民・氏子の総鎮守として限りない崇敬をあつめてきたのであり、神前には小田野直武氏をはじめ、平福穂庵氏また多数の時の著名画家が描いた奉納絵馬が掲げられている。

九月七日の例祭においては北浦神楽が奉納され、同日夕刻には各町内から曳き出される十数台の豪壮な山車が参拝し、飾山囃子による手踊りが奉納されることでも有名であり、九月八日には神輿渡御が行われ、数多くの供奉者や参拝者で賑わっている。

平成十九年十月には、昭和天皇第4皇女であらせられる伊勢の神宮祭主池田厚子様、また、神宮大宮司鷹司尚武様の御参拝を仰いだ。

御神徳

天照大御神は、五穀豊穣・養蚕・織物を奨め、安定した国土経営につとめられた神様であられる。当社ではその御神徳に因んで、国土安泰・家内安全・福運・開運の神として篤い崇敬をあつめている。

諸祭典

一月一日 歳旦祭 八月二十五日~二十九日 御獅子巡幸清祓

二月三日 節分祭 九月七日 例祭(角館神明祭)

三月二十五日 祈年祭 九月八日 神幸祭

四月十五日 鎭火祭 十一月二十三日 新嘗祭

六月三十日 夏越大祓 十二月三十一日 年越大祓

境内神社

青麻神社 例祭 五月八日 御神徳 中風病退除

山神社 例祭 三月二十二日 御神徳 技能向上

伊太祁曽神社 例祭 十月十五日 御神徳 開運厄除

稲荷神社 例祭 十月十日 御神徳 生業繁栄

創建時期は不詳。

 

中世末には、角館城のあった古城山の一角に鎮座し、城主戸沢氏の崇敬を受けていたようです。

承応2年(1653)に蘆名千鶴丸の死により蘆名氏が断絶、明暦2年(1656)佐竹北家が角館入部。

当社を現在地に遷座したとされます。

『明治神社誌料』によれば、享保16年(1731)の創立と社記に見え、これは奉遷の年を指すのではないかとしています。

 

明治6年(1873)郷社列格。

御朱印

御朱印はあります。

参道中ほどにある社務所で拝受可。

アクセス

角館駅の南にある下菅沢交差点(位置)で国道105号から西へ折れて線路を越えます。

700mほど先の突当りで左折すれば、すぐに神社前。

鳥居を潜り、左手の車道を上っていくと駐車スペースがあります。

神社概要

社名神明社〔角館神明社〕(かくのだてしんめいしゃ)
通称
旧称
住所秋田県仙北市角館町岩瀬117
祭神天照大御神
相殿

加具土神

大名牟遅神

少彦名神

経津主神

武甕槌神

建速須佐之男命

三嶋大神

廣田大神

水波能賣神

大山祇命

白峯主神

伊邪那岐命

伊邪那美命

社格等旧郷社
札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイトhttp://kakunodate-shinmeisha.jp
備考

参考文献

  • 「神明社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 671コマ